どくしよかんそおぶん
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早く仕事決まらないかなあ…。
『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス 作
あらすじ
幼子の知能のまま大人になったチャーリィが主人公。タイトルにある”アルジャーノン”は、彼が大学病院で出会う白いハツカネズミの名前です。パン屋で同僚にやきもきされながら働いていたチャーリィは、大学の偉い先生から”頭を良くしてあげられるかもしれない”と夢のような話を持ちかけられる。喜んでその話を引き受けたチャーリィは、"頭が良くなる"手術を受けた。
チャーリィが書いた経過報告、という視点で、物語が進んでいく。
読み終わった瞬間の感想
「はぁぁぁぁぁぁ………っっ(脱力)」
ぜひ自分で読んでください
タイトルも載せたし、これは読書感想文なので、ネタバレを含みます。お決まりの文句かも知れませんが、読んでいない人は自分で読んでください。切実にそう感じる作品でした。
なので、まだ読んでないけど気になるなあ、なんて方が居たら、ここから先は読まないでください。切実に…。
改めて、読んだ感想
◇ダニエルさん、すごっ
そのまんまの意味です。物語の前に、作者であるダニエル・キイスさんから日本語訳文庫を読む読者に宛てた序文があるのですが、"私はチャーリィ・ゴードンです"という一節。小説の多くが虚構、作り物の物語であるということはわかっているのですが、知的障害者であるチャーリィの視点を、自身の幼少期を思い返して想像して書いたダニエルさん、めっちゃすごいな、と思いました。語彙力が足りない。
◇自分の相手に対する認識
チャーリィは難しい言葉がわからない。漢字も書けない。日本語を正しくつかうことも出来ない。なので物語の最初は、間違いだらけのひらがなで彼の日記が綴られています。なにせ読みにくい。指で字をさしながら読みました。読むのが早い方であると自負していましたが、目は疲れるし、文を補正して理解しようとする頭もかなり疲れる。だから、知能を向上させる手術の話が本格化したときから、"早く読みやすくならないかな"と期待してページを捲りました。
手術で頭がよくなり、チャーリィの書く文章も整ってくる。こちらも読むのが楽になる。ページを捲る速度が早くなる。そこでふと、気づいたんです。わからないから理解しようと必死に言葉を追っていたのに、わかりやすくなった途端斜め読みしていた自分に。
実際の人間関係でもそうなのかなあ、と思いました。結構適当に言葉を読み飛ばしても、それなりに意味はわかる。だからこそ言葉になっていない感情を丁寧に考える作業をしていないな、と。
一番しんどかったところ
素直に信じていた周りの人達に、騙されていたんだ、と気付く瞬間。
喜んでほしくてやっていた自分の行動の全てが、馬鹿らしくなっていく。
にへら、と気の抜けた笑顔で曖昧に返事するのは、笑っていてほしいから。だけど相手は、理解しきれていない自分を馬鹿にしていただけなのだ。甘んじて受け入れていたものが、全て自分を見下していた相手の悪意によるものなのだと。
だから人を信じないようにしよう
だから、もう騙されないようにしよう
もう、傷つきたくない。
チャーリィがどんどん学習して、理解して、IQが高くなる中で、周囲から受けていたものの意味に気付いてしまう。優しくて大好きだった友達が、憎たらしい存在になっていってしまう。
「問題は、この実験に関わる前には友だちがいたということなんだ、ぼくを好いてくれる人たちがね。いまぼくが恐れているのは―――」ーチャーリィ・ゴードン
無能だった自分が、利口になった時。友だちを失った。友だちの話を理解したくて。みんなと同じことができるようになりたくて、頭を良くしてもらったのに、結果は…。
自分もなんとなく同じような経験があります。素直に受け取っていた言葉が、相手の吐いた嘘で、嘘を信じた自分を、影で馬鹿にされていたことがありました。まだ小学校低学年の頃でしたが、気付かなかっただけで過去にもたくさんあったのだろうな、と。友達や、親ですら自分を見下して、笑いものにして、優越感を保とうとしていることに過敏になりました。
あえて無能のフリをしよう。そうすれば相手はいい気分になって、好かれるから。私はそうやって今まで過ごしてきました。同時に、虚しいだけの人間関係が出来上がっていきました。
中学・高校の友人達は唯一対等に馬鹿騒ぎして笑いあえる関係なのですが。大切にしていきたいですね…。
適度な距離をとって、人と接するのは今でも下手くそです。
愛されないまま育つ幼子
「みんな、あなたをせきたてすぎているんだわ。あなたは混乱している。大人でありたいと思っているのに、あなたの中には幼児の要素がまだ残っている。ひとりぼっちで怯えている」―アリス・キニアン先生
幼少期に親から受ける愛情が少ないと、大人になってから苦労します。アダルトチルドレン、という名称はどこかで聞いたことがあるんじゃないでしょうか。アリスがチャーリィにかけたこの言葉を、私は他人から受け取ったことがあります。
じゃあどうしろって言うんだ。そんな気持ちでいっぱいでした。自分は自分のままでいい、と思うには親からの愛情が必要だった。大人になった今、それはもう不可能なんだ、と。
チャーリィは、子供が知的障害とは認めたくないヒステリックな母と、そんな妻を冷静な目で見ている父親の下で育っていました。
「普通の子なの」という母の言葉が彼の中に焼き付いている描写がなんどか作中に出てきます。
普通なら、愛されていたんだろうか。
チャーリィが、大学の実験に喜んで応じたのは、そんな気持ちもあったんだろうと勝手に推測しています。何度も怒り、チャーリィの特質を認めず、おしおきを与え続けた母を、チャーリィは憎んではいませんでした。
親だから、の一言で片付けてしまえるなら。どれだけ楽なんだろう。
まとめ
作中、一番最後のチャーリィの言葉。
どうか、アルジャーノンのお墓に花束をそなえてやってください。
アルジャーノンが死亡した時、彼は冷静に脳を解剖し、萎縮を確認し、彼の推測が正しかったと絶望して、ハツカネズミの死体を金属の箱にいれ、裏庭に埋めていました。そして野の花をそなえる。
そんな彼が、アルジャーノンのお墓に花束を、と他人に託した理由。
施設に行くから、だろうか。
もう花束を自分で用意することが難しいから、だろうか。
私はまだ、自分の納得がいく答えは見つかりません。
見つかったらここに残そうと思います。
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ここまで読んでくださってありがとうございます。毒親育ちの自分に嘆くばかりだった人生から、少しずつ前を向けるようになりました。このnoteは、誰かが前を向くきっかけになればいいな、と思っています。もしよければ、また覗きに来てください!