可愛くなりたいに囚われて。


「可愛くなりたい。」

その言葉に初めに囚われたのは中学生の頃だった。自分のことをとてつもないブスだと思って過ごしてきた小学校を卒業し、中学生になった。

小学校と違いみんな同じ制服でみんな同じような髪型に統一された。
僕はそれじゃあ余計顔立ちが目立つじゃないかと思った。
田舎特有の小学校と中学校のメンバーがほぼ変わらないという進学の仕方をした僕は少し絶望した。

中学校ではニキビというコンプレックスが増えた。
マスクで隠すことも出来たが、マスクがニキビに良くないと言われたのでマスクもしなかった。
でもそのニキビのせいでブスに拍車がかかっている気がした。
人の目が怖かった。

中学校を入学して少したった頃の事だった。
クラスの中では仲のいい女の子が前髪を作ってきたのだ。
いつもは長い前髪ごとふたつに結んでくる彼女がぱっつんの前髪を作って登校してきた時

「いつもの彼女と違う!なんて可愛いんだろう」

と思った。

いつもの二つ結びの彼女の髪の毛が前髪ができたことにより光が当たるとうっすら茶色になりながら天使の輪ができて本当に可愛らしかった。

心無しか彼女の目元に影が落ちておしとやかな感じもした。


あんな可愛い前髪を作ろう

そう思った。

そこから僕と前髪との戦いが始まった。
幼稚園の時から僕の髪の毛を切ってくれる美容院に行き前髪を作って欲しいと言った。
美容師さんは癖がついてるから上手くいかないかもよと言われたがそれでも切りたかったので切って欲しいとお願いした。

母も猛反対したが、押し切って前髪を作った。

結果は周りが言った通りに失敗

僕はいつの時代だ?と思うぐらい薄い前髪を作られ、絶望した。
ぱっつんじゃない。これじゃあパヤパヤだ。

パヤパヤっとたんぽぽの綿毛のように薄い前髪。風に吹かれると周りの髪の毛に混ざって行方不明。ポニーテールする時に後ろの髪の毛と一緒になって短い毛がぴょんぴょんとする。

果たしてこれは前髪なのか?
と疑問にすら思った。

次に美容院に行った時僕はもっと前髪を厚くして欲しいと言った。
そしてぱっつんがいい!とも言った。
今度こそ上手くいく!
そう思って楽しみにしていた。
椅子に座ってワクワクしながらシャンプーをされて前髪を増やしてもらう。濡れた髪の毛での前髪は最高だったこれは理想!本当に可愛い!
乾かしても可愛い!真っ直ぐな髪の毛が大好きだった。

だが結果は失敗。

前髪が厚すぎて影で目が見えず、漫画家が目を書かず髪の毛を目元まで伸ばすように描いたモブキャラみたいになってしまった。

友達にも前髪多いね汗と言われる始末。
全然可愛くなれていないことを絶望した。
あんなに美容院では綺麗だったのに。。。
理想通りだったのに。。。

この失敗から僕はヘアアイロンが欲しいと思った。可愛い彼女のさらさらの髪の毛と比べて私の髪の毛はくせっ毛。
ポニーテールをするとすぐ跡が着き髪の毛がモヨモヨになる。
前髪もカールして上がる。それを抑えるために前髪の量を増やしたらそれはそれでかわいくない。

母に相談したが、やはり反対された。

「髪の毛が痛むから辞めておきなさい。」

確かにヘアアイロンをしたら熱さで髪の毛はいたんでしまう。シャンプーのCMのようなサラサラ髪の女優さんはアイロンなどしなくても直毛なのかもしれない。
でも僕がなりたいのはクラスメイトのあの子みたいな髪の毛であって、シャンプーのCMの女優さんじゃない。シャンプーのCMのモデルみたいにはなれないことなど最初から分かってる。まずくせっ毛の時点でなれるわけない。とおもった。おまけに僕は毛量も多い。
普通に結んだツインテールの片方の毛束で普通の子のポニーテールぐらいの量になる。

くせっ毛で毛量もおおい。

これが僕が前髪を作る上で難関だった部分だ。
僕は何回もヘアアイロンを買って欲しいと強請った。 やっと買ってもらえるとなった時嬉しくてヘアアイロン片手に自撮りした。

そこから前髪が安定するまで高校までかかった。
その頃には少し薄めにして伸ばした前髪を巻くというのが流行していたが、ぼくはあのぱっつんの可愛さが忘れられず、今でもぱっつん一筋で前髪を作っている。

高校になってからは二重に憧れた。

高校に入ってから整形メイク比較写真と検索をかけて画像欄を眺めるのが本当に好きだった。シンデレラを見ているような感覚だった。
メイクと言う名の魔法が女の子たちを別人のようにしていくのを見て憧れた。

これがほんとに同じ人!?!?

何枚もそういう写真が出てきた。
自分と同じ女子高校生からアイドルまですごく可愛いこの写真が並ぶ。
その子たちはこぞってアイプチをしていた。アイプチという言葉すら知らなかった僕は本当に驚いた。
目の大きさが全然違う。
自分もこうなりたい。と。

僕はまぶたが重い一重で目つきが悪いとまでは行かないがまつ毛の上にまぶたが乗ってるような一重だった。
それがこんな綺麗な二重になるのならアイプチをしてみたいとおもった。

だが、アイプチはそう簡単には行かなかった。

塗ったノリを乾燥させて折り込むタイプのアイプチはどの商品を使っても僕の一重は二重にならなかった。

その中で出会ったアイプチは瞼と瞼を強力なノリでくっつけるタイプのアイプチ。
このアイプチが僕を3年間支えてくれた。
化粧禁止の高校だったので毎週休日に練習した。
上手くできるようになったらこっそり高校にしていこう。バレないだろう。とおもった。

上手くできるようにはなったが理想通りにはならなかった。綺麗にできるようになってもせいぜい奥二重が限界だった。でも満足していた。
少しずつ可愛くなれている気がした。
それだけで嬉しかった。


次に僕が可愛くなるために手を出したのはダイエットだった。

姿勢が悪かった僕はその頃二重アゴに悩まされていて、何となく太腿も太くて身長が低い僕は自分を鏡に映すと醜く見えた。

それからダイエットを始めた。

ダイエットの仕方なんて知らなかったのでとにかくご飯を抜いた。
食べなきゃ痩せる。お腹がすいているのは痩せていく証拠。
今考えれば本当に頭がおかしかったと思う。

そんなダイエット中に入院することになった。これは痩せすぎたとかそういうこととは全然関係なく、アレルギー関係で手術をしたのだが、その入院生活が本当に大変だった。

術後毎食おかゆ。

僕はおかゆが嫌いで食べれない。
なんであんな水のりみたいなものが美味しいのか(失礼)分からなかったのだ。
僕はそれからおかずしか食べない。でも白米がないとおかずも進まずご飯をほぼ食べない生活をスタート。
その頃には下のコンビニ?スーパー?みたいなところで買い物が許されていたのでみかんを食べて生活していた。

すると1週間で3キロ落ちた。

この場合痩せたと言うよりやつれた?という感じだった。

でもそれが嬉しくてさらにダイエットはヒートアップした。

でも38キロに到達してからそれより僕の体重が減ることは無かった。
減らないことにイライラが募り、また41キロまでリバウンドした。
それだけで僕がどうしようもないダメ人間な気がした。
たった数字が38から41になった。それだけで。
たった3キロ増えただけで。
その数字がその当時の僕にはとてつもなく大きかった。

もうその頃にはグラム単位でに気にしていた。毎日体重計に乗った。
カロリー計算などは一切しないでみかんゼリーばっかり食べて体重計に乗る生活が続いた。
ちょうど高校二年生の夏休みぐらいの事だった。
毎日乗った。今日は300グラム減ってる。
今日は500グラム増えてる。
そんな生活を続けた。

友達から痩せた?と聞かれることが嬉しかった。
もっと痩せたい!もっともっと!

その頃の僕には痩せる=可愛くなってる

その式が出来上がっていてとにかく数字だけを気にしていた。

その生活が終わったのは突然の出来事だった。
38キロの時の写真を見た時、41キロの写真の時と何ら変わりなかったことである。
並べてどっちが痩せてる?と聞かれたらぜったいわかんないと思ったときだ。

数字ばかり気にして姿勢は良くしないし脚痩せなどの部分痩せにもこだわらなかった僕はべつにそこ痩せなくてもいいじゃんか。と思うようなお腹周りだけ凹むみたいな感じになった。

そこから食を抜くダイエットはやめた。

だが後遺症のようなものはまだ残っている。
この場合拒食症になっていたのか病院にも行かず、特別周りの人にも言われなかったので分からない為、後遺症といって良いのかわからないが、前より食べるスピードは遅くなったし食べれる量もダイエット以前よりは減ったと感じる。

それでも前よりは幾分かマシだ。あのみかんゼリーを食べていた罪悪感は忘れられない。
食べることに罪悪感なんて感じない方がきっと痩せるよりも生きやすいんじゃないかと今は思っている。

たくさんの可愛い

たくさんの可愛くなりたいに囚われて生きてきた。それ自体は悪いことではないはずだ。今でも僕は可愛くなりたいと思いながら生きている。

だが、行き過ぎた欲望は何事も良くないんだなと思う。

今僕は強くなりたい。
自分の可愛いを否定されてもそれが正しいと言える強さが欲しい。


可愛くなるって言うのは自分の好き貫くことなんだと今は思う。

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