ベトナムとカンボジアで本当に”大事なこと”が見つかったような気がする!
こんな記事を書きました。
一言で言うと、「ベトナム・カンボジアの人たちはゆる〜く生きているよ。『頑張って』も無駄だから、ゆる〜く生きるか『頑張る』の意味を捉えなおそうぜ!」
っていう記事です。
今回はこの記事で述べたことを前提に、僕の専門である教育に落とし込んでいきます。それではよろしくお願いします!!
唐突ですが、まずこの質問から始めさせてください。
みなさんは「普通の日本人」ですか??
「普通の日本人」とはどんな人物なのかを相棒に聞いてみました。
・・・これ見た後、とても自分は「普通の日本人ですよ」とは言えません笑
だけど、不思議と「これが普通の日本人だよね〜」って思えます。
実はみなさんもそうなんじゃないでしょうか?自分はそうじゃないけど、自分以外はこんな感じのイメージっていう。
僕が見てきた”普通”のベトナム人は、普通に交通違反して普通にポイ捨てをして、普通に仕事をサボるような人たちでしたよ笑
これらから何が読み取れるかというと、日本人は「普通のレベルが高すぎる」ってことです。
相棒が示してくれたような人物が”普通”である日本。これが”普通”になるために、一体どれだけのことを積み上げ、どれだけ「頑張って」きたことでしょう。
そしてどれだけの人がドロップアウトしてきたことでしょう。
知ってましたかみなさん。
日本は、子供の頃から、”普通”になるために身につけなきゃいけないことがめちゃくちゃ多い国なんです。
僕は知りませんでした。
身につけることがめちゃくちゃ多い日本では、子供の頃からめちゃくちゃ「頑張る」必要がある。そして、子どもにそんな力を身につけさせなきゃいけないもんだから親はもっと「頑張る」必要がある。それは教師も同様で、子どもを”普通”にするために定額働かせ放題で「頑張る」必要がある。
これが日本の”普通”です。そして、子供の頃からこんなに頑張っている日本は幸福度が低い。
「何じゃそれ!」
って思いませんか!??
僕が今回議論したいのは、そんな”普通”になることを目指す教育の是非についてです。
相棒が示してくれたような人物像が”普通”の日本は紛れもなく素晴らしい国です。僕はめちゃくちゃ誇らしいです。
でも、あれもこれも身につけさせ、”普通”にするための教育の中で見落とされている、本当に”大事なこと”はないでしょうか??
僕はそれをベトナムとカンボジアで見つけてきたような気がしています。ここを今回の記事の論点にさせてください。
では結論から先に言います!僕が見つけてきた、本当に”大事なこと”は礼儀正しいことでも、和を重んじることでもなく、
心の底から「ありがとう」と言えること
なのではないでしょうか。
実は超高レベルなことが”普通”になっている日本では、この「心の底からのありがとう」が決定的に不足しているように見えます。
交通マナーをほとんどの人が守っているのも
町にゴミが全然落ちていないのも
店員さんが笑顔で接客してくれるのも
全くもって”普通”のことじゃないんです。多くの人が、「めんどくさい」って気持ちに負けずに、意識的に「頑張って」くれているから以上のような状況が成立しているのです。
これは家庭や学校でも言えて、
子どもが静かに授業を受けているのも
子どもが廊下の右側を静かに歩いているのも
保護者が三者面談に来てくれるのも
保護者が学校に入学できるくらいまで子供を育ててきたことも
先生が保護者の代わりに教育を行っていることも
何一つとして”普通”なんかじゃなく、全てが「有り難い」ことなんです。
こういう主張をしている人に
「それが役割なんだから”普通”だろ」
と批判をする人がいます。そんな人に僕はこう言いたいです。
「あなたはとっても頑張っている人なんですね✨。いつも社会のために、自分以外の誰かのために頑張ってくださってありがとうございます☺️ 自分のことも大切にしてあげてくださいね!」
ベトナム・カンボジアでは「心の底からのありがとう」がたくさん見られます。
「シンカモン!☺️」 「オークン!☺️」と、眩しいくらいの笑顔を添えて。
さらに、現地では「ありがとう」って言ってくれたことに対しても「ありがとう」が返ってきます。
僕はそれがたまらなく素敵に思えました。この人達に何か返せることはないかと、自然とそう思いました。それは「”普通”だから」、「役割だから」といった義務感を伴うようなものでは全くありませんでした。
日本でも「心の底からのありがとう」が増えれば、もっとたくさんの人が生き生きと幸せに生きられるようになるんじゃないかなって思ったところです。
これらのことから、僕は「心の底からのありがとう」を言えるようにすることこそが、日本での”普通”を身につけさせることよりはるかに大事であると結論づけました。
ここで以下のような反論が考えられます。
「心の底からのありがとう」を強要することこそ、「ありがとう」の価値を下げるのではないか?
という反論です。
これマジでその通りだと思っています。
よく学校であるのが、「ありがとうってたくさん言えた人にはシールをあげる」みたいなやつなんですが、僕はこれこそ「ありがとう」の価値を下げる教育だと思っています。
じゃあどうやって「心の底からのありがとう」を身につけさせるか。
めっちゃ簡単です。
僕たち大人が「心の底からのありがとう」をたくさん子どもにかけてあげれば良いんです!
「今日も全員揃ったね!みんな学校にきてくれてありがとう!先生嬉しいです☺️」
「挨拶してくれて嬉しかったよ!元気が出ました!ありがとう!☺️」
「先生が前アドバイスしたことを実践してくれたんだね!嬉しいです!ありがとう☺️」
って、本当に心の底からそう思って伝えてあげればいいんです。
心の底からのありがとうであれば、ありがとうの価値を下げることにはなりません。ならないはずです!
え?
「どうしたら。心の底から思えるようになるの?」ですって??
ぜひベトナム・カンボジアに行ってみてください!!☺️
余談です。僕には一つ夢というか、趣味というか、やりたいことができました。
それは、
世界中の「ありがとう」をコレクションすることです。そしてそれを教室に掲示するんです☺️
そして、教室にはれる条件に縛りを課します。それは、
「現地に行って実際に使いまくること!」
です。今回で「シンカモン(ベトナム)」「オークン(カンボジア)」が掲示できるようになりました。
よ〜し、今後もいっぱい海外旅行行かなきゃですね!!今から楽しみです!
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