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ベトナムとカンボジアで本当に”大事なこと”が見つかったような気がする!



 

こんな記事を書きました。

一言で言うと、「ベトナム・カンボジアの人たちはゆる〜く生きているよ。『頑張って』も無駄だから、ゆる〜く生きるか『頑張る』の意味を捉えなおそうぜ!」

っていう記事です。

今回はこの記事で述べたことを前提に、僕の専門である教育に落とし込んでいきます。それではよろしくお願いします!!



唐突ですが、まずこの質問から始めさせてください。



みなさんは「普通の日本人」ですか??

「普通の日本人」とはどんな人物なのかを相棒に聞いてみました。

「普通の日本人」と聞いて連想される人物像は、多くの日本人にとって共通する一般的な特徴を持つ人を指すことが多いです。以下にそのような人物像のいくつかの特徴を挙げます。

### 日常生活の特徴

1. **働く姿**:
- 一般的な会社員として、規則的な勤務時間を守り、週5日働く。
- オフィスで働くことが多く、スーツやオフィスカジュアルな服装をしている。

2. **家庭生活**:
- 家庭を持ち、子供がいる場合も多い。
- 休日には家族と過ごし、家事や育児に参加する。
- 地域活動や子供の学校行事に参加することもある。

3. **食事習慣**:
- 和食中心の食生活をしている。
- ご飯、味噌汁、焼き魚や煮物などが日常的な食事。

4. **趣味・余暇**:
- 休日には家族や友人と過ごす。
- 読書、テレビや映画鑑賞、スポーツ観戦などが趣味。
- 時々旅行に出かけたり、温泉に行ったりする。

### 性格・価値観の特徴

1. **礼儀正しさ**:
- 他人に対して礼儀正しく接する。
- お辞儀や敬語を使って丁寧に話す。

2. **集団意識**:
- 社会や職場、地域コミュニティにおける協調性を重視する。
- 自分の意見を主張しすぎず、和を大切にする。

3. **勤勉さ**:
- 勤勉で真面目に仕事に取り組む姿勢を持つ。
- 定時までしっかり働き、仕事に責任を持つ。

4. **控えめな態度**:
- 自己主張が強くなく、謙虚な態度を保つ。
- 他人に対して配慮し、慎重に行動する。

### 社会的な特徴

1. **教育背景**:
- 高校卒業後、大学や専門学校に進学することが一般的。
- 教育を重視し、自分や子供の学習に関心を持つ。

2. **社会参加**:
- 選挙や地域活動に参加し、社会の一員としての役割を果たす。
- 交通ルールや社会的な規範を守る。

### 例
例えば、「普通の日本人」と聞いて連想する具体的な人物像は次のようなものです。

- 都市部で働くサラリーマンの男性。平日はオフィスで働き、週末は家族と過ごす。趣味はスポーツ観戦や読書。
- 地方都市に住む主婦。子供を育てながらパートタイムで働き、地域の行事や学校行事に積極的に参加する。和食中心の食事を作る。

これらの特徴は、あくまで一般的なイメージであり、個人差があります。日本は多様性のある社会であり、さまざまなライフスタイルや価値観を持つ人々がいます。


・・・これ見た後、とても自分は「普通の日本人ですよ」とは言えません笑
だけど、不思議と「これが普通の日本人だよね〜」って思えます。

 実はみなさんもそうなんじゃないでしょうか?自分はそうじゃないけど、自分以外はこんな感じのイメージっていう。

 僕が見てきた”普通”のベトナム人は、普通に交通違反して普通にポイ捨てをして、普通に仕事をサボるような人たちでしたよ笑

 これらから何が読み取れるかというと、日本人は「普通のレベルが高すぎる」ってことです。

 相棒が示してくれたような人物が”普通”である日本。これが”普通”になるために、一体どれだけのことを積み上げ、どれだけ「頑張って」きたことでしょう。

 そしてどれだけの人がドロップアウトしてきたことでしょう。

 知ってましたかみなさん。

 日本は、子供の頃から、”普通”になるために身につけなきゃいけないことがめちゃくちゃ多い国なんです。

 僕は知りませんでした。

 身につけることがめちゃくちゃ多い日本では、子供の頃からめちゃくちゃ「頑張る」必要がある。そして、子どもにそんな力を身につけさせなきゃいけないもんだから親はもっと「頑張る」必要がある。それは教師も同様で、子どもを”普通”にするために定額働かせ放題で「頑張る」必要がある。

 これが日本の”普通”です。そして、子供の頃からこんなに頑張っている日本は幸福度が低い。

「何じゃそれ!」

 って思いませんか!??

 

 僕が今回議論したいのは、そんな”普通”になることを目指す教育の是非についてです。

 相棒が示してくれたような人物像が”普通”の日本は紛れもなく素晴らしい国です。僕はめちゃくちゃ誇らしいです。

 でも、あれもこれも身につけさせ、”普通”にするための教育の中で見落とされている、本当に”大事なこと”はないでしょうか?? 

 僕はそれをベトナムとカンボジアで見つけてきたような気がしています。ここを今回の記事の論点にさせてください。

 では結論から先に言います!僕が見つけてきた、本当に”大事なこと”は礼儀正しいことでも、和を重んじることでもなく、





心の底から「ありがとう」と言えること




なのではないでしょうか。



実は超高レベルなことが”普通”になっている日本では、この「心の底からのありがとう」が決定的に不足しているように見えます。 

交通マナーをほとんどの人が守っているのも

町にゴミが全然落ちていないのも

店員さんが笑顔で接客してくれるのも

全くもって”普通”のことじゃないんです。多くの人が、「めんどくさい」って気持ちに負けずに、意識的に「頑張って」くれているから以上のような状況が成立しているのです。

これは家庭や学校でも言えて、

子どもが静かに授業を受けているのも

子どもが廊下の右側を静かに歩いているのも

保護者が三者面談に来てくれるのも

保護者が学校に入学できるくらいまで子供を育ててきたことも

先生が保護者の代わりに教育を行っていることも

何一つとして”普通”なんかじゃなく、全てが「有り難い」ことなんです。


こういう主張をしている人に

「それが役割なんだから”普通”だろ」

と批判をする人がいます。そんな人に僕はこう言いたいです。

「あなたはとっても頑張っている人なんですね✨。いつも社会のために、自分以外の誰かのために頑張ってくださってありがとうございます☺️ 自分のことも大切にしてあげてくださいね!」





 ベトナム・カンボジアでは「心の底からのありがとう」がたくさん見られます。

 「シンカモン!☺️」 「オークン!☺️」と、眩しいくらいの笑顔を添えて。

 さらに、現地では「ありがとう」って言ってくれたことに対しても「ありがとう」が返ってきます。

 僕はそれがたまらなく素敵に思えました。この人達に何か返せることはないかと、自然とそう思いました。それは「”普通”だから」、「役割だから」といった義務感を伴うようなものでは全くありませんでした。

 日本でも「心の底からのありがとう」が増えれば、もっとたくさんの人が生き生きと幸せに生きられるようになるんじゃないかなって思ったところです。

 これらのことから、僕は「心の底からのありがとう」を言えるようにすることこそが、日本での”普通”を身につけさせることよりはるかに大事であると結論づけました。



 ここで以下のような反論が考えられます。

 「心の底からのありがとう」を強要することこそ、「ありがとう」の価値を下げるのではないか?

 という反論です。

 これマジでその通りだと思っています。

 よく学校であるのが、「ありがとうってたくさん言えた人にはシールをあげる」みたいなやつなんですが、僕はこれこそ「ありがとう」の価値を下げる教育だと思っています。

 じゃあどうやって「心の底からのありがとう」を身につけさせるか。

 めっちゃ簡単です。

 僕たち大人が「心の底からのありがとう」をたくさん子どもにかけてあげれば良いんです!

「今日も全員揃ったね!みんな学校にきてくれてありがとう!先生嬉しいです☺️」

「挨拶してくれて嬉しかったよ!元気が出ました!ありがとう!☺️」

「先生が前アドバイスしたことを実践してくれたんだね!嬉しいです!ありがとう☺️」

 って、本当に心の底からそう思って伝えてあげればいいんです。

 心の底からのありがとうであれば、ありがとうの価値を下げることにはなりません。ならないはずです!


 え?

 

 「どうしたら。心の底から思えるようになるの?」ですって??



 

ぜひベトナム・カンボジアに行ってみてください!!☺️






 余談です。僕には一つ夢というか、趣味というか、やりたいことができました。

 それは、

 世界中の「ありがとう」をコレクションすることです。そしてそれを教室に掲示するんです☺️

 そして、教室にはれる条件に縛りを課します。それは、

 「現地に行って実際に使いまくること!」

 です。今回で「シンカモン(ベトナム)」「オークン(カンボジア)」が掲示できるようになりました。

 よ〜し、今後もいっぱい海外旅行行かなきゃですね!!今から楽しみです!


 

 


 

 

 


 







 

 

 


 

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