祖父と私と腕時計の話 #1
過去に戻ったら何をするだろう?
過去に戻って、この先もうすぐ死ぬと分かっている人を目の前にした時、自分はどうするだろう?
この疑問が、ずっと頭にこびりついている。
こんな非現実的な疑問が心に居残り続けているのは、あるドラマを見たから。
「時をかける少女」(日テレ系2016年放送)の第2話。
あらすじはと言うと…(ネタバレです)
ざっと、こんな話だ。
カメラワークや、主題歌のかかるタイミング等も素晴らしいものだ。切なさや夏の瑞々しさ、輝きを増幅させている。(語り出せばキリがないため、割愛させてもらう)
当時高校2年生の私はリアルタイムで見ていたが、5年経った今見るのとは、受け取るものの深さが天と地の差だった。
この5年間、受験をして、合格と不合格を経験し、大学生になって、新しいものと出会い、新しい悩みを抱え、身近な人との別れを知った。
そうやって変化した環境と、無意味にも重ねた数々の経験が、いつの間にか自分を大人にさせようとしていた。
おそらく、共感できることが増えたのだろう。
ただ他人事として楽しんでいたドラマや映画にも、自然と自分の経験と重ね、当事者として見るようになっていた。
自分なら、と考えるようになっていた。
時をかける少女を見た日も、考えた。
「過去に戻ったら何をするだろう?」
「過去に戻って、この先もうすぐ死ぬと分かっている人を目の前にした時、自分はどうするだろう?」
一番に思い浮かんだのは祖父のことだった。
過去に戻って祖父に会ったらどうするか、それからずっと考えている。
祖父は、私が大学1年生の10月に亡くなった。
フサオっていう名前なのに少し髪が薄くて。
いつもブラウン管テレビで野球中継を見て、スコアをつけていた。
私も小さい頃は、よく一緒に机に座って見ていた。
それが終われば、将棋やトランプで一緒に遊んだ。
トランプを切りながら、ハートのエースが出てこな~い♪といつも歌っていた。
会話はほとんど覚えていないが、机に一緒に座ったときの空気感、雰囲気、笑って楽しかったという気持ちだけは覚えている。
高校生になったあたりからは、特に理由もなく恥ずかしくなってしまい、2人でケラケラと笑いながら遊ぶことはなくなっていた。
祖父の家に行ったときには、いつもと変わらず話しかけてくれるのに、私からの返事は日に日に短く、素っ気なくなっていたと思う。
大学入学記念として、祖父がお金を出して腕時計を買ってくれたのに、お礼は一言で、簡単に済ませてしまった。
その腕時計を4年ほどつけているが、今でも見るたびに心が温かくなる。
話さなくなっていたのに、やっぱり祖父のことが好きだったんだな、と感じる。
小さい頃の会話なんて覚えてないのに、大きくなって記憶のある頃には話さなくなっていたのに。
後悔していることと言えばこれだ。
もし過去に戻ったならば、腕時計のお礼をしっかりと言いたい。
でも、それだけでいいのだろうか。
祖父は、病気が進行していたのにも関わらず病院に行かず、誰にも言わなかった。
強情で、我慢する人だった。
当たり前に体は弱り、病院に運ばれてからは話も出来ずに亡くなった。
生きている祖父が目の前にいるのなら、病院に行けとでも言うべきか。
でも、それで祖父は心から喜ぶのだろうか。
いくら考えても、結論は出てこない。
分からないままこのnoteを書いている。
まあ、何を考えても実現なんてしないのだが。
結論は出せなくても、過去に戻った時のこと・祖父のことを考えるうちに、
私はある決断をした。
それは過去でも今でもなく、未来についての決断だ。
#2 に続きます。
【おまけ】
私が大好きな曲で、大切にしている歌詞がある。
「信じられない早さで時は過ぎ去ると知ってしまったら
どんな小さなことも覚えていたいと心が言ったよ」
(竹内まりや「人生の扉」より)