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存在理由を誰か(何か)に依存していませんか。
「あの人がいないと何も出来ない」と
「あの人にはわたしがいないと」は、
どっちも依存だと思う。
ここ数ヶ月で母の腰痛が悪化し、歩行も大変なことが多い。
買い物や家事でわたしが担うことも日に日に増えてきた。
何も出来ずにわたしが帰ってくるのを待っていることもある。
母の年齢を考えると仕方のないことなんだけど、
少し気になるのは、
「母にはわたしがいないと、、、。」という自分の思考だ。
これはある意味、依存ではないかと思う。
多分、母はそこまでは思っていないだろう。
わたしがいなかったらいなかったで、他の方法考えるに違いない。
わたしが母に依存しているのだ。
そして、もっというなら、
自分の存在理由を、他に依存しているのだ。
似たようなことはいくつもある。
例えば、恋愛においても
「あの人にはわたしが必要なんです。」という女性、
「あなたのためを思って」という理由づけ。
その気持ちの裏に、存在理由の依存がある気がする。
また自分がやりたくてやっていることなのだけど、
それももちろん理解しているのだけど、
それを何故か受け入れることが難しくて、
他に理由を見つける。
多分その方がずっと気持ちがラクなのだ。
自分の行動にいちいち理由を探すときって、
必ず自分では受け入れ難い何か他の理由があるのです。
あなたの存在理由もあなたの内にあります。
あなたの内にある真実を見つめ、
そこにある思いに寄り添ってあげてほしい。