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#001_練習ができなくなっていく恐怖

不調の兆し……

沢山走った2023年、そんなシーズン中に不調が始まる。


2023年の出場大会
3月 名古屋ウィメンズマラソン 完走
3月 ツール・ド・しものせき 完走
4月 全日本トライアスロン宮古島大会 完走
6月 天草国際トライアスロン大会 完走
7月 ひわさうみがめトライアスロン大会 完走
9月 希望の森トライアスロン大会 in やながわ 完走
10月 ツール・ド・佐伯 DNF
12月 青島太平洋マラソン大会 完走



2023年4月に全日本トライアスロン宮古島大会(156)を完走した後から調子が戻らなかった。
5月にコロナ罹患2週間寝込み、6月の天草国際トライアスロン大会(51.5)は何も調整できないままスタートし何とかフィニッシュできた。スイムもバイクもランも全体的に力の入らないままだった。そのまま右の足底を傷め、ランの練習がほぼできていないまま7月にひわさうみがめトライアスロン大会(51.5)に出る。「走り切るんだ…走り切りたい…」唱えながらフィニッシュ。8月のランはとうとう0km。右の足底の痛みがひどかった。その分バイクを頑張ったかというとどうだろう。今思い返すと普段のバイクもスマートローラーでのトレーニング時も左足の股関節が窮屈に感じることがあって、無意識で左膝を外に出して開放する動作をしていた。かろうじてスイムは週に2〜3回のペースでプールに通い、週に1回は仲間と海練をして競技のモチベーションを維持していた。

海練が楽しくて仕方ない

9月、希望の森トライアスロンinやながわ(30.75)は初めてのスプリントディスタンス。スピードは得意ではないが、実家のすぐそばがコース設定されているので自分の元気に走る姿を親に見てほしいと思い参加。遅いスタート時間に食事のタイミングを合わせられず、空腹のまま走り続け最後はフラフラで完走。フィニッシュしてしまえば身も心も晴れやかになるのが面白い。初めての輪行でちゃんと福岡-福島を往復できたのは収穫。家族との楽しい時間も持てたし大満足の遠征となった。まぁ、それなりに疲れはしたけれど、気持ちは軽かった。
福岡に帰った後から明らかな不調に見舞われることになるのだが……


どうした? 私の左足……


バイクのスピード練習中に左足が苦しく凝り固まった感じになり回せないことがしばしばあり、10月頭のツール・ド・佐伯(190)は最初の登りで左足が窒息するような感覚になり、下りで回復するという繰り返しだった。雨だったこともあり集中が途切れ86kmでDNF。周囲には雨のせいと言ったが、それだけではなかった。10月末の猛者の集まる練習会に参加させていただいた時も同じ症状が出た。左足だけ回せない、何とか片足で回して本当に辛かった。みんなに着いていけないことは承知していたが、全力でぶつかっていけなかったことが精神的に辛かった。

左足が終わってしまった後、完全に牽いてもらう形になってしまった

シートやステムを調整したりクリートにスペーサーを噛ませたり、色々試すも改善することないまま症状はランでも出るようになった。初めのうちはランニング開始1kmくらいで急に脹脛が締め付けられるように苦しくなりすぐに左足全体が動かせない状態になった。立ち止まって屈伸運動、ストレッチを数分すると回復し再び走り出すことができるのだが、ダメージが残ったまま走り続けるので距離を踏むことができない。せいぜい5kmくらいでギブアップ。調子の良い時で1時間走がやっとできる感じ。それが500m、300m、100mと症状が出現する距離がどんどん手前になってくる。
トライアスロンコーチに股関節の稼働をスムーズにするような運動やトレーニングを教えてもらいながら何とかランニングができるようにならないかと試行錯誤が続いた。そして、2023年を締めくくる青島太平洋マラソン(42.195)は前進する気持ちを切らすまいと意地で完走した。本当に苦しかった。練習で距離が踏めていないのと足が棒になる症状が出ないように歩きに近いところまでペースを落としての42.195km…長すぎて苦しかった。回復は右足に比べ、左足がダントツで遅く臀部から膝上にかけての痛苦しさが抜けるまでに2週間を要した。

そんな大不調に陥ってしまった2023年トライアスロン2年目。
「3つのトライアスロン大会を完走する!」という当初の目標は練習できない苦しみの中でもやり遂げたっていうだけで、達成感を味わうことはできなかった。


復調の兆しなく……



2024年のエントリー大会
3月 名古屋ウィメンズマラソン 完走
4月 全日本トライアスロン宮古島大会 完走
6月 五島長崎国際トライアスロン大会(バラモン)Aコース DNS
9月 佐渡国際トライアスロン大会 Aコース DNS


年が明けて2024年はじめ、引き続き走り出し300mで足がギュッと苦しくなって、辛く動かせなくなる現象は起こっていた。これを「足が棒になる」と周囲には説明するようになって、練習会からも足が遠のいた。股関節周りの痛みも同時にあったこともあり、整形外科で診てもらったり整骨院へ通って施術してもらいながら股関節の稼働を良くするストレッチや筋トレを教えてもらったりしてすごしていた。それでも全く症状が消えない。どの院に行っても「坐骨神経痛」や「ヘルニア」などを疑う見立てで、「間欠性破行」様の症状については原因が見当たらないと皆首を傾げていた。

足が棒になる恐怖から練習できない。着替えてシューズ履いて外に出ても全部で1kmも走れないでプラス3km歩いただけで部屋に戻るという感じの毎日で、時々無理やり5kmとか走ったらダメージが1週間も続くという心身共に削られる状況を打破できないまま3月名古屋ウィメンズマラソン(42.195)は顔は笑顔でも泣きながらフィニッシュ。全然楽しくなかった。何もしないで、できないで臨んだ大会は本当に苦しい。
この状態のまま4月の全日本トライアスロン宮古島大会(161)遠征。
練習もできなくて、マラソンも散々で落ち込んだ状態だった私が一人だったらスタートラインにも立てなかったと思う。愉快な仲間に助けられた。今でも涙が出てくる。私は恵まれている。(この大会のことは別に記したい)

最高の仲間

苦しみながら時間制限5分前にフィニッシュ。
「私は何をやっているんだろう……」
「こんなに苦しむためにトライアスロンを始めたのだろうか……」
「練習を積んだ成果を発揮して笑顔でフィニッシュしたかったはず」
大きく心が動いた。
足が動かないのなら、もうやめなければならないのか……って思うようになっていた。

”喉元過ぎればアツさ忘れる”的な…福岡に帰って1週間休養をとった後、日常生活はなんともなく元気に過ごせているので大丈夫なんじゃないかという気持ちになている。身体も軽いし、何ともないって。それでもセーブしながら近くの峠(60km900mUP)に自転車で行ってみたら症状は出ないがセーブしたパワーも続かなかった。今までの練習不足のせいだとすぐに気づく。これではエントリーした大会など完走できるはずがない。もやもやの気持ちのままランニングに出かけたがこっちもやっぱりダメだった。……足が棒になる辛さがストレスに変わっていき、このまま治らないのかもという不安に繋がっていった。

5月の頭。優しい方が一緒にカフェライドに出かけてくれた。山の空気の気持ちよさがたまらん! やっぱり自転車サイコー!! 追い込んだ練習をしたい時期だけれど、この坂道も優しめにおかわりしたら足が棒になった。(90km900mUP)そして変なペダリングになる。左足が上死点から下に自分の力で下げられず、踏み込もうとすると踏ん張れないのでカクッと膝が外に出てしまう。仕方なく右の引き足で左足を上死点過ぎまで運んであとは体重を乗せるだけ。不甲斐ない。それでも美味しいケーキと優しい人は癒しだった。周りの皆んなは大会に向けて集中している時期だし、とてもありがたかった。優しさに甘え続けるわけにもいかない。自分の中にいよいよ本格的に原因究明をしなければならないという緊張した気持ちが湧き上がった。

スーパーコルサは大会後気持ち的に触れなくなっていたのでサブ機JAMIS君で
もうね、しあわせ。スイーツは正義

カフェライドの翌日、ずっと楽しみにしていたランニングイベント Wings for Life WORLD RUN に参加。ランチューバー三津家貴也さんの「死ぬまで走る」の動画で前回の様子を観て予習もバッチリ。足が棒になって立ち止まりながらも目標の10kmを越えてのフィニッシュで、出し切った。会場の雰囲気があったから走り切れたのだと思う。自分一人では出し切れなかったなぁ。

半年前にエントリーして楽しみにしていたイベント!
出し切った!これがこのときの精一杯

この脊椎損傷治療の研究へ繋がるチャリティイベントをきっかけに、色々な理由で歩くことも走ることもできない人が多くいることを(自分の父親も含めて)改めて考えさせられ、「今、自分が走れることで感じられる全てが当たり前ではない」という思いが強くなり、可能性があるならまた普通に走りたいという気持ちに切り替わった。

これまでよりも医師への接し方も積極的になって、自分でも症状を発信しながらより広い範囲で色々と調べ始めた。


つづく

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