「せっかく」の罠
「せっかく」という言葉をご存知でしょうか。
僕は知っています。
僕の中では一番と言っていいほど嫌いな言葉です。
せっかくと言われると見えないものに支配され、操られているような感覚に陥ります。
せっかく買ってあげたのだから食べなさい。
せっかくもらったのだから使いなさい。
せっかくここまで頑張ったんだからやり切りなさい。
もちろん、物を大切にすることや最後までやり切ることは重要です。しかし、「せっかく」を理由に何かをさせることはあまりいいことに思えません。
「せっかく」をすべて解決するマジックワードのように使っていませんか?
しっかりとした目標、そして理由を考えたうえで物事を続けることは価値があると思います。
しかしながら、「せっかく」という言葉を単に自分の思うように人を動かすことに使うことはどうかと思います。
親から言われた「せっかく」
先生から言われた「せっかく」
上司から言われた「せっかく」
先輩から言われた「せっかく」
ともだちから言われた「せっかく」
全部、その人のエゴの押し付けなのではないでしょうか。
そんなことを言うと人々は口々に言うでしょう。
「お前のためを思って言っているんだ」と。
僕は「せっかく」には自分の意見を消滅させ、相手の言いなりにさせる力があると思います。
自らの意見を尊重する時代に「せっかく」という言葉が飛び交っていてもいいのだろうか。
僕はそうは思えない。
せっかくになんて騙されず、自分の意見を大切に。
小林 都央
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