見出し画像

日本人、そんなに頑張んなくていいよ。てゆーか、頑張るの意味を捉えなおそう! 〜ベトナム・カンボジア観光を終えて〜


 さっき日本に帰ってきて、ちょっと落ち着いたのでnoteを書いています。旅の余韻に浸っていて思い浮かんだのは、

 ・交通マナー全然守らない人々
 ・ごみすぐにとっちらかす人々
 ・仕事中にスマホ触ったり、おしゃべりに興じたり、ご飯食べている人々
 ・半裸で徘徊しているおじさん達

 など、愛すべき現地の方々の姿です笑

 そんな人たちに比べて日本人ときたら・・・。何もかもきちっとしています。そのお陰で公共交通機関は時刻通り動きますし、街は清潔です。改めて日本ってすごい国だなって思いました。

 「歴史を学ぶことの意義は、現代がどんな時代なのかを知り、課題を知るためだ」と言いますが、海外旅行も同じように言えるでしょう。

 「他国を知ることは、自国がどんな国なのかを知り、課題を知るためだ」と。僕はベトナムとカンボジアをみている様で、実は日本の姿を見ていたのかもしれません。

 そして見えてきた日本の課題ですが・・・。目に見えるものはほとんどない様な気がします。「交通マナーが悪い」「治安が悪い」みたいに一目瞭然な課題は全くと言ってほど見えてきません(他国と相対的に比較した場合)。

 ただ、完璧が故に感じる不気味さがあります。「なぜそんなことが可能なのか?」「みんな無理してないか?」「みんな頑張りすぎてないか?」そんな心配をしてしまいます。

 ベトナムやカンボジアで見たような、ちょっとだらしない姿がより人間の本質に近いのだと仮定してみます。そうした場合、日本人からはそんな人間らしさ(本質)があまり見えてこない。あまりにも禁欲的に、頑張りすぎているような気がするというのが不気味さの正体なのではないでしょうか?

 そしてその「頑張り」ですが、どうも「頑張っている様に見える頑張り」なんですよね。楽しくて頑張っている人は頑張っている様に見えません。でも、日本人は楽しくなくても頑張ることができます。忍耐をもって頑張ることができます。この、「嫌なことも忍耐して頑張ることができる」という国民性こそが、頑張りすぎているという懸念につながり、不気味に見える原因になっているのではないかと思っています。

 「嫌なことも忍耐して頑張ることができる」。これだけであれば、何も言うことの無い日本の素晴らしい美点となるでしょう。でも「忍耐」ってどう考えても心と体に悪いじゃないですか?なのにそれを、「どんな時にでも」「誰もが」行わなくてはいけないという雰囲気があるのが日本です。不気味さの正体はここなのではないかと思います。「仕事は辛くて当たり前」「学校は厳しくて当たり前」というのが当たり前のように罷り通るのも、この様な雰囲気が原因なんじゃ無いかって思うんですよね。な訳ねーのにですよ。

 要は、「頑張り」=「嫌なことを耐え忍ぶもの」になっているのが問題だと思うんですよ。逆に、「楽しそうに熱中している」=「頑張り」にならないのが日本の面白いところです。

 楽しそうに頑張れるならそれでいいじゃないですか。楽しそうにして結果が出るならそれでいいじゃないですか。「嫌なことを耐え忍ぶこと」は手段であって目的じゃないんですよ〜。もっとお気楽にいこうぜ〜〜。ベトナム・カンボジアに行って、そう思いました。

 彼らは波に乗るのが上手に見えます。結果が出る時は、お気楽にやっても結果が出るのです。それがわかっていて、(多分わかってないけど)お気楽にやっているのだと思います。

 昭和の時代にどんどん経済が成長していて、今経済が停滞しているのは決して上の世代が「24時間働いた」からではなく、下の世代が甘ちゃんだからとかじゃなく、昭和の時代に波が来ていて、今は来ていない。それだけなのではないでしょうか??

 今は波が来ていないのだから、「頑張らないと」いけない雰囲気に流されるだけで、前に進めるわけないじゃないですか〜。だったらいっそ、波に逆らうのはやめて、適当に生きていきましょう笑
 
 パレートの法則によると、全体の利益を出すのは2割の人だそうです。そうであれば、僕を含めたほとんどの人が8割なのであって、実はそんなに頑張る必要ないんですよ〜。





 って言っても納得できないのが僕も含めた我々日本人です笑

 (納得できた人は適当に生きていいと思いますよ!これ皮肉とかじゃなくてまじでそう思っています。)

 この記事は、「適当に生きていく」ことに納得できない僕を含めた日本人のために「頑張る」の意味を捉え直しませんか?というお話です。

 「頑張る」=「嫌なことを耐え忍びながら遂行し続ける」

 ではなく、

 『頑張る』=「ワクワクすること・方法を探し出し、楽しみながら遂行し続ける」

 にしませんか??

 もう「頑張って」波に乗れる時代は終わったんです。そんなワクワクしないことはAIに任せましょう!「頑張って」もいいと思いますが、ただただ嫌なことをし続けて高確率で結果が出ないことは近年の状態見ていたらよく分かります。こっちを選ぶくらいなら僕は波に流されて適当に生きます。

 どうせなら、『頑張る』を選びませんか?周りの雰囲気や言葉に流されず、自分がワクワクすること、もしくはワクワクする方法で、粘り強く使命を果たそうとし、そこで生じた責任は自分で負う。そんな主体的な生き方を選びませんか?

 後者の『頑張る』がシナジーを生み出し、新たな波を呼び寄せるのだと思います。

 





 ベトナム・カンボジアに行ってなんだか吹っ切れました。あんな感じなのに社会が成立していることから、忍耐の意味での「頑張る」がもはや意味をなさないこともよ〜〜く分かりました。そっちの「頑張る」を選んだところで、自分をコントロールしたい人にとって都合の良い人になれるだけです。

 だからと言って、適当に生きるのも僕は嫌です。現地の人々がお店の前でスマホを見ながら怠けている姿を見て「幸せそうだなあ」とは思わなかったからです。なんだか退屈そうに見えました(気のせいかもしれません)。

 であれば僕は新しい解釈の『頑張る』を実践していきたいです。誰かにとって都合の良い存在になるのも、退屈そうに生きるのもまっぴらごめんです。

  

 

 

 


  



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?