発達障害、不登校、摂食と戦う

思い返せば幼稚園児の頃から浮いていた。
小学校では仲のいい友達はなかなかできず
馬鹿正直にものを言うからいじめられたりした。
そうでなくても原因不明のいじめもあった。
(自覚ないだけかも)

とにかく、典型的な発達障害だったのだと思う。

現在降りている診断はASD、
ADHDの気質がある、とのこと。

中学は半分が小学校からの持ち上がりなので
激しい人見知りなので、
顔見知りが多く助かった印象がある。
だが容姿のことで男子によくいじられて
脅し返していた記憶もある。

中学3年に上がった頃、不登校になった。
きっかけはなんと、‘’無い‘’のだ。
夏前に修学旅行を終え、
そこからパタリと学校に行けなくなってしまった。
と、言っても実際に休んだのは10日ほどで、
12月までが保健室登校ということになる。

毎朝起きて朝食を食べ制服に着替えるのだが、
そこから体が動かない。
ひたすらガラケーでインターネット。
当時、‘’義務教育の不登校はゴミ“というのを見て
かなりくらった記憶がある。
自分のパターンは図星だったから余計にだろう。

自分で登校していたのか送ってもらっていたのか
この頃の記憶は曖昧なのだが、
昼頃になると体が自然と動くので
のそのそと起き上がり
学校へ向かう。
ここでもひとつ、今も忘れられない
今もトラウマな言葉がある。

「あいつは給食食べに学校に来てる」
ベランダからいわゆる一軍男子に叫ばれた。
その日はとても給食に箸をつける気分になれず
とにかく逃げ回ったのだが教師に捕まり、
広めの廊下で泣きながら食べたのを覚えている。

実際、保健室登校をしていると
同じクラスの子が教室の分から配膳して
保健室まで運んでくれるのだが、
友達がいなかったのでそれもかなりキツかった。
悩んだ結果、
母親に給食費を払うのをやめてくれと頼んだ。
「いつか食べられる日が来るかもしれないから」
断られた。これもプレッシャーだった。

残念ながら、その後の給食や家での食事については
相当ストレスだったのかほぼ記憶が無い。
ただ、10年経った今も
人前で急に食事できなくなったり
飲み会では酒にしか手をつけられないでいる。
今そうなっている理由は様々で
食べ方が下品と思われたくない、
デブと思われたくない
というのが主であると思われる。
ただ実家でも、テレビの音がうるさくて怖くなって
階段で1人で食事をとったこともある。

そして今は過食、普通食嘔吐、などもしている。
これは実家を出てから悪化した気がする。
ただ、どうしても母の手料理だけは吐けない。

記憶が飛んでいるだけで
いわゆる普通の食事もしているのだろうが、
印象に残っているのはこんな感じだ。


入院中で暇なので、そのうち
障害についてのノートも書こうと思う。
何かあればこちらも加筆する。

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