【歴史21】スイス史備忘録31(同盟規約・大復古・ウィーン会議・百日天下・永世中立・ウィーン体制・神聖同盟)
スイス史の学習内容を深めていきます。
①各邦の代表者は1814年に会議を開いて盟約者団の再編について5ヵ月話し合った。1815年に採択された同盟規約でフランスに編入されていたヴァレーは盟約者団に復帰しジュネーヴとヌーシャテルが新たな邦となった。
②盟約者団は22邦体制となった。主権はそれぞれの邦にあった。盟約者団会議の議長はチューリヒ、ベルン、ルツェルンの代表が2年ごとに交代で務める事となった。
③スイス革命後に認められた言論や出版の自由、身分に関係のない人権の保障などが再び再現された。この新体制は革命以前の状態に戻った要素が多いので大復古と呼ばれた。
④1814年9月からイギリス、オーストリア、ロシア、プロイセンなど各国の代表者がオーストリアのウィーンに集まってナポレオン戦争後の
国際秩序について話し合った。
これがウィーン会議である。
⑤各国の対立によって会議が長期化して1815年3月にナポレオン1世はエルバ島を脱出して復位した。6月に対仏大同盟軍に敗れて再度捕まった。この短い復権は百日天下と云われる。
⑥盟約者団は対仏大同盟による攻撃に参加したのでウィーン会議で有利となった。
フランスとオーストリアの間に位置するスイス領土は国際的に不可侵とされて合わせてスイスの永世中立が認められる事となった。
⑦ウィーン会議は1815年6月に終了した。この会議の結果でフランスでブルボン朝が復活してフランス革命以前の身分制度やキリスト教の道徳観に基づく保守的な体制となった。
⑧ウィーン会議後のヨーロッパの国際秩序はウィーン体制と云う。この体制を維持するため、ロシア、オーストリア、プロイセンを中心とする神聖同盟が結ばれた。
大半のヨーロッパの国々が加盟した。
⑨盟約者団はウィーン体制に組み込まれた。永世中立であったが1817年に神聖同盟に加入した。
■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社
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