ラストマイルを担っているのは誰なのか?
突然ですが、今ラストマイルという映画の2回目を観てきました。
1回目では気づかなかった、この映画から自分が感じたことについて、書き殴ります。
このnoteはラストマイルの重要なネタバレを大量に含んでいます。
本編を観ていない方の閲覧は全くおすすめできません!
ラストマイルを観てきてください!!!!!!
お願いします!!!!!!!!!!!!
その1 自分が「不条理」側に立ってしまったことの恐ろしさ
ラストマイル初見回、私はまんまと舟渡エレナを嫌いになりました。
冒頭から綿密に張り巡らされたエレナに対する違和感が、五十嵐の「山崎の関係者かもしれない」という言葉によって確信に変わり、私たちはエレナに対して強い疑念を抱かされます。
しかしエレナは山崎の恋人ではなく、爆弾を仕掛けてもいなかった。
まんまと脚本・野木氏に騙されたのです。
ここで思い返したのが「アンナチュラル」第1話の高野島渡と、第8話の「9番のご遺体」こと町田三郎の存在です。
「敷島由果と不倫していた」「新型ウイルスを国内に持ち込んだ」などと疑われ、劇中での扱われ方が二転三転した高野島渡。視聴者はあの第1話の中で一度は高野島渡に嫌悪感を抱いたことでしょう。しかし実は高野島さんは院内感染の被害者でした。彼の死は「不条理な死」で、疑われ名誉を傷つけられたことも「不条理」です。
第8話で町田はその前科から、放火を疑われたり抗争中に逃げ込んで一般人を巻き添いにしたと疑われたりしました。視聴者はまたしても彼に疑いの目を向けてしまいました。しかし彼はあの雑居ビルを唯一の居場所として愛し、最後まで人々を守ろうとしていたのでした。彼もまた無実でありながら疑われました。「不条理」です。
高野島さんと町田さんの2人は一般市民や捜査中の警察に疑われただけでなく、私たち視聴者からも疑われています。私たちはミコトの敵である「不条理な死」に加担してしまっていたのです。「アンナチュラル」の中で私たちは罪のない人間を疑ってしまっている自分たちの心情を炙り出されました。あの鮮明な感覚を覚えているはずでした。
しかし今回またしてもエレナを疑ってしまいました。
梨本と私たちはいつの間にか「不条理」側に立っていたのです。
私はすごく怖いと思いました。ミコトが教えてくれたことをどこかに置いてきてしまったのかと自責の念に駆られました。
初見の時はUDIラボの解剖があまりにも遅いと思ってしまいましたが、私たちがエレナをしっかりと疑い、疑いが晴れた頃にミコトがやって来て「不具合の爆弾」の行方とともに私たちが不条理側に立ってしまったことを教えてくれたのかなと思いました。
その2 ベンチコートの役割
劇中でさまざまな人物が着用している銀色のベンチコートですが、途中梨本とエレナの間で妙な掛け合いがあったことに気づきました。
エレナが一度コートを梨本に渡し、立ち上がったエレナに梨本がコートを渡す。
ほんの数秒のシーンでしたが、初見の時に違和感がありました。
しかしコートと人物に着目して全編を観ると、違和感が解けました。
時系列で並べると
①5年前、五十嵐がコートを着ている。
②飛び降り直後の山崎に、五十嵐がコートをかける。
③デイリーフォンの出荷を止める梨本が着ている。
④エレナが梨本にコートを渡す。
⑤すぐに梨本がエレナにコートを渡す。
⑥コートを着て動き回るエレナを梨本が見ている。
⑦出荷が止まったセンター内でコートを着た梨本が寝転んでいる。
そしてこの後エレナは西武蔵野LCを去ります。
前後の文脈を踏まえると、ベンチコートには「問題解決の責任」のような意味合いが含まれているのかなと思いました。
五十嵐は飛び降りた山崎は心が弱い、あんな部下を持った自分は不幸だ、と山崎の飛び降りの原因を彼自身に押し付けました。
そして③〜⑥は梨本とエレナの間で責任が揺れ動いているのだと思います。エレナは山崎のことを知っているからこそ、問題を解決したいという思いがありつつ、逃げ出したいとも思っています。偽CMのことを警察に伝えるのをわざと遅らせたり、山崎佑のデータを削除したり。そんなエレナを疑ったことがきっかけで梨本も問題を解決したいと思い動き出します。「山崎佑のデータを消した犯人を探す」という業務外の仕事に取り組んだのも、エレナを疑ったからです。
でも梨本は渡されたコートをすぐエレナに返します。
そしてエレナは五十嵐と直接対決をすることになります。
次にエレナが西武蔵野LCに戻ってくるとき、コートを着ていたのは梨本でした。エレナはその時点で160億円の損害の責任を取って解雇されていて、次のセンター長は梨本であると告げます。こうしてコートの形をした「バトン」は最後梨本に渡されたのです。
私はコートが持つ「問題解決の責任」の意味合いは、山崎の飛び降りとそれに起因する連続爆破事件に限定されるものではないと思っています。それは最後の「What do you want?」という音声と共に映し出された渋谷の街並みのシーンから感じました。この映画では一貫して欲望にまみれた物流の課題を実際の社会に向けて訴えかけているように感じました。冒頭の血流のような車の流れも然り、早朝バスやトラックが動き出していく様子などもメタ的に社会に突きつけてくるような感覚がありました。そして最後コートを受け取った梨本を映して締めくくるのではなく、実際の渋谷の街並みを映し出すことによって、この「問題解決の責任」は観客側、社会に渡されるということを訴えかけてきているように思いました。
荷物をお客様に届ける最後の区間「ラストマイル」
問題解決のラストマイルを託されたのは梨本でもあり、我々観客でもあると思います。梨本はこのあとどうしていくのだろうか、と考えるだけでも我々は「問題」という贈り物を受け取っていますし、この映画を観て実際に物流に携わる人のことを想像したとしたら、問題解決に向けたラストマイルはすでに私たちに委ねられたとも言えそうです。
つらつらと書き殴ってしまいましたが、最後までありがとうございました。
私はしばらく伊吹藍の沼にいます。探さないでください。