”センス・オブ・ワンダー”を保つ子育て
私たちは完璧である。
大人はもちろん、生まれたての赤ちゃんだって、完璧。
でも、そのことをみんな知らない。
知らない、、っていうより、忘れた、もしくは奪われたというのがぴったりかもしれない。
小さい子供に魔法があったらなにがしたい?と聞けば、必ず、面白い答えが帰ってくる。
では小学生に聞くとどうだろう?
大人に聞くとどうだろう?
お金が欲しい。家が欲しい。海外旅行に行きたい。かもしれないし、悲しいのは、「魔法なんてないじゃん」
という答えかもしれない。
確かに魔法の杖や魔法の呪文は映画の世界もしれない。
でも、実際に人生を心身共に豊かに生きている人たちや、幸せな世界を作り出す人や、誰もが想像しえぬ面白いことで驚かせてくれる人たちは、魔法はなくとも、どうやってやるのかもわからずに、まず「面白い世界やこと」を想像した人たちなのだ。
私たちには想像する力、夢見る力が最初から備わっている。
そしてそれは感じることから始まる。
何かをみて美しいと感じたり、面白い、切ない、悲しい、楽しい、ワクワク、不思議、ほかにも言葉にできない感覚=センスが生まれるからこそ、その感動がやがて、自分の夢みる世界に繋がっていくのだ。
そしてその感覚は当然生れつきそなわっている。
赤ちゃんが自分の手を発見して、ずっと遊んでいることや、歩き出した子供が突然道の途中で座り込んで、お花を見つめ続けたり、窓の外の風のダンスを見つめているときがそれだ。
しかし、多くの大人にはその感性はもうない。
だから、道の途中で座り込んだら、怒るし、窓の外をぼけっと見ていたら心配になる。
レイチェルカーソンの遺作である「センス・オブ・ワンダー」は、それまで環境汚染を命がけで訴えてきた彼女がきっと一番残したかったであろう言葉が詰まっている美しい本だ。
「センス・オブ・ワンダー」とは「神秘さや不思議さにさに目をみはる感性」のこと。
妖精にお願いできるなら、どうかこの感性がくならないように魔法をかけて欲しいそう。
この感性こそが、人生を豊かにするために最も重要だと。
恐れ多いが、私も同感だ。
答えのある問いを投げかけ、皆で同じように答えられるようになる教育よりも、
一人一人の持つセンスオブワンダーを新鮮に保ち続けるよう、ほんの少し手助けしていくことこそが大人の役割だと思う。
しかし、どうだろう。。この本が書かれた1965年に比べて現代社会ではこの本が書かれた頃よりも厄介だと思う。
大人になる前に、倦怠も幻滅もやってくる。
SNSで人と比べることを覚え、ゲームや動画にのめりこみ、なんでも効率化され、想像するより検索する方が早いということを幼稚園児でも知っているほどだ。
だからこそ、今こそ、教育や子育てにおける大人の役割を、大人が学ぶことが大切だと思う。
大人も失ったセンスオブワンダーを取り戻さなくてはいけない。
方法は簡単。
時間にゆとりを持ち、過剰な情報を遮断し、物質主義的な無駄なお金と時間の浪費より、自然に触れ、感じていく。
そしてそれを子供達と分かち合うのだ。
というと、iphoneは手放せないとか、都会では難しいとか、知識がないとか、虫が苦手とか、山登りは苦手とか、畑はやりたくない、とかそういう話になりそうだけど、
重要なのは完璧にこなすことではない。
それに、知識でもない。
そういう完璧主義的な部分こそ、まさに150年の教育の賜物だ。
田舎に引っ越して、電波を遮断して、
虫好きなら名前をたくさん知っていることが大事で、
星好きならたくさん星座の名前を知っていることが大事で、
音楽が好きなら、楽譜が読めて、作曲家の名前を知ってるかが大事、、、
なのではない。
大人にも子供にも本来そなわっているセンス・オブ・ワンダー。。。
これはどこにいても感じられること。
ちゃんとその扉が開いて入れば、しかるべき選択だってできるようになるんだと思う。
ぜひ小さなことからでも取り戻して見るのはいかがでしょうか????