大人になれなかった子供たち VS AI
SNSでの緩い繋がりに慣れ親しみ過ぎて
自分勝手な生き方しかできない
"大人になれなかった子供たち"が
これから急増していくと思っています。
「ありのまま」
を勘違いし、
協調性や気配りが
一切できず
自分のことを好きな人
自分を認めてくれる人としか繋がれず
自分の意見しか通用しない
狭いネットの世界で暮らすことを
余儀なくされた見た目は大人の子供たちが
今後、増えていくと私は感じています。
理由はー
多様性により不正解が
なくなったからです。
正解よりも
なくなると面倒くさいのが
不正解の方です。
正しさが分からなくても
間違いさえ起こさなければ
人に迷惑かけず、
暮らしていけるので
まだいいんですが、
不正解が明確でなくなると
間違いを頻繁に起こす人が出てくるので
これが厄介なんです。
何が正しくて
何が間違っているのか?
は"人による"という見解が
新たしく生まれたことで
自己責任であれば犯罪以外、
何をしてもいいという
そういう社会構造になってきています。
・勉強しろ!
・働け!
・ボーッとするな!
が「正解」じゃなくなったことで
誰も他人に自分の正解を
強要することができなくなり
それによって人と
無理に競争しなくて
よくなったんですがー
共通の目標や目的がなくなることで
生きる意味を見出せず自殺したり
自暴自棄になったり、
自制心がない人ほど快楽に溺れ
どんどん落ちこぼれていっている
そんな印象です。
・約束が守れない
・話が通じない
・理解できない
・すぐ感情的になる
こういった人については
積極的に自分で学ぶことを
しない傾向にあるので
YouTubeやInstagramといった
動画や写真しか見なくなり
どんどん情報が偏っていきます。
そういう偏った情報を取っている人ほど
自分の都合の良いように全て解釈し、
自己主張も強く
人とよく揉めるし
問題を起こしやすいです。
一般的な社会では
もう暮らせない。
誰の意見にも絶対従わない。
そういう人、
ネットにいっぱいいますよね。
増えてきていますよね。
ここで出番になるのが
AIです。
AIによって私たち人間は
あまり考えなくていいようになります。
思い出したり探したりすることが減ります。
つまり最速で答えに辿り着けるんです。
面白い本を教えて!
ってなると青くて痛くて脆いを
Amazonを通じて勧めてくれたり、
気分が上がる音楽を教えて!
ってなるとNiziUを
今すぐiTunesでかけてくれます。
動画や写真の情報だけで
自分が「したい」と思うことを
アウトプットしていくだけで
恐怖や不安は減り、
どれだけ思考停止状態であっても
AIがサポートしてくれれば
それなりに楽しい人生を
送れるようになります。
超面倒見の良い
生涯の家政婦ができたと
思ってもらったら
分かりやすいと思います。
AIとはそういうものです。
AIがいることで
あまりお金がかからなくなるし、
余計な友達もいらなくなります。
ネットがあればもう十分。
一生見続けても終わらない番組、
コンテンツが今はネットに
無数にありますから、
それを見てTwitterで同じ価値観の人と
話をして面白がっていればいいわけです。
AIによって読み書きができない人も
何不自由のない生活が実現していくんですが
ただー
「快楽」を優先する人と
「幸福」を優先する人とでは
極端に「充実度の質」が
変化してくると思っています。
快楽を優先する人は
平穏な日常を大事にして
目の前の気持ち良さを追求し、
幸福を優先する人は挑戦を大事にし
未来のなりたい自分を追求します。
この差によって、
AIに頼りきりの生活になるか
AIをうまく活用する生活になるか
大きく分かれるでしょう。
前者は社会的価値が低く
決まった所得で
暇つぶしをして暮らす人。
後者は社会的価値が高く
所得をコントロールしながら
自己実現をしていく人。
どちらが良いとか悪いとかの話ではなく
幸せの種類が異なる人がもう実際にいて
見た目は同じ人間なんですが
情報処理量に圧倒的な差があり、
生活スタイルが大きく異なります。
AIに与えらる情報で
快楽を満たすのか?
それとも…
AIの力を利用して
常に新しい価値を作り
自分で自分を幸せにするのか?
ここがAI時代を生きる人間の
人生の分かれ目になってきそうです。
今回の話はただただ
思い付きのメモであり
私の妄想です。
最後までお付き合いいただき
ありがとうございます。
かりそめ