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人間の尊厳性を取り戻そう。

『養生訓』という言葉を聞いたことがある方は多いと思います。貝原益軒が一般市民向けに養生の知恵についてまとめた本で、江戸時代のベストセラーだったと言われています。

養生訓巻第一の1、つまり養生訓の一番初めに、「人間の尊厳性」についてこう書かれているそうです。

人の身は父母を本とし、天地を初とす。天地父母のめぐみをうけて生れ、又養われたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし・・・

貝原益軒は儒学者でもあったようで、この養生訓の考え方は中国思想がその土台になっています。ということは東洋医学にも繋がっているということです。

「人間の尊厳性」と言いながら、自分の身は私のものにあらずっていうのが面白いなと思います。
「個人の尊厳」というのをネットで調べてみると、【全ての個人が互いを人間とする法原理】と出てきました。人権とかはこうした考え方と共にあるものなのだと思います。
【全ての個人が互いを人間とする】ってなんか独立、自立しているという印象を受けますが、養生訓の言う尊厳性とは違うように思います。

東洋医学には、天人合一思想というのがあります。人と自然は一体である、という思想です。これを自覚することが尊厳性につながると益軒は言っているのです。
広大な宇宙があり、その中に地球があり、そこに父母がいたから、自分が生まれてきたのです。これは人間の知識や知恵で説明することは不可能な神秘なのです。
科学が発達した現代ではこの神秘性を見落としがちです。

もちろん、生物学的に説明することはできます。
父親と母親の遺伝子が合わさって1個のDNAとなり、それが細胞分裂を繰り返して個体となり生まれてきたのが僕たちです。
でもそれは現象を説明しているだけであって、なぜそうなのかという問に答えるものにはなっていません。
なぜDNAなんてものがあるのか?なぜ1個の細胞から数々の組織に分化するのか?こればっかりは、人知を超えた何かが仕組んだものだと思わざるを得ません。

そこはもう、神秘として受け入れるしかありません。
その神秘的な力によって僕たちは命を与えられたのです。それと同時に尊厳性も与えられたということです。
尊厳性は互いに認めるものではありません。自然から与えられたものなのです。与えられたものだから、これを全うするのが人間の使命なのです。生きている事自体に尊厳性が宿っているのです。
養生訓にはその続きにこう書かれています。

・・・先ず古の道をかうがへ、養生の術をまなんで、よくわが身をたもつべし。是人生第一の大事なり。人身は至りて貴くおもくして、天下四海にもかへがたき物にあらずや。然るにこれを養なふ術を知らず、慾を恣にして、身を亡ぼし命をうしなふ事、愚なる至也。・・・
・・・いのちながきは、尚書に、五福の第一とす。是万福の根本なり。

人はどうしても体より精神が先行するので、体に悪いことも平気でやってしまいます。暴飲暴食や夜ふかしなど、良くないと思いつつもやってしまうのが人間というものです。
自然から生まれた命は、自然に逆らうと必ず不調を起こします。自然に逆らわず自分の体を養うのが養生であり、それは長寿を全うする術であり、人間の尊厳性を取り戻す術なのです。

生まれてきたからには、与えられた命を全うしなくてはならない。
患者さんの健康を守るのが僕たち医療従事者の役割であれば、こうした東洋的な思想も必要だと感じます。病になってから病を特定し治療をするという現代医療が見落としてきたところでしょう。
いずれ鍼灸師として働くにあたって、この東洋の思想、養生の思想は大事にしていきたいと思います。

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