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2022.12.1 Cheery Harbal Tea 〜いまを生きる〜

※クリスマスまで、アドベントティーの名前をタイトルに記していくことにしました

一昨日、ふとしたことから、大学時代に慕っていた先輩の死去を知った。
けっこう引きずっている。
楽しかった思い出を、あれこれ引っ張り出してはため息。
思えば、もう一人の兄のような存在だった人ももういない。

文系卒でSEとして就職した私は、コンピューター関連の英字論文を読むのは、仕事上が初めて。
わからない言葉、理論だらけで四苦八苦。
週に一度の勉強会がつらいの何のって。
京大物理のドクター卒の先輩に、
「あんた、大学で何勉強してきたの?」と言われる始末。
そんな私を支えてくれたのが、同期入社の彼。
こちらは東大数学科のドクター卒。
同期だが五学年違う。
超優秀な面々に囲まれ、紅一点だった私の情けないことといったら。

けれど、同期の彼は、私が何を聞いても、決してばかにしたような素振りはせず、
「うーん、そこはね、こう考えたらいいんじゃないかな?」
「あー、これは訳すの難しいね。こんな感じかな」
などとふんわり答えてくれる。
甘えまくってずいぶんワガママも言った。

私が結婚退職する時には、私の自宅の最寄り駅まで送ってくれて、
「僕はね、ワガママな人が好きなんだ。あなたからワガママを取ったら何も残らないぐらい、あなたはワガママな人だけど、でも僕は、ワガママな人が好きなんだ」と、数学者らしく(?)、三段論法(?)で回りくどい告白をしてくれた。
「あなたからワガママを取ったら何も残らない」なんて、思い返すと(ひどくない?)と思えなくもないけれど。
見送ってくれる眼差しはまるでお兄さんのように優しかった。
(あくまで想像上の「兄」です)

夫が海外赴任した先でも偶然一緒になって、短い期間だが同じ土地で過ごした。
この時もずいぶん助けてもらった。
帰国後は年賀状を送り合うだけの付き合いだったが、ある年、パタリと便りが届かなかった。
どうしたんだろう・・と思っていたら、ある日、夫から
「ショックなことがあった」とLINE。
仕事上の必要があり、その彼に連絡を取ろうとしたところ、どこにも連絡先がない。
どうしたんだろうと思い、いるはずの部署に問い合わせてみたら、亡くなっていることがわかったと言う。

なぜ?!
まだ若いのに!
テニスが趣味で、少年のようにキラキラした目をして、細身で健康そうで、体の具合が悪いなんて聞いたことがなかった。

もういないってどういうこと?!

しばらくは、夫婦で狐につままれたような気分で過ごした。
だいぶ後になってから、突然の心筋梗塞で、あっけなく亡くなったことがわかった。

彼が英国に留学した時には、
「パディントンが欲しい!」という私に、わざわざロンドンで大きなぬいぐるみを購入して航空便で送ってくれた。
今思い出しても恥ずかしい。
なんて幼い私。
手間も費用もかかったろうに。
申し訳なかったな。
若い頃って、本当に恥ずかしいことばかりだ。
いきがって調子に乗って、気が強いことが美徳みたいにふるまうのは、年を経るほどに、穴があったら入りたいほどの悔いになる。

偶然にも、二人の兄貴分を、同じ年に、知らぬ間に亡くしたことに気付いた冬の入口。
断捨離の過程で、古いノートと同時に見つけたメモに記された言葉。

わたしが何となく生きた今日は
どこかの誰かが
どうしても生きたかった明日だ

誰の言葉だろう?と調べてみたら、韓国のベストセラー『カシコギ』の一節だった由。

あなたが空しく(何気なく)過ごした今日という日は
昨日死んでいったものが
あれほど生きたいと願った明日だ

私は今日も生きている。
明日にはどうなるかわからないが、それでも今日は生きている。
大好きな兄貴たちが生きたかったはずの今日を生きている。
今日という日は二度とない。
いつか彼らに会った時に、「ったく、相変わらずわがままだなあ!」と明るく言ってもらえるように生きなきゃね。
淡々と。


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