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華金カウントダウン

「それじゃあ、華金楽しんで!」

 6月のある金曜日、共にエレベーターを降りた先輩が別れ際に言った。私はその言葉に戸惑って、まっすぐ自宅へ向かう最寄り駅へ進もうとした足を一瞬止めてしまった。

 私の職場は、1週間の中で金曜が特に忙しい。終日バタバタして、残業なしなんてありえない金曜に、その日は運良く定時で上がれたのだ。きっと、先輩も嬉しくてそう声をかけてくれたのだろう。

 楽しんで、と改めて言われると、この瞬間から今日眠りにつくまで、目一杯時間を有効に使わないといけないような気がしてきた。そして「華金」。毎日が金曜日気分だった大学までは使わなかった言葉。なにか、社会人として相応の楽しみ方、時間やお金の使い方をしないといけないようで、焦りが募ってくる。どうしよう、何かしないと、駅へ向かう足取りが、昨日までの迷いのなさとは打って変わってふらふらになった。

 こうして、先輩の言葉から、家に帰るまでの道のりが「華金を充実させるチャンスがいくつ残っているか」のカウントダウンになった。

 会社の近くだと誰かに鉢合わせしそうで嫌だから……そう自分と、目に見えない誰かに言い訳をして、私はいつも通り、どこにも寄らずに会社の最寄り駅の改札に吸い込まれていった。早速ここでチャンスを一つ逃す。なぜか、家から遠ければ遠いほど、華金の充実度も上がるような気がして、電車に乗り込んですぐ、ふっと現れた後悔を断ち切るように、スマホを取り出して猛烈に乗り換え駅にあるお店を調べ始めた。

 この電車を降りるまで4駅9分。華金と言われて、真っ先にお酒をイメージした。赤提灯の下がったお店なんかで、好きなだけお酒を傾け、しょっぱい味付けが染みるおつまみを流し込む。食べることは大好きだ。けど、私はお酒の味があまり好きではなかった。別に、好きなものを食べればいい。でも、金曜日の私はなぜかお酒がないと完璧ではないような気がして、完璧でないとダメなような気がして、インスタで「駅名 ディナー」で検索をかけ、飲みやすそうなお酒がある店を探した。

 あと1駅、どれもしっくりこない。当然、行きたいんじゃなくて、行きなきゃと思っているのだから、どの店もしっくりくるはずなんてない。そんなこともなんとなく分かりながら、往生際悪く画面をスクロールし続けた。

 
 乗り換えの駅名がアナウンスされ、電車を降りる。ここもそこそこ大きい駅だ。いつもは乗らない路線に乗れば、何か冒険ができるかもしれないし、駅周辺で美味しいご飯屋さんを探すこともできただろう。どうしようかな……色々な可能性に頭を巡らせながら、私の足はずっと家へ向かう路線の改札に向かっていた。また、目の前の大きいチャンスを見送った。

 金曜日はいつも、早く家で寝っ転がりたい私と、どこかへ寄りたい行動的な私との戦いだ。そしてだいたい、前者が勝つ。

 改札を抜ける。この電車に乗れば、15分くらいで家の最寄り駅に着く。最寄りは郊外の住宅地だから、おしゃれにお酒を飲める場所も、ちょっと特別なお惣菜を買えるところもない。カウントダウン終了。諦めて電車のシートに体を沈ませる。できなかったことを数えながら、ふと高1の頃、担任の先生言われたことを思い出した。

「あんた、結構やらない言い訳をするよね」

 そうだ、私はずっと、怠惰な自分をコントロールできずに、様々なチャンスを掴み損ねてきたのだ。金曜の2〜3時間をどう過ごすかだけで、ここまで自分を責められる私は、きっとはたから見たらバカバカしいだろうなと、本気で自己嫌悪しながら、頭の片隅で思った。

 電車が最寄り駅へ入っていく。わっと電車を降りた人たちに混じり、改札を抜ける。観念して家へ帰ろうと外へ出た時、目の前には住宅地の広い空が堂々と広がっていた。視界の右側には、オレンジとピンクが混ざったフルーツティーのような空に、綿をちぎったような細い雲がところどころで輝いている。左側では、水色の空が視界の端だけ紺色に深まって、夜の始まりを連れてきたようだ。幻想的で、懐かしくて、あたたかくて、ずっと眺めていたい空だった。

 18時に会社を出てからだいたい50分。6月、もう陽も長くなってきた。そんなことを考えながら10分弱の家への道のりをゆっくりと歩く。足取りには、戸惑いも後ろめたさもない。深く呼吸をして、この空を楽しむ時間に心が満たされていた。綺麗な空を見て嬉しい。これが、私の華金。そんな言葉が頭に浮かんで、チープかもしれないけど、でも全然恥ずかしくなかった。

 その夜、私はチェーン店でハンバーガーを食べ、帰宅後映画を見ようとして、急激に血糖値を上げてしまったために10分で寝落ちてしまう、いつも通りの金曜日を過ごしたのだった。

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