見出し画像

無限の可能性は行動力と比例する

昨日のブログで、苦手意識や食わず嫌いで逃げるのではなく、体験してみたら意外によかったと感じることは沢山あるし、何でもやってみないとわからないよね、という話を書きました。

無限の可能性は行動力と比例する

『若い頃は無限の可能性がある』なんて言葉を耳にしますが、それは行動力と比例します。待っているだけで可能性が広がるなんてことはありません。

例えば、自転車を最初から乗りこなせる人なんていません。転んでフラフラしてバランスを見つけられたから乗れるようになったわけです。
掛け算だって最初からできる人はいません。理屈を教わって、九九を覚えて、そうしていくうちに身についていったものです。

若い頃の視野は狭い

若い頃は何事にも経験値が低いので知識も少なく視野が狭くなりがちです。したがって判断基準が自分の意思や本能的な部分によるものが強くなる傾向にあります。
成長していく中で、自分以外の人間と関わるようになり、家庭以外の空間(ルール)と共存していくために、相手がどう思うか、この空間ではどのように行動する必要があるのかを学んでいきます。

例えば、欲しいという本能だけで他の人の持ち物を盗んではいけないし、信号は青だから通過できるとか、そうしたことです。

そして、自分のいる環境、コミュニティではどのように振る舞うべきか(何をしてはいけないのか)を考えるようになり、同時に、自分以外の人間はどのように考えて行動や発言をしているのかも考えるようになります。その過程を経験し、成長していくわけです。

これらは決してネガティブな捉え方ではなく、また、個人を尊重していないわけではありません。そうしたある意味制約のある空間、環境において自分という個性をどのように主張していくのか、を考え、実践していくことが大切であると言いたいのです。

幼少期のように自分だけの判断基準で食わず嫌いになったり、参加しなかったり、逆に好きなこと(=楽なこと)や憧れている人の近くや、居心地が良い場所に居座わり続けたり、周りがどう言おうが自分や自分が信用している人だけの言葉にしか耳を貸さずに物事を判断したり、大人になってもそんな行動しかできないようになってしまうと、周りから協調性のないワガママ人間として見られることになります。
しかも自分が好きな人間からも「こいつはワガママだ」と悟られてしまうために、自分の周りから人がどんどん離れていくのです(一定の距離を取られて近づいてきてくれない)。そして信用度が低いのでコミュニティに誘われにくくなります。

要するに可能性を広げるたくさんのチャンスを自分の視野の狭さで閉ざしてしまっているわけです。

ちょっと偉そうな言い方になってしまいますが、大人の目線から見るとこのタイプの人ってちょっとした言動ですぐわかります。

肯定的に捉え、チャレンジし続けること

若い頃の苦手意識や食わず嫌いは、実は対象そのものに原因がない場合も多いです。
例えばお母さんに残すなと言われて無理やり食べさせられていたピーマンは、そんなイヤな思い出がフラッシュバックするのが原因だし、例えば特定の遊園地に行きたくないと感じているのは、その場所でお父さんに怒られたから、友達と喧嘩したから、恋人にフラれたからという理由だったりします。ピーマンも遊園地も直接的な原因ではないのです。

確かに幼い頃はピーマンが苦いだけで美味しいと感じないかもしれません。しかし、数年経過してもなおその当時のネガティブな経験を引きずって上書きしないまま大人になっていくのはどうなのでしょうか。ピーマン、美味しいですよ。

同じように一度イヤな思いを経験したからと言って、それが対象の全体像であるとは決して言い切れないのですから、肯定的に捉えて再度チャレンジすることはとても大切だと思うし、何よりも『自分の行動力や捉え方でその場所を良いものにしていこう、変えていこうという行動力を発揮すること』が大切ではないかと思うのです。
誰かの家に遊びに行ったら、玄関前で飼い犬に吠えられたからもう嫌だと逃げ帰ってしまうのはあまりにも勿体無いのです。

好きなものたちに囲まれて、好きな人たちに囲まれて過ごすことは誰もが思い描く理想だと思いますが、その理想は待っていて訪れるなんてことはあり得ません。それらは自分の行動力によって作り上げる努力の結果であると考えます。

確かに、ブラックな会社にずっと居続けるような、そんな苦労はする必要はありません。だから取捨選択するために自分に合わないところから離れることも大切ですが、法的な問題とか、心身に危険が及ぶものは別として、まずは自分から関わりを持って相手の良いところを見つけたり、良い空間にするために自分から行動し、とことん付き合ってから離れるかどうか判断したほうが良いです(経験則)。

こうした話は状況によって変化しますから、あくまでも僕の経験則ではありますが、決定的な根拠もなく感覚的に嫌だからとすぐに逃げてしまったり、知りもしないのに食わず嫌いでチャンスを逃すのはあまりにも勿体無いですよ、というお話しでした。


荻原明(おぎわらあきら)


荻原明(おぎわらあきら)です。記事をご覧いただきありがとうございます。 いただいたサポートは、音楽活動の資金に充てさせていただきます。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。