子どもができるまで「待つ」ことの大切さ。(2min)
うちの教室には合計7名の講師の先生がいる。みんなそれぞれ個性があり、子どもたちとも楽しく授業をやってくれる素敵な先生たち。
そのうち2名の女性講師は、僕の母くらいの年齢のベテラン講師さん。若いころから学校や家庭教師としてずっと子どもたちを指導してきたそうだ。
この二人もすごくすごく良い先生なんだけど、たった1つだけ気になることがある。
それは子どもが考えているのを「待てない」ことだ。
昨日、ベテラン女性講師と「算数文章題を絵にして解く」という授業をやっていた子どもが、授業後に僕とのところにやってきた。この子は「考えること」を楽しんでやれる数少ない生徒の一人なんだけど、授業前と様子が少し違っていた。
子「せんせー」
僕「おーどうやった?できた?」
子「うん、できたけどなー……今日は先生にめっちゃヒントもらったー」
これを聞いて僕は、その子が何を言いたかったのか悟った。
「今日は自分で考えることができなかった。だからあんまり授業の満足感がない。」
きっとそう言いたかったんだろう。
僕「そうかそうかー」
と笑顔で返したけど、心の中ではごめんねが沢山だった。
これまでずっと「先生」をやってきたベテラン講師は特に、子どもたちには「教えないといけない」と思いがち。
だけど教えるという行為は、自分の中のパターンを子どもたちに「押し付けている」だけなんだと、最近実感することが多くなった。
(ベテラン講師さんたちには何度も「ヒントは無しで大丈夫です」って伝えてるんだけど、なかなかそれを理解してもらえない。)
子ども、特に小学生の勉強なんかは、考える力があれば自分で理解できることがほとんどだ。
途中までは「あーこの解き方じゃ間違えるだろうな」と思っても、僕が想像もしなかったやり方で正解を導き出すことがある。
だから教育者がしなければいけないのは、その子が自分で考えて考えて「もう無理だ!」となるまでじっと待つ(見守る)ことと、その子の思考力に合わせた適切な課題設定だと思う。
10の解き方を先生から教えられるより、たった1つの自分オリジナルの解き方を発見したときのほうが、子どもは何倍も何十倍も勉強が楽しくなる。
考えることが好きになれば、算数も国語もぜんぶ好きになる。すべての子どもたちに学ぶ楽しさを感じてもらうべく奮闘中。TRES代表。