過去の記憶は、私の味方
地元を散歩した。
行先は決めず、知っている道を、足の赴くままに歩いた。
ほんの30分ほどの道のり。
でも私の心には、あの頃から変わらない輝きを持つ「記憶」たちが、星のように降ってきた。
あぁ、まだこの学校にはこの花が咲いているんだ。
この校庭で、運動会の時に一生懸命踊ったな。悔しくて泣いたこともあった。
このグラウンドで、兄が野球の練習するのをよく見ていた。
この公園でよく家族ごっこをしていたな。あのすべり台の上を家に見立てて。
ここで一緒に一輪車の練習をしていた友達は、今も元気だろうか。
この茂みの先には、子供しか入れない秘密の空間があるんだよなぁ。今の子たちも、この場所を知っているのだろうか。
私は驚いた。
子供時代に歩いたことのある道を歩いただけで、心の奥の奥に仕舞われた大切な記憶が次々と出てくるのだ。
当時の低い視点、走った時になびく髪の毛の感覚、太陽の眩しさ、体の軽さなんかも思い出して。
人生の中で一度しかない数々の体験を、今の私が覚えていられることを知り、幸せな気持ちになった。今の私は、過去の私がいたから成り立っているのだ。覚えていると、楽しい。覚えていれば、これからの生きるヒントにもなる。
過去の記憶は、私の味方でいてくれている。
それと同時に、記憶はなんて簡単に人を裏切るのだろう、とも感じた。
今回の散歩のように、”外部からの刺激”がないと記憶は取り出せなかった。
懐かしい景色を見たり、旧友と話したり、匂いを嗅いだりする”刺激”。
大切な思い出は常に覚えているのではなく、何らかの刺激をきっかけに思い出さなくてはならない。
思い出すまでは、姿を消して忘れてしまっているのだろう。
無情なやつだ。
歩いていると、あったはずの建物が取り壊されていたり、お店が変わっていたり、新しい建物を見つけたりした。
そこにあった景色には、記憶のトリガーがあったかもしれない。もう思い出すことはないであろう、過去に閉じ込められた私の味方が。
地元の景色は、思ったよりもたくさん変わっていた。
今度は、いつ味方に裏切られるのだろう。
その裏切りに気付くことは出来るのだろうか。
それとも、私が記憶を裏切ることになるのだろうか。