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鬱のとき歴史を想う

今年の春
もう鬱とはおさらばできる!
と希望に満ち溢れていましたが
そんなこともなく
幾度も
鬱はやってきます。

だけど
去年までとは違うこともあって
今年の鬱は
不思議と
おじいちゃんに守られている気持ちがしてなりません。

私のおじいちゃんは
シベリア抑留者だった
そうです。

終戦を迎えて
その知らせが届くのに時間がかかり
終戦から3年ほどして
日本に引き揚げてきたそうです。

私がまだ幼いとき
おばあちゃんが
おじいちゃんを迎えに行って
リヤカーに寝たままのおじいちゃんを乗せて帰ってきたんだよと
おだやかな優しい笑みを浮かべながら
話してくれたことがありました。

その頃は
私もまだその大変さをよく分からずにいましたが
京都の舞鶴まで行って
九州の片田舎まで帰ってくることは
並大抵のことではなかったと
今頃になって
ようやく思うことができています。

そのおじいちゃんは
母が生まれる前に亡くなったと聞いています。

私ももちろん
会ったことはありません。

でも
鬱になり
苦しいとき
おじいちゃんが励ましてくれてるように
感じることがあります。

シベリアでの苛酷さに耐え
生きて帰ってきたおじいちゃん。

私も負けてられないと
思うと同時に
血のつながりや歴史を想います。

そして
母は話しませんが
シベリア抑留について調べていくと
引き揚げ者に対する差別があったことを知りました。

私は
苛酷な環境から帰還した
英雄のように思うおじいちゃんですが
その当時は
きっと
肩身が狭かったのだと想像します。

その差別は
きっとその子どもである母にも及んでたんだと思うと
いたたまれなくなります。

母は
昔からあまり人を信頼していないと感じるところがあります。

何故だろうと
ずっと疑問に思っていましたが
おじいちゃんのことや戦後の歴史を考えていくと
その答えと思えるものが少し形づいてきました。

あまり人を信じられない母から
守られていると
あまり感じられない幼少期を過ごした私ですが
その悲しみのようなものが
私の鬱の原因なのではと
思っています。

その背景にある
心無い差別心。

私は負けたくないと思います。

私は
鬱のとき
その差別心と闘いながら
おじいちゃんを想います。

次の世代に
この悲しい歴史を引き継がせないために。

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