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【歴史23】イラン史備忘録24(ブワイフ朝滅亡・称号スルタン・アルプアルスラーン・ロマヌス4世捕獲・マリクシャー・ニザームルムルク・ニザーミーア学院)
イラン史の学習内容を深めていきます。
①1055年にセルジューク朝はバグダードに侵攻しブワイフ朝を打破した。イラン高原一帯はアラブ人からトルコ系民族へ権威が移った。
②トゥグリルベクはアッバース朝のカリフよりスルタンの称号を授かった。神に由来する権威のことである。
ガズナ朝やブワイフ朝でも使われてはいたがカリフから公式に授けられた事は特別なことであった。
③スルタンはセルジューク朝の当主に継承されていきカリフの権威は形だけとなった。1063年にトゥグリルベクは亡くなり甥のアルプアルスラーンが第2代スルタンとなった。
④中央アジアやファールス地方やアゼルバイジャン、ジョージアに遠征をした。東ローマ帝国と対立する事となった。1071年にアルスラーンは東ローマ皇帝であったロマヌス4世軍と戦った。アルスラーンは勝利してロマヌス4世を捕まえた。
⑤アナトリア半島には多くのトルコ系民族が移り住んだ。1072年にアルスラーンは亡くなった。息子のマリクシャーが第3代スルタンとなった。マリクシャーは10代でありイラン人のニザームルムルクを宰相として政治を任せた。
⑥マリクはアラビア語で王でありシャーもペルシア語で王である。マリクシャー以降はイラン各地の君主称号となった。
こうして中央アジア、アナトリア、アラビア半島の南東部まで領土を広げた。
⑦ニザームルムルクは優秀な官僚を育てるために各地に学校建設をした。これがニザーミーア学院である。政治学や哲学講義を行いスンナ派教義をきちんと理解するための講義が行われた。
⑧マリクシャーはニザームルムルクに『統治の書』を書かせた。セルジューク朝の君主の心得をまとめたものだった。セルジューク朝は全盛期でカリフ継承にも干渉できるレベルであった。
■参考文献 『1冊でわかるイラン史』関 眞興 河出書房新社
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