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「あの頃に戻りたい」なんて、言わないよ、絶対

 私の仕事は在宅請負業、いわゆる内職おばばです。

 音声をもとに文書データをつくる、いわゆる「文字起こし」「反訳」と言われる仕事を中心にしております。
 “デビュー戦”は1992年2月、北関東にあるダムに関する委員会の会議録調製でした。
 前職が地方議会速記士だったので、仕事の性質はかなり近いものでしたが、実際に着手してみると、たった60分の書き起こしに、ちょっと大きな声では言えない時間数を要し、力不足を痛感したところです。

 今回は、「音声はテープ録音(時にはオープンリールからのダビングなんてことも…)」「入力はワープロ」「調べものは図書館頼み」だった1990年代からゼロ年代初期について、ちょいと回顧してみたいと思います。


まずはカセットテープから


 私は現在の仕事を開始した当時は、カセットテープを普通のプレイヤーで再生し、いちいち手で止めながらワープロ入力していたので、効率の悪いことこの上ないものでした。
 しかも、ごく普通の録音機能つきのプレイヤーだと、テープの爪が折られていない場合、あやまって上から別な音声を録音してしまう可能性もあるので、ほぼ危険物取り扱いのような状態でした。

 爪が折られた後でもセロハンテープを貼れば爪の代わりをしてくれるのですが、そもそも人様からお預かりしたテープの爪を勝手に折るわけにもいきません。
 テープは一回使い切りではなく、何度も重ね録りするのが通常でしたから、爪が折られた状態の音源をもらうことはあまりありませんでした。
 これは自治体(当時の主な「お得意様」)によっても微妙に違うかもしれませんが、少なくとも、議会事務局勤務の時代、音源を提供していた側も経験したので、「爪を折ったことはほぼない」ということだけは言えます。

 1994年からお付き合いを始めた速記事務所の方からフットペダルのついた再生専用機を借りられるようになり、テープの悩みは解決。作業効率もかなり向上しました。

不審点への対処


 問題は、不審点や聞き取りのできない点が生じた場合の対処法です。

 今ならきちんと聞き取り、ネット検索の仕方さえ間違えなければ、かなり精度の高い入力が可能になりますが、我が家にネット環境らしきものが導入されたのは1999年。
 それも最初の2年は「WebTV」といって、テレビと電話回線を利用し、リモコンを使って五十音表から字を拾うという「こっくりさん」のごとき操作するタイプだった上(別売のキーボードが2万円くらいしたので)、月30時間という制限付きでしたから、常時接続など夢のまた夢でした。
(さらに、後に15時間に短縮され、しかも1分当たり7円の実費!)

 上限に達すると、やむなくネットカフェを利用することもありました。

 初期設定をしにきた担当者が「Q」の小文字「q」を「g」と勘違いして入力に難儀したり、初手から雲行きの怪しさもありましたが、話題の「いんたーねっと」というものができるというので、振り返れば、私も旦那もあのときは結構バカになっていたなあと思います。

 固定費自体も数千円かかっている上に、通信費が実費ですから、今にして思うと、必要なときだけネットカフェに行く方がまだ安く上がっていた気もします。
 もっとも当時のネットカフェも、利用料金はそこそこ取る割に、円卓の上にぐるりとPCが並べられ、お隣とのパーテーションも満足になく、飲み物もコーヒーとオレンジジュース程度(notドリンクバー)という代物でした。

 PC自体は私の仕事用に97年から使っていたものの、なぜかネット接続というものを全く考えず、2001年1月にネット用にもう一台PCを買ってダイヤルアップ式、同年7月にISDNに切り替え、ようやくそこそこまともなネット環境が手に入りました。

 2006年にひかり電話の工事をするまでは、当時始まったデジタル音源の受け取りにも何時間もかかる有様でしたから、2006年は、ほぼ今と同じ作業環境を手に入れた元年ということになります。

 参考までに、使用音源の変遷は次のとおりです。

 ◆~2003?年頃
 カセットテープ
 ◆2004年~2008or9年
 カセットテープとデジタル音源併用
 カセットはいったんMDにダビング
 稀にMDによる音源提供あり
 文字起こし用音声再生ソフト「おこしやす」の利用は2004年から
 ◆2010年前後?
 デジタル音声に完全移行
 ただしネットでの送信ではなく、USBメモリ格納でやりとり
 ◆2014年頃から
 メール添付やクラウド利用――現在に至る

セルフ引用

テクノロジー万歳!


 閑話休題。
 では、ネット導入以前はいかにして不審点の検索をしていたか?もちろんというべきは何というべきか、専ら図書館、それも資料室頼みでした。

 ベタ打ちしたものをプリントアウトして赤ペンを入れるか、別途メモったものを持って資料室に駆け込み、それらが載っていそうな本(専ら事典系)を片っ端から当たるのです。
 かといって、いつも正しく聞き取れているとは限らないので、「このように聞き間違えているかもしれない」という可能性のある「音」も併記し、第一候補で見つからないときは、第二、第三候補で探したりします。
 聞き間違いの可能性を考え、別の角度からというのは現在のネット検索にも通じるものがあります。

 最近は図書館自体と縁が薄くなってしまったので、詳細は分かりませんが、当時の郡山市中央図書館資料室といえば、持ち込めるのは筆記用具とノートくらい。そして大変静かな空間でした。
 1人用の学習机タイプのブースもがあったので、教科書や学参を持ち込んで普通に「勉強」で長く滞在する人を阻止するためでしょう。

 時に幼児(長女)同伴で行かざるを得ないこともあり、「しずかにごほんみててねー」と入室前から言って聞かせ、受付で「少しでもぐずったら即刻退室します」と言い置いて、n歳女児を含む多くの皆々様の協力のもと、やれ日本地名大辞典(字名調べ)だ、全国タウンページ(固有名詞調べ)だ、土木用語事典だと動き回り、なんだかんだでいつも30分程度で何とかなりました。

 専門用語が続出するような案件があまりなかったおかげでもありますが、人間ある程度制限をかけられた方が、頭を使って効率よく動く工夫をするようです。
 だからといって、今あのときのような作業環境に戻されるのはまっぴらですけどね。
 テクノロジー万歳!です。

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