見出し画像

<読書録:21世紀の啓蒙⑤>〜なぜ人は正しく認知できないのか・平和と富と民主主義の関係〜

目次-------------------------------
・「啓蒙主義」人が生きる意味とは?
・問題は貧困であって格差ではない
・農業技術の革新の不当な認知と攻撃がなぜされているのか
・温室効果ガスと環境問題 
・なぜ人は正しく認知できないのか
・平和と富と民主主義の関係



<なぜ人は正しく認知できないのか>


■ニュースというものはそもそも認知機能と相互作用することによって、私たちに「世界は悪いほうに向かっている」と思わせるようにできている。

悪いことは一瞬で起こりうるが、良いことは一朝一夕では成し遂げられずゆっくり展開する間に、ニュースの時間軸から外れてしまう。

そのせいで、悪いニュースは報道されやすい傾向があるが、いいニュースは流れづらい。

人は認知バイアス(何かを考えようとしたときに頭に浮かんできやすい情報を優先しそれに基づいてその何か、その同種のことが起こる頻度を推測しようとする。)の中で判断してしまう。

 

■知識人とメディアが過度な悲観論に傾く理由

本を称賛する書評家より、酷評する書評家のほうが有能だとみなされることが心理学の実験で分かっている。

誰もが警戒心を研ぎ澄ましているおかげで実はこんな悪いことがあるんですよと注意を促すインテリのために、新たな市場が生まれている。人々は往々にして「悲観論は自分たちを助けようとするもの」「楽観論は自分たちに何かを売りつけようとするもの」と感じていることがある。

知識人の悲観主義は人より一歩先んじる手段にもなっている。現代社会は政界、産業界、財界、技術界、軍事・学界のエリートの集まりで成り立っているが、そこでは誰もが名声と威光を求めて競争している。そういう場で現代社会を批判すれば間接的にライバルをひきずり下ろすことができる。

 

例えば

 ■テロは大きな被害にはなりえない。

テロの目的は注目を集めること。実際は無力。テロはその他の(死亡)リスクに比べれば小さな危険しかもたらさない。にも拘わらず、引き起こされるパニックや不安が大きいのは、それこそがテロの狙いだからである。その意味では、現代のテロとはメディアが広く普及した副残物ともいえる。テロをもくろむ集団または個人は、一周だけでも世間の目を引こうとして確実に注目を集める手段、つまり罪のない人々を殺害するという手段に訴える

しかもニュースを目にする人々が自分もそうなるかもしれないと想像しやすい状況を選んでテロを起こす。するとメディアはまんまとその餌に飛びつき、残酷さを共闘して報道する。それを見た人々は利用可能性バイアスに侵食され、こうして実際の脅威レベルに見合わない恐怖に襲われる。

 

例えば

■貧困国も平均寿命は延びている。

乳幼児死亡率、妊産婦死亡率が著しく低下しており、

先進国だけでなく、エチオピアや南アフリカなどの発展途上国でも低下している。

上記の国の乳幼児死亡率も1960年代は25%から2015年は10%まで下がった。

 

-------------------------------

<平和と富と民主主義の関係>

■世の中は平和になっている


何が戦争を引き起こすのか?戦争は人の心の中で生まれる。

「奪う。から商業」への切り替わりによって、

国と国とが奪い合うではなく、貿易によって結びつけば戦争をすることを魅力がなくなるという考え方。

 

■戦争によって富は生まれない

理解すべきなのは、「どうやって富は創造されているか」なのだが、その点が現代社会では見えにくくなっている。富の分配ばかりを論じ、分配すべき富がすでに存在することを前提にしている。富は金鉱脈のように昔から存在しているものではない。人類はその分配をめぐって争ってきたのではない

富は知識と協力によって生み出される。(富の創造の仕方については繁栄のパラドックス参照)

 

■選挙こそ民主主義の本質というわけでもない。

選挙は民主主義の本質であると広く信じられているが、実際には統治する国民に対して、政府が責任を負っていることを示すメカニズムの一つでしかない。しかも常に良い結果をもたらすとは限らない。

たいていの有権者はどんな政策を選べるかということ依然に、国の三権とは何か?第二次世界大戦でアメリカはどこと戦ったのか?核兵器を使用したことのある国はどこか?といった基本的な事実さえ知らない。そして質問の時の言葉遣い次第で意見がころりと変わり、政府は福祉に金を使いすぎだといいつつ、貧困層への援助が少なすぎるといったリ、軍事力を行使すべきだといいつつ、選考を始めてはいけないと言ったりする。いよいよ票を投じるとなると、自分とは正反対の意見を持つ政治家に投票することも多い。とはいえ、それは大したことではない。

なぜなら政治家はひとたび当選すれば、有権者の意見などどうでもよく、党の方針に従って法案に賛成したり反対したりするだけだからだ。さらに言うと投票は必ずしも政府の業績に対する評価でもない。有権者は直近の出来事への不満を表すため、現職議員を罰するつもりで投票するだけである。票を投じることでマクロ経済の動向やテロ攻撃など、あまりうまくコントロールできていない問題への不満を表明し、干ばつや洪水、さらにはサメが人を襲う事件等、コントロールしようのない問題へ不満を表明する。

 

民主主義政府より専制政治の方が・専制政治より無政府状態の方が悲惨である。大量殺戮は権力が行使されているときよりも、権力が機能していないときに生じやすいからだ。

 

「政府に十分な力があること」民主主義の主な前提条件はこれだけである。

そうして国民を無政府状態の暴力から守り、人々が独裁者の犠牲にならないように、あるいは独裁者を歓迎してしまわないようにしなければならない。


-------------------------------

<読書録:21世紀の啓蒙①>~「啓蒙主義」人が生きる意味とは?~

<読書録:21世紀の啓蒙②>~問題は貧困であって格差ではない~

<読書録:21世紀の啓蒙③>〜農業技術の革新の不当な認知と攻撃がなぜされているのか〜


<読書録:21世紀の啓蒙④>〜温室効果ガスと環境問題 〜


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?