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8/16② | #理解はしてほしいこと
#理解はしてほしいこと
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「分かるわ~🌠」
共感まではしてもらえないかもしれない。けれど、少なくとも理解はしてほしい。そんな想いを短いエッセイで綴ってみよう!という個人企画です。
16日もたくさん応募してくださった方がいます。記事のご紹介をします。
募集要項はこちら(↓)
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古墳(円墳)がある。
#理解はしてほしいこと
ゆっちさん
「ひとつのことに打ち込めない」。
「このために生まれてきたんです」というものがない。
ゆっちさんの記事に書かれていた言葉です。
私も頭の片隅に、似たような気持ちはあります。
「こんなことをするために生まれてきたんじゃない」と思うこともあります。でも、それが人間というものかな、とも思います。
たとえば、ハサミ✂️ならば、「物を切る」という目的が、クルマならば、「人や物を運ぶ」という目的がハッキリしています。そして、その目的から逸脱したこと、たとえば「人を傷つける」あるいは「殺す」ことも可能と言えば可能ですが、基本的には目的を逸脱した使用法は許されません。
生まれ落ちた瞬間の人間には、何の「目的」も「使用法」もありません。どのように生きることができます。その意味で、人間はとても自由ですよね。
しかしながら、なにか打ち込めるものがほしい、と思うことがあります。そして、打ち込めるものが見つからないとつらくなる。サルトルの言葉を借りれば「人間は自由という刑に処されている」という状態です。
でも少し観点をかえてみると、1つのことに打ち込むということは、誰にでも訪れる「死」というものを無視した生き方でもあります。パスカルはそういう人間のことを「目隠し(背を向けて)をして崖に走っていくようなものだ」と言っています。
打ち込めるものがあっても、なくても、とくにどちらがいいとは、私には言うことができません。どうせ死んでしまう人間にとっては、何をやっても、しょせん「気晴らし」(これもパスカルの言葉です)に過ぎないのですから。
ゆっちさん、企画へご参加していただき、どうもありがとうございます😃💕。企画を通して、新しい邂逅があったことを嬉しく思います☺️。
cofumiさん
cofumiさんは、noteやTwitterに、毎日主に詩を投稿されています。歌詞もあり、一行詩もあり。
今回は、そんなcofumiさんにしては珍しく、企画のためにエッセイ( しかも字数制限あり )を書いてくださり、恐縮するとともに、とても感激しました😄。
今回のcofimiさんのエッセイでは、「現代詩」がよくわからないとおっしゃっています。
私もよく分かりません😳💦。
私もnoteをするようになって、詩や短歌・俳句を作ってみることがありますが、あまり「詩集」や「句集」を読んだことがありません。
本棚に並んでいるものはと言えば、岩波文庫の「イギリス名詩選」「ドイツ名詩選」「アメリカ名詩選」、ボードレール「悪の華」「巴里の憂鬱」、陶淵明詩集、杜甫、シェイクスピア「ソネット集」、ロバート・フロスト詩集、ウォルトホイットマン「草の葉」、エドガー・アラン・ポー詩集、高村光太郎詩集、石川啄木「一握の砂」、与謝野晶子の短歌集のみです。意外と持ってた😄
俳句や段階ならば、ある程度形式があるので、型を学ぶことができるかもしれませんが、「自由詩」となると、おっしゃる通り、書いて書いて書きまくっていくしかないのかもしれませんね。作りつづける中で、自分の形が見えてくるものなのかもしれませんね😄。
私はcofumiさんの詩が好きです。これからも、たくさん作ってくださいね。楽しみにしています。
cofumiさん、企画へのご参加していただき、どうもありがとうございます😃💕。これからも宜しくチョンマゲ💗。
さぼてん主婦さん
「理解はしてほしいこと」がない!!
にもかかわらず、さぼてん主婦さんが、この企画に参加してくださいました😄。
「理解はしてほしい」とはいっても、たいてい、自分のもっとも言いたいことに限って、まったく理解されないことがありますね。
理解されないこと、共感されないことに慣れるということも大切ですね。
分かってくれる人にだけ分かってもらえればいい。
いや、最悪の場合、力説しても分かってもらえないならば、それはそれでいい。相手の気持ちを少しでも揺さぶることができれば… …。
さぼてん主婦さんの記事を拝読していて思ったのですが、「理解はしてほしいこと」というのは「普段理解されていないこと」とも言い換えることができますね。
理解されなくても、「そういうふうに考える人がいるんだ!」ということがわかれば、それでいい!、と思いました。
まったく理解されなかったとしても、自分の想いを言葉にすることで、思考がクリアになるということはある、と思います。
さぼてん主婦さん、ネタがないのに、企画へご参加していただき、ありがとうございます😃💕。とっても楽しかったです😄。これからも宜しくお願いいたします(😊)/。
ぽこまるさん
動物には触れない。
私もそうかもしれません。猫は好きですが、ウサギ🐰は苦手だったりします。犬も苦手意識があります。
たまに公園で、首輪を外して散歩している人がいますが、そういう光景を見るととても腹がたちます。とくに、大きな犬は大の苦手。チワワは多少かわいいと思いますけど😄。
動物でも、子どもでも、避けようと思えば避けることができるので、無理にかかわる必要はないような気もします。自分の子どもでも、成人して以降は、かかわる必要はありませんね。とくに非難されるべきだ、とも思いません。
自分自身のことを自分自身で支えられる限り、どう生きてもいいですよね?
一見、子どもを大切にしているように見える人であっても、自分の思いを押し付けているだけの人も多いのではないでしょうか?
私が過去に書いた記事で、ぽこまるさんの記事に多少関係があるかな、と思う記事を掲載しておきたいと思います。
ぽこまるさん、企画へご参加していただき、どうもありがとうございます😃💕
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