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「生きていて、愛を知らない者を哀れみなさい」〜ハリーポッターやっと読了

2023年は、ここ5年で最も小説を読んだ年になりました。10数年振りに出会えた「昔日の客」もしかり。

でも2023年におけるわたしの一大読書トピックは、あのハリーポッターシリーズをようやく読み終えたことでした。

なぜこんなに時間かかったかというと、すらすら読めやしないのに英語で読んでいたから。それでも最終巻の6巻までは頑張って読み進めていましたが、7巻の冒頭でとん挫。そのうち読もう読もうと思っている間に、仕事や資格取得にいそしむ毎日で、ハリーポッターから遠ざかっていったのでした。月日が経過することかれこれ10年近く。

再開のきっかけは、夏のハリーポッターと不死鳥の騎士団のTV放映でした。としまえん跡のハリーポッタースタジオツアーの影響もありますね。

原書と日本語訳

紙の本もあるけどハリーポッターならkindleで買ってもいいや、とkindleで漁ると、なんとkindle unlimitedの本なんですね。ありがたや。
おかげさまで分厚い本を持ち運ぶことなく、通勤中にkindleで読み進めることができました。さらに10年前からの時代の進化で翻訳アプリが大変貌を遂げたので、この文明の利器を大いに活用しちゃう。専門用語や造語が多いものの、こなれた日本語で翻訳してくれてアプリの使い勝手を実感しました。
それでも理解できない部分は日本語訳の「死の秘宝」も読んだけど、理解が進んだかというとそうでもなく。やはりニュアンスは英語のほうがイメージしやすく、文体の脚色に惑わされずシンプルに読めました。日本語の文体が児童書向けなのと、一人称が「俺様」「我輩」といった勧善懲悪パターンなので、原書で読み進めたときに感じたイメージとギャップがありすぎました。

似た者同士4人を分けたもの

スネイプの正体はなんとなく察していたものの、ダンブルドアの奥深さが想像以上。けっこう腹黒く狡猾な面もあるし(スリザリンの素質もあるのでは)、権力や功名心に身を滅ぼしそうになった結果、身近な大事な人を失った過去は痛ましい。

ヴォルデモート、ダンブルドア、スネイプ、ハリーは似た者同士のように思います。
彼らの運命を分けた分岐点は、「誠実さ」とか、ダンブルドアの言う「愛」なんでしょう。「誠実さ」「勇気」「愛」。

そうだ おそれないで みんなのために
愛と勇気だけが ともだちさ
あ あ アンパンマン やさしい君は
いけ!みんなの夢まもるため

「アンパンマンのマーチ」作詞 やなせたかし

ぴったり。
自分の残酷な運命を悟っても身を捧げに向かうハリーには、アンパンマンのマーチがもうぴったり。

あと一つ脳裏をかすめたのは、「孤独」への不安と「愛」の関係性を示したエーリッヒ・フロムの「愛するということ」でした。

愛することを知っているか否かで、彼ら4人の運命は変わっていったんだと思うとおもしろい。スネイプやハリーは、今風にいうとネグレクトされた孤独な子どもだったけど、2人とも自らが愛することで孤独から身を遠ざけることができました。

おもしろいのがダンブルドアで、愛よりも自分の栄光を夢見て自分本位になった結果、ヴォルデモートと近い状態になりかけたという点。愛する人の愛だけが欲しかったスネイプのほうがよっぽど純粋でシンプルだと思います。ともあれ、ダンブルドアももともとは愛を知っていて、その愛を失った孤独の怖さを実体験として得たことが、ヴォルデモートとの違い。ヴォルデモートは、愛ではなく己の力を強めることで(=他人を支配)ずっと孤独を遠ざけてきて、愛なんかなくても生きてけるわボケって思い続けて破滅。
こうしてみると意外とヴォルデモートに近かったのは、スネイプよりもダンブルドアだったんじゃないかと思ったり。そして、母リリーの無私の愛を受け継いだハリーが、最も高度なアンパンマンの精神を持ちます。

ハリーポッターの小説が書かれた時代は、9.11の同時多発テロ事件が起こってアメリカによるアフガニスタン侵攻、イラク戦争が起こった時代でした。
ヴォルデモート復活を主張するダンブルドア陣営と、噂をもみ消す魔法省陣営の対立は、「悪の枢軸国」と名指しで批判したブッシュ政権を彷彿とさせたし、アンブリッジの拷問まがいの居残り罰、傀儡政権による学校運営はナチスドイツのようだったり。

小説は、現実を映す鏡でもあり、本質を捉えるツールでもある。ハリーポッターはその点を深く感じた作品でした。

そして、戦争がなくならないどころか増えたという残念な2023年を終え、今年こそ膠着から脱してほしいと願う2024年です。



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