1200日に思うこと
本日のnote、投稿前の状況はこんな感じで。
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この記事を投稿すれば、1200日連続投稿を達成できたということになる。
「1200」という数字に「すごいなー」とか「やり遂げたなー」という感覚は全くない。「あ、そうなんだ」くらいなのが正直なところである。むしろ「1200」という数字について改めて考えて、「3年以上、400日×3回分も書き続けているって私は何をやっているんだろう…」という気持ちすら出てきたりもする。
まぁそれはともかく。
キリのいい数字って何となくこれまでを振り返りたくなるというか、「自分とnoteについて」を考えたくなるので。とりあえずnoteとの付き合い方を振り返ってみると。
一番最初は、「とりあえず何かを書いてみる」という付き合い方。
365日くらいまでは、「頑張って続けてみよう」という付き合い方。
その後はぼんやり500日や1000日を目標にしつつ、書くことが日常になってそんなに困ることがなく。
1000日を越えて「もう続けなくてもー」と思いつつも、何やかんや毎日書いて現在に至っている。
直近100日間は、「私とnote」という面で見ればかなり変化があった期間で。仕事を辞めて、引っ越しもして、息子の学校も始まって。noteを書く時間も今までの「皆が起きてくるまで」ではなく、「皆が家を出た後」になった。
内容も「自分が書きたいことを書く」という点では今までと変わりが無いものの、時間ができたことでやれることが増えたり、新たに感じるものがあったり。何かしら変化があったのではないかなぁと思う。
「文章を書く」ってそれなりに時間がかかることである。毎日30分〜1時間くらい。場合によったらまとまらなくて2時間くらいかけて書くこともある。そこまでして毎日書き続けるのは何故なのか。
例えば「日々文章力を向上させよう」とか「読む人を楽しませる文章を書きたい」とか目標があって毎日試行錯誤をしていっていたなら、書き続けただけ理想の文章を書く手助けになったのだろうと思う。
ただ、今の私のように「何となく書いているだけ」の場合。もちろんそれなりの文章力の上達はあるだろうけれども、書き続ける労力に対してそんなに上達はしていかないと思う。そういう意味では効率が悪いというか、「何かの能力を得るため」にはなっていないと思う。
それでもこれだけ書き続けているのは何故なのか。
今私がnoteを書いていて一番楽しいこと。それは、「ひとつの物事と向き合う時間を取れること」のような気がする。
「こんなことがありました、気付きました」と書くことで改めてその事柄について考えて、新たな見方を発見したり、「こういうことだったのか」って思ったり。その発見する瞬間を「楽しいな」と感じている。
基本的に文章を書く時は、そのことしかしていない。日常生活をおくる上で、同時進行であれこれやったり、次のことを考えたり。そういうことが多い中、「noteを書いている間」は「noteを書くこと」だけしかしていない。
そうやってひとつの物事に向き合って、いろいろ考えたりひらめいたり。それが楽しいからこそ今の私は続けているのだと思う。
正直、毎日書くことにそんなに時間を使うって、勿体ないよなーという気持ちもあるのである。だって能力的に特に何かが向上しているわけではないし。お金になるわけでもないし。
それでもまぁ、私にとって「楽しい」と感じられるうちは、続けるのかなぁと思ったりもする。
結局のところ、文章を書くこと自体も好きなのだよなぁ。でないと嫌々こんなに続けることなんてできないと思う。
他人に対して誇れる目標がなくてもいい。結果を出さなくてもいい。
ただ、楽しいから、やりたいから書く。そういう付き合い方をできればいいなと、1200日時点では思うのだった。
ではまた明日。