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想像が追いつかないけれど。
最近、関西出身のSさんと知り合い、
阪神淡路大震災で被災した時の話を聞いた。
その当時、Sさんは神戸に住む小学生。
大きな揺れで目を覚ました時は、既にタンスの下敷きになっており身動きが取れなかったそう。
幸い、父親がすぐに助け出してくれ、家族全員無事だったとか。よかった。。。。。
けれど、家の中はぐちゃぐちゃ。
一歩、外に出れば、見たこともない悲惨な光景があり愕然とした、とSさん。
地震から1ヶ月間は、お風呂にも入れず、髪を近くの川で洗っていた、と淡々と話してくれる。
この時点で、もう想像が追いつかない。。。
Sさん自身、被災した日から3ヶ月間は、いまも記憶が殆どないと話していた。
一方、わたし自身は、被災した経験がない。
だから、Sさんの話に胸が締め付けられそうにはなっても、実体験のない私は、とうていSさんの気持ちを理解できるはずもなく、想像して話を聞くことしかできなかった。
でも、やっばり想像が追いつかない。
ちなみに、東日本大震災の時は、東京の高層ビルの8階で働いていた。少し揺れたかな、また地震かぁ、と思っていたら徐々に揺れが大きくなり、スカイプで韓国のスタッフと話途中にも関わらず、机の下に身を隠した。
地震が少しおさまると、勤務先が学校だったので、全学生を連れて近くの大学に避難。学生と職員みんなで、一晩、大きな大学の体育館みたいな所で過ごした。たしか、東京は震度5弱だった。
震災から半年後、岩手県の久慈市にボランティアとして足を運んだ。その当時、キャンプサークルのような団体に入っていて、そこでボランティアを募集していたからだ。私たちは、仮設住宅の敷地内に無料カフェを設営し、有志で集まった、都内のケーキ屋さんのケーキとコーヒーを振る舞った。
アクセサリー作りが得意な方は、子供たちにビーズのアクセサリーを作るワークショップを。
整体師とアロマセラピストの方は、ボディワークの提供を。
みんなで集めた比較的きれいな洋服もフリーマーケットとして、無料で提供した。
催しが終わり、私たちが帰りのバスに乗り込むと、高齢の女性の方が何度もありがとうね、ありがとうね、といってバスが見えなくなるまで、深くお辞儀をしている姿が見えた。
こんなに大変な思いをされている方が、ボランティアとはいえ、生活になに不便なく、安全なところから来ている私たちに御礼を何度も伝えてくださる姿を見て、思わず泣いてしまった記憶がある。
この女性に限らず、沢山の方からお礼を言われ、どう受け止めていいのか戸惑っていた。
それと同時に、皆さんのことを、とても他人事とは思えず、明日は我が身なのだ、と心のどこかで自分に言っていた気もする。
困っている人がいたら、手を差し伸べよう。
当たり前のことだが、いつからか、ものすごく意識するようになった。
多分、強く意識するようになったのは、自分がいじめにあった時、外国生活で心細かった時、いろんな辛かった場面で、周りの人に助けられた経験があるからだと思う。
今も、家族や友達だけでなく、いろんな人に助けてもらいながら生きている。
人に優しくされると、誰かにまた恩返ししようという気持ちになる。すると、リレーみたいに優しさは人から人へと渡され、循環していくのだろう。
防災グッズは、かなり準備している方だが、防災の1番の備えは、日頃から助け合おうという精神を養うことなのではないか、なんて真剣に思う。
能登の方も早く元通りの生活に戻れますように。。
さて、今日もまた掃除からしようかな。
皆様も平和で穏やかな1日をお過ごしください^_^