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世界はもっと

見知らぬ地に降り立つのが好き。

聞いたことのない駅で降りて、イヤホンはせずに歩く。
その土地の音、匂い、動きを五感で感じる。

ファミマ、ガスト、マクドナルド、ユニクロ……当たり前だが、全く知らない土地にも、いつも使っているお店が根付いている。

でも、どこか自分の居場所にはならないようで、落ち着かない。

ここでは自分が異質な存在で、浮いているような、透明人間にでもなったかのような感覚になる。この場所には、自分を除いて「いつも通り」の時間が進んでいるらしい。



部活帰りらしい学生、ここが地元の子はどんな性格に育つのだろう。
スーツ姿のサラリーマン、ここに何年通っているのかな。近くに行きつけとかあるのだろうか。

自分の今までの人生と、どれだけ違う景色を見てきたのだろうか。


知らない場所。
縁もゆかりもない土地。
その地にも数えきれないほどの生活があって、人生がある。
遠すぎて、自分の生きてきた世界と違いすぎて、普段は想像すらしないけれど、街行く人の顔を見ると、確かにそこに数々の人生が存在していることを認識させられる。

この人たちにとっては、慣れ親しんだ私の地元が異質な場所に見えるのだろう。



人によって、「世界」の見え方は違う。
地球規模でなくて、目の前の景色の見え方も違うだろう。

もっと明るく素晴らしく見えているかもしれないし、もっと暗くどんよりした味気ない世界に見えているかもしれない。

その自分が見えている世界を作ったのは自分。
今まで生まれ育ってきた環境があって、経験があって、自分で選んだ道を歩いて、自分が作ってきたもの。

自分の悩みは自分の世界に自分で作り出したものしか存在してなくて、他の世界にはない。
自分が美しいと思う世界は自分で作り出した世界で、他の人には見えていない。

自分には見えていない他の世界が、いくらでもある。

世界はもっと広くて、深くて、おもしろいかもしれない。
もっと狭くて、酷くて、悲しいものかもしれないのだ。
そんなの知らないなんてもったいない。



遠いところからずっと続いてきた線が重なって、交わることのなかった人生が一瞬交わって、その後、また交わることなく、別々の方向へと続いていく人生と人生が出会ったよう。

自分の世界がひとつ広がる。
自分には見えていない世界を、もっともっと見たくなる。

だから、見知らぬ地に降り立つのが好きだ。

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