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創作で不安になったあなたに捧げる3つの提言

みなさん、こんばんは。

ついに2019年ですね。振り返ってみますと、昨年2018年7月にこのアカウントを開設し、これまで書くノウハウやら漫画やら日常雑記などをお届けしてきました。

嬉しいことにご好評のお声もいただき、多少は誰かの励みになっているようです。

なんとなく始めたウサギシリーズは、このアカウントの記事の中でも評価をいただいており、最初の投稿は昨年のnote編集部のおすすめnoteとして選出してもらえました。

たくさんの反響を得た結果を考えると、多くの人が自分の思いや考えを何らかの形で発信したいと思いつつも、悩んだり苦しんでいるのだろうと推察します。

本年度も引き続き、有益なノウハウや面白漫画、日常レポート、何かを表現しようとする人をサポートできて楽しめるコンテンツと場所をこのアカウントからはお届けしたいと思っています。

すなわち、すべての表現する人と表現を楽しみたいと思っている人にとっての、柔らかい場所。〝やわらかインターネッツ〟を掲げ、実行していきます。

前置きが長くなりましたが新年最初の投稿、行ってみましょう。もちろんこのシリーズから始めます。そう、ウサギシリーズ

創作で不安になったあなたに捧げる3つの提言


質問:もう歳だし、実績とか無い普通の人間なんですけど、書いてもいいんでしょうか?

【回答】関係ないですね。この仕事をしていると、「もう歳だけど」「普通の主婦ですが」「ただの会社員だが」という前置きをして何かを書いていることを、打ち明けてもらうことがあります。

おそらく、こちらを表現のプロだと思っていただけているので、自分の活動を卑下してそういった発言をしているのだと思います。

しかし、創作したり発信することに自分の年齢とか背景とか今の肩書とか、一切関係ありません。もちろん今までやってきた実績があって、それとリンクした発信をされていたら、それは素晴らしい。あなたの表現する内容に真実味と信頼感が増しますし、これまでしてきた苦労や経験がコンテンツの品質に反映されているでしょう。そして、若いうちから初めていれば、これから多くの研鑽を積める可能性があるでしょう。

ですが、過去と経験がすべてではありません。いつ初めても遅くはないし、始めたいと思った時が始まりなのです

また、あなたが持続的に、着実に良いものを書いたり発信していけば、それが実績となり肩書にもなります。恥じる必要性はありません

【質問】特に成果とか出てないので、作家とは名乗りがたいです。

【回答】今すぐ名乗りましょう。あなたが何らかの形で表現しているのであれば、もうすでに作家であり、画家であり、写真家であり、漫画家であり、評論家であり、ライターであり、エッセイストです。

「売れてないから」「成功してないし」「まだ大したことないから、言えない」なんて思う必要はありません。あなたがそうである、と思った瞬間にそういう存在なのです。○○の卵です、という言い訳も不要でしょう。

ただし、名乗った以上は「そういう肩書の人」として人からは見られます。当然、プロのそのカテゴリーの人と同枠に入るので、比較され、判断されます。しかし、それに対して怯えたり不安になって「○○見習いでいいや」と思わないで欲しい

自分がその肩書であると決意し、学び、研鑽し、努力し続けること。それが自他ともに認める、その肩書になるチャンスです。これ以外の方法はありません。誰かが勝手にあなたの才能を見出してくれて、褒めそやし、自然とその肩書につけるなんて、かなり稀です。

誰かが認めてくれない状態で、そうであると主張し、努力し続ける必要があります。これはとてもメンタル的に不安定で孤独な状況ですが、自分で耐え抜かなくてはいけません。

自分に常に突きつけられる未熟さや能力の無さ。周囲の無理解や蔑み。それらを飲み込み、乗り越えるのは容易ではないでしょう。しかし、どんな素晴らしいプロと呼ばれる人たちも、こういった厳しい時期を過ごしてきました。孤独ではありますが、たくさんのプロが来た道です。みんな、かつては素人でした。

続けていけば、必ず良い表現者になります。それは過去の偉大なる先駆者たちが実証しています。

【質問】その肩書を名乗ったら、色々言われるのがしんどいです。

【回答】みんな自分の意見というものを持っているので、あれこれと言われることはありますね。そういう時は鬼才の思考法でいきましょう。何を言われても「まあ、鬼才なんで」「まだ時代が追いついていない」「鬼才すぎて周囲に理解されがたいんだなあ」ぐらいに思っておきましょう。「何となく」「ちょっと思った」程度の通りすがりの意見や感想に振り回される必要はありません。

また、自分を鬼才(天才)であると仮定することは、有益な意味があります。自分が鬼才であるならば、こういった状況でどうするのか?鬼才はどう考えるだろうか?どう手を打つ?自分に自問し、俯瞰した視点で自分の言動を見てコントロールすることができるからです。

自分の個としての感情や弱さ、時に憤りに対してちょっと距離が取れる。そして鬼才として自分の行動を律することにつながります。存分に鬼才であり続けてください。思考と行動が才能にともなえば実際に、鬼才だと思われるようになれるでしょう。

ただし、ここで強調しておきたいのは、単純に周囲の意見をすべて無視しろということではありません。先ほど、〝「何となく」「ちょっと思った」程度の通りすがりの意見や感想に振り回されるな〟と言いました。確かに「通りすがり」の意見、つまり深く考えずに向けられた評価や感想に右往左往する必要はないでしょう。

しかし、真摯にその作品やコンテンツを見た上でアドバイスをくれる人もいます。そういった有益な意見に対して背を向けることは、もったいないことです。ここに、「表現者として閉じと開き」の視点がいると思っています。

表現していると、当然、自分の作品を良く評価して欲しいと思うものです。したがって悪い意見をもらったり、何かを変えろと言われたらムッとしますし、時には腹も立つし悲しくもなるでしょう。評価やアドバイスに対し耳をふさぐこと、つまり「閉じ」の状態になりやすい。「理解してもらえなかった」「自分の作ったものは素晴らしいはずなのに」「相手が間違っている」そういう思いを抱いて、自分の内にこもり「閉じ」ていってしまう。

表現者は浅瀬の意見に対しては、強く出て欲しいし、そうでなくてはいけません。しかし、より良いものを作っていくうえで、貴重な意見に関しては自分の殻から出て、傾聴するつまり「開き」の姿勢をとる必要があります。

相手がちゃんと自分の作品を見たうえでくれたアドバイスなのか?広い視野に立って出された意見なのか?そこに通徹している理論とは何だろう。その意見は自分以外の人に向けて言われた時に、真理であると思えるか?これを自分で判断して欲しい。

自分の作品や才能が攻撃されたという認識を捨て、冷静に検分し、「閉じ」と「開き」を選択すること。これが良い表現者になるために必要な姿勢です。見極めは大変かもしれませんが、次のステップに移行するために必要不可欠です。

自分を俯瞰し「閉じ」と「開き」を選択する、これができればさらに洗練された表現者になれるでしょう。

え?よく考えたけど、やっぱり相手は的外れなことを言っている気がする?そういう時は胸を張って思っておきましょう。「自分、鬼才なんで」。

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実はチキン野郎でもあるので、記事が伸びていないと、地味に沈んでいます。まあ、やりますけどね2019年も。はい。

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lay toyama_遠山怜/ 作家のエージェント(漫画)
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