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魂(たま)散歩11歩目。家族愛に恵まれなかった貴婦人。

こんばんは。とよみです。
お越しいただきありがとうございます!
今回は「岐阜県・N」様からのご依頼です。

それでは、本日も魂のお散歩にお付き合いくださいね。

●岐阜県・N様に現在一番影響を与えている過去世について

200年くらい前のヨーロッパです。
簡素な作りの家具や落ち着いた色合いのカーテン?のようなもの、絨毯などが視えますが、割と良いお部屋にいらっしゃるようです。
何か書類仕事のようなものをされているのが視えますが…貴族のようですね。
この方がN様の過去世となるようです。
女性ですので、便宜上「貴婦人さん」とお呼びいたしましょう。

貴婦人さんは、元々裕福なお宅に生まれたそうですが、女性であったことと妾腹だったのか…生まれた順番が大分遅かったことなどを理由に、両親の愛情というのをあまりわからない状態で幼少期を過ごされたようです。

そして、少し成長されて物心がつく頃には、修道院…でしょうか。
寄宿舎のようなものがある、厳しい戒律の布かれている学校のような場所で過ごすように言われ、それ以来ずっとそこで過ごしていた、と話されています。
そちらに行かれてからは、そのまま思春期と言われる多感な時期を、その寄宿舎で過ごされていたようですね。

10代の後半…頃でしょうか。
それくらいの時期に、貴婦人さんのご兄弟が相次いで亡くなられてしまいます。
ご病気だったり…事故だったり…理由は様々でしたが、結果として、貴婦人さんがご実家の家業をまるごと継がなければならない、という状況になってしまったようです。

その時に、ほぼ初めて父親とまともな会話をした、と話されています。
そして、父親との初めての会話の際に、貴婦人さんのご実家よりも大きな権力を持つ貴族との政略結婚について提案されたそうです。

跡継ぎがいない状態で、ご実家の家業を継続していくには、それなりに大きな力が必要だったことや、ご自身の立場上、意見を言えないことなどを考えて、その際に挙がっていた候補の中で一番大きな権力を持つ貴族を選んだ、と話されています。

ただ、選んだ方は元々の噂で、素行があまり褒められたものではない方だったため、父親もはじめこそ「家のためを思うのは良いけれど、自分を大切にしてくれそうな相手を選んでも良いんだぞ」とは言ってくれたものの、最終的には「そこがお前が収まる場所だというのであれば」と納得されたそうです。

父親については、貴婦人さんは「冷たかったり、情のない方ではなく、ノブレス・オブリージュの精神をしっかりと理解し、それに則って行動が出来る方でした。ただ、その博愛を家族に示すのが苦手な…不器用な方だったのだと思います」と話されています。

その後、結婚し、数名(男の子3人と女の子が2人?)の子どもをもうけますが、旦那様となった方は噂以上の「多くの愛情を求め、そして自らも振りまく方」だったため、政略結婚という形を取っている以上、貴婦人さんが素行について口を出すことが出来なかった、と話されています。

しかし、数ヶ月に一度、数日から長いと数週間ほど、旦那様がとても不安定になられる時期があり、その時は小さな幼子のように貴婦人さんの側を離れず、ずっと一緒に過ごしていたそうです。
その姿を見ながら、貴婦人さんは「旦那様のことはどうしようもない方だと思っていたけれど、立場上色々と背負うものの多い方だったから、手放しで甘える先を常に求めていたのと、あとは…私のように母親からの無償の愛情を渇望されていた方」という風に感じていらっしゃったそうです。

また、先に未亡人となってしまった義姉も貴婦人さんと似たような経験をされていたため、二人で良く連絡を取り合ったり、子どもが生まれてからは時々会ったり…という穏やかな関係性を築けていたため、それが辛い時の心の支えになった、と話されいます。

最後の出産の時でしょうか…双子を妊娠したことがあったようですが、そのうちのお一人は上手く育つことが出来ず、生まれた時点で事切れていたことから、お名前だけをつけてお別れをされたことがあったそうです。
旦那様はその事に対して、表面上は慰めの言葉をかけたけれど、ショックを受けて沈む貴婦人さんのことを支えきれなかったのか、しばらく貴婦人さんのところに近寄ることすらなかったそうです。

その際に、貴婦人さんへマメに手紙を届けて、義姉が励ましてくれたおかげで、気持ちを保ち続けることが出来た、と話されています。

…少し時を進めてみましょう。

30代になるかどうかでしょうか…大きな革命のようなものが起きたそうです。
その時に、ずっと懇意にしていた義姉が暴漢達に襲われ、命を落としたことを知り、とても大きなショックと自身もそうなってしまうのではないか、と怯えます。

そして、そのショックが冷めやらぬうちに旦那様の断罪の場に立ち会うことを強制されたため、自分自身の矜持と、背負った家名などに対して無様な振る舞いは出来ないと思い、必死にその役目を果たした、と話されています。

そのふるまいのお陰もあったのか、思ったよりも早く自由の身となり、その後別の国へ移住し、そちらで家族を始め、貴婦人さんと同じように理不尽な理由で囚われてしまっている貴族や知識人の方々の手伝いを行った、と話されています。

30代の後半の時に、身内の(救出可能な方)殆どと合流できたことと、時勢的に移動を余儀なくされたため、再度別の国へ移住されたそうです。

その後、40代の終わり頃から身体の異変を感じつつも、自分を含めて家族が元の国に戻れるよう、わずかながら周囲へ働きかけたり、援助を行っていた、と話されています。

その苦労が実ったのが60代になるかどうかの頃だったのですが…婦人科系の疾患とリンパ腫のようなものが身体をゆっくりと蝕んでいっているのを感じながら、元の国へ戻られたそうです。

そこからは、子どもたちのために表立って動くよりも、後方支援に尽力し、ある程度子どもたちが自分たちで動けるようになったのを見届けた後、リンパ腫が原因で生涯を閉じられています。

…というのが、N様に今一番影響を与えている過去世となっておりました。

彼女自身は平穏をずっと望んでいたようです。

ですが、生家を含めて、家族が、時勢が
それを許さず、常に彼女には「与える側」で
あることを求め続けていました。

そして、彼女自身も「それが当たり前」とでも
言うように常に誰かのために、ご自身を犠牲にする
そんな生涯を送って行ったようです。

でも、幸か不幸か…
彼女のその姿勢があったからこそ
彼女は奔放な夫に求められ続け
そして沢山の家族に囲まれ続けました。

人の幸せの場所や条件というのは
人それぞれではありますが…
彼女の場合「家族と共に」ということが
幸せの条件だったのかもしれません。

どういうものが、その人にとって幸せなのか
そこを少し考えてしまう、そんな内容となっておりました。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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