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【歴史23】イラン史備忘録14(シャープール1世・エデッサの戦い・ナルセス・ホルミズド2世・シャープール2世・シャーフルダーラーン・ヴィスブフル)

イラン史の学習内容を深めていきます。

①シャープール1世はイラン人と非イラン人を支配する王の王である事を宣言した。王とその一族、有力者や軍の指揮官たちによる会議を中心に運営されるようになった。

②北西部やシリア、アルメニアをめぐりローマ帝国と戦った。260年にエデッサの戦いでローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕まえた。

自分の前にローマ皇帝が跪く彫刻とササン朝の支配領域を示す碑をつくらせた。

③東はホラサンからスィスターン、北はアルメニアからコーカサス、西はアンティオキアからアナトリアの一部を支配した。

④272年にシャープール1世は亡くなった。

しばらく短命の王が続いたが293年にシャープール1世の4男であるナルセスが即位した。

⑤297年にはローマ帝国と戦って敗北してアルメニア地方を失った。298年に講和条約を結んでササン朝はアルメニアをローマ帝国に譲って2年前にローマに占領されたクテシフォンを取り戻した。

⑥302年にナルセスが亡くなり子のホルミズド2世が即位した。貴族が対立してシャープール2世が309年に即位した。中央アジアからアフガニスタン地方にあったクシャーナ朝が衰退したため東へ領土を拡大した。

⑦ローマ帝国と戦って捕虜を獲得して中央アジアから南下してきたフン族を使って辺境の地に砦をつくって守らせた。シャープール2世は70年間にわたり統治をした。

⑧頂点に立つ王とそれを補佐する貴族とゾロアスター教の聖職者が中心で統治されていた。王の王の下にはシャーフルダーラーンという諸王に該当する貴族がいた。

⑨主にアルメニアやクテシフォンに存在した。他にはヴィスブフルという高位の貴族がいた。主に軍の司令官や騎兵の対象者だった。国境地帯の警備や有力者の監視を行った。

⑩軍人の称号にはヴァスプルフラーンといった大貴族、アーザーダーンという小貴族の称号があった。

■参考文献 『1冊でわかるイラン史』関 眞興 河出書房新社

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