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読んでない書の読書感想文を書いてみる~「読んでない書感想文」①~

みなさん、こんばんは。

今日は、書籍企画として立ててみたものの、書き手がいないがためにボツにした幻の企画の掘り起こしをします。

自分は作家のエージェントという仕事柄、書籍企画の立案を業務の中で行うのですが、よく誰が書くのかよく分からない企画書を書いてしまうタイプです。

通常は作家ありきで一緒に作っていくものですが、アイデアだけが先行して、しかも書くのに一定のセンスを要するものだと、書き手が見つからないという事態に陥ります。

書き手不在の書籍企画とは、あて先不明のラブレターと同義で、そもそも存在することそのものが不思議なもので、かつ手元に置いておくには不自然だが、奇妙なことに捨てがたいものなのです。

このような没作を抱えているので、この機会にいっそ自分で書いてみようと思います。これぞ自給自足

今回は、へ~こんな書籍企画立てたり考えたりしているのね、とちょっと不思議な脳内を盗み見する感覚でお楽しみください。

さて、その書籍企画とは、題して「読んでいない書感想文」。読んでいない本を読んだ振りして感想文を書く企画。実際にある、有名だが読んでいない本のタイトルと主要登場人物、小説の一部の言葉だけを手がかりに、妄想であらすじを考え、感想文を書く。

企画意図としては、聞いたことはあるけれど読んでいない本の概要を楽しく知れると同時に、書き手の妄想した「アナザーストーリー」と「書き手が想像したその作家の傾向性」を楽しむ本です。

なぜこのような企画を立てたのかというと、特に読書がある程度好きな層では、比較的有名な作品であれば、読んでいないと言い難い空気があると感じたからです。

でもさー、読んでないこともあるよねー。

「えー○○読んでないの?」というけん制が行われ、何かを読んでいなかったり、知らないことを恥とされることに疑問を抱いたので、読んでいないことを肯定的に楽しめるものが作りたかったのです。有名作品を知らない、ということを恐れるがゆえに、本を読むというのも、実にさびしいものです。

読んでなくたっていいじゃないか、今後は妄想のタネにできるんだもの。

なにより、文系オタクの妄想力はすさまじいはずなので、その爆発力を見てみたいという強い思いや、同じキーワードを与えられたときに、一流の作家と書き手、何を考えどう異なるものを描くのか、その差異を味わいたい。

と、いうわけでやってみよう。


★「読んでいなかった書感想文」全体の構成
①最初にタイトルと登場人物、使用する作中のセリフ一文が与えられる。
②偽のあらすじと読書感想文を書く。
③本当の作品を読み、その作品と自分の想像したものを比べてみる。そこにあたって、どう異なっているのかを検証する。


最初の手掛かりはこれである。

お題「谷崎潤一郎:刺青」
主要登場人物:清吉
使用するセリフ「美しいものは強者であり、醜いものは弱者であった」


<あらすじ>
清吉は刺青職人であった。彼の仕事はその筋の男どもに、刺青を施すことである。清吉は堅気者であって、普段はおとなしい男であった。刺青を入れに来る客のような、破落戸や荒くれものとは違う。馴染みの店でさえ、空で彼の顔を思い描くのが難しいぐらいだ。道行く、野犬でさえ彼を歯牙にかけることはない。

そんな清吉の仕事ぶりは、もちろん真面目である。その腰の低さと、客の指示に従いながら、しかしそれを超える見事な絵を、その筋骨隆々とした体にに生み出していく様は評判を取っていた。

彼らの肌に墨を入れていくとき、清吉にはふと奇妙な支配心が生じるのであった。入れ墨をするという行為は、生きている誰かに自分の刻印を残すということである。紙に絵を描くのとは、異なる。自分の書いた絵とは、自分自身に他ならない。その絵が人間の皮膚に刻まれ、呼吸し、生活しているという妄想は、清吉に不思議な興奮をもたらした。まるで自分というものが絵に乗って、ことなる人生を生きてるようではないか。自分の人生にはまるでできなかったような何かを、入れ墨を施した客を通して体験する。

美しいものは強者であり、醜いものは弱者であった。清吉は紛れもなく、弱者である。しかし、刺青を通じて強者にもなりうるのだ。清吉は客に刺青を施しながら、ひそかにそうした妄想にとりつかれていた。

ある時、清吉のもとに女が訪ねてきた。それはいつも対応しているような、筋張っていたり、皮膚の厚い男ではない。その人が店の暖簾を開けたとき、清吉はあっと思った。その肌は夕暮れの日を後ろに、白く輝いていた。秋の柔らかな陽ざしのなか、そこだけ真珠のようにまろやかに光っている。日のあたる箇所はまだ未踏の雪のようであり、影はすべやかな肌を通って女の腕の渕に寄り添っている。

聞けば、その女は馴染みの客にこの店を教えてもらったのだそうだ。女も堅気ではないのだろう。言葉の端々の蓮っ葉な軽さが、そう物語っていた。

その女の希望は、背中に桜文様を入れてほしいというものだった。

「あたしの肌のうえで、ほんとに桜が咲いているような、そんなものを書いてほしいんだ」

清吉は、女の肌にそれはみごとな、桜文様を彫った。右肩から、左の腰に流れるような桜の花びらが描かれ、大輪の花を咲かせている。桜の色はほとんど乗せず、肌の地色を活かす形にした。その女の体の熱さで、背中の桜に赤みが差し、満開の桜は完成するのだ。

女はその出来栄えに、ひたすら感心しきり、満足して帰って行った。

それ以降、清吉はその獏連女になる妄想に入り浸っていた。あのような女は、やくざものの情婦に違いあるまい。あの桜文様が着物のしたに巣食い、かの女が興奮するたびに色づくのであろう。清吉はさまざまな想像をこらし、楽しんだ。湯あみのときなど、どのように色づくのか知りたくなって、思わず自分の腹の横にも小さく同じ文様を彫ってしまったほどだ。

俺はこのような男でありながら、やくざの情婦を支配し、そして情婦そのものなのだ。男でありながら、女の愉悦を手に入れる。これほど楽しいことがあるだろうか。湯に行くときなどは、自分の刺青を撫でさすりながらそっとほくそ笑んだ。

ある夜、銭湯からの帰り道、清吉は男どもに呼び止められた。

あっという間に裏口に連れていかれる。男たちは清吉の胸倉をつかみながら、言い募った。いったい頭の女とどういった関係があるのかと。男たちは、銭湯で清吉の刺青を見て、頭の女と同じ刺青があると気が付いたのだった。

清吉は、良く彫れたからその印として彫ったのだ、と説明したが、男たちは聞く耳を持たない。ただの彫り師にすぎぬ、と言っても同じ刺青を入れている理由が付かない。

「兄さん、手を出すなら、しきたりってものがあるもんで」

着物の下から差し出されたそれは、清吉の脇腹に食い込んだ。清吉は、どうっとそのまま倒れた。男たちはゆらゆらと遠ざかっていく。声も出ぬまま、急速に視界が白くなり、体から力が抜けていく。その血は清吉の腹を流れ、その桜文様を赤く染め上げるのであった。(了)

<感想>

谷崎潤一郎はフェティシズムと、「完成しないエロス」においてたぐいまれなる能力を持っている。いわゆる直接的に性的な表現は避け、あえて状況だけ描き出し、こちらの妄想を掻き立てる。

本書も、そうした清吉というやや屈折した状況の人間を通じた、性的な表現がひかる。自分の作品を通じて他の人生の快楽にふけるという、倒錯的な行為が描かれている。自分という存在なくして、他人の人生と悦楽を追いかけるというのは、倒錯的でありながら、これぞ妄想のエッセンスと言えるものである。

もっとも、作品の完成は他人の体ではなく自分の体で行うというのは、皮肉でもあり、まさに彼が思い描いていたような結果である。

・・・・で、本当は?

さて、妄想を書き散らしてきたが、本当の作品はどうなっているのだろう。

ウィキペディアより引用。


世の中が今のように激しく軋みあわない時分、多くの人々が刺青をしてその意匠を比べ合っていた中に、清吉という、元浮世絵職人の彫り師がいた。清吉は美女の体に己の魂を彫り込みたいという宿願を持っていたが、満足する女を見つけられずに過ごしていた。そんな中、駕籠の簾から女の美しい白い足がこぼれているのを見て、清吉はこれぞ自分の求めていた女だと確信した。
清吉は、「この絵にはお前の心が映って居る」と言いながら、処刑される男を眺める妃が描かれた画幅を見せ、さらに男たちの屍骸に魅せられる若い女を描いた「肥料」と題する画幅も見せた。怯える娘を麻酔で眠らせた清吉は、彼女の肌に巨大な女郎蜘蛛の刺青を彫っていった。
麻酔から覚めた娘は魔性の女に変身し、鋭い眼を輝かせ、「お前さんは真っ先に私の肥料になったんだねえ」と清吉に言った。そして帰る前に清吉に促されて、もろ肌ぬいだその燦爛たる背中を朝日に輝かせた。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/56641_59496.html


<見比べての感想>

刺青をする行為を性的なことへの暗喩にする方向性は一致していた。「すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。」は、美しくなるために人々がこぞって刺青をいれることの説明的な箇所であった。なるほど。自分は清吉を弱者として取り、強者になるための手段として刺青を考えた。

清吉は入れ墨をするときにある愉悦がある、という設定は同じであった。が、「彼が人々の肌を針で突き刺す時、真紅に血を含んで脹れ上る肉の疼うずきに堪えかねて、大抵の男は苦しき呻き声を発したが、其の呻きごえが激しければ激しい程、彼は不思議に云い難き愉快を感じるのであった。」とあるので、彼はサディスティックな要素があるようだ。

そして、彼はこれと思う人間にしか彫らず、その眼鏡にかなう遊女を見つけて彫を施す。女の肌の魅力を出す表現がすごい。


「彼はふと門口に待って居る駕籠の簾のかげから、真っ白な女の素足のこぼれて居るのに気がついた。鋭い彼の眼には、人間の足はその顔と同じように複雑な表情を持って映った。その女の足は、彼に取っては貴き肉の宝玉であった。おやゆびから起って小指に終る繊細な五本の指の整い方、絵の島の海辺で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合い、珠のような踵きびすのまる味み、清洌な岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢。この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを蹈みつける足であった。」

へえーー!

清吉は美女の肌に入れ墨をする行為はエロティシズムにあふれている。
清吉は彫師の技術と精魂のすべてを、その背中につぎ込み、やがて魔性の女が完成する。全体的に女の魅力を書き表すために、文章が注ぎ込まれていて、清吉自身の存在感は前面には出ていなかった。やっぱり、谷崎潤一郎は女性の魅力を書くことにかなり文章を費やしているんだなあ。また、入れ墨をする行為を通じて、彫られる側の精神的変容を描いていることに、改めて感嘆した。

その様子は、ぜひ本文を読んで確かめてください。

今回、自分は地味な男の劣等感と妄想にスポットライトを当てて書いた。どうも、孤独なゲームを描く傾向性があるらしいということも分かった。


<結論>

谷崎潤一郎はやっぱり女性を描いたらピカイチで、エロい。

やってみて分かったが、文豪はすごいというごく当たり前の結論に到達してしまった。が、本企画の趣旨は設定や文章レベルの見比べをすること、元の設定を当てることではなく、自由な発想を楽しみ、もとになった小説も楽しく読めるということにある。

もっとめちゃくちゃの話でも良いし、元の小説とどれくらい設定が合っていたか、それもどうかもどうでもよいことである。限られたテーマの中で、どう違うものを考え付いたか、自分はどう考えたかを楽しむ企画なのだ。


自分の創作の傾向性も分かってきたりするので、それを踏まえて今後の創作にも活かせるだろう。あと、何かを書き始めたいなと思っている人は、こんな風に決まったテーマの中~短編を複数書いてみると、いいかもしれない。

ということで、もしも、我こそはと思う方がいたら、ぜひやってみてほしい。let's try, let's join. 気軽に書こう、気軽に読もう。

#読んでなかった書感想文

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