11/17(日)法華八講<第2講>のご報告
・「法華八講」とは
令和6年(2024年)11月17日(日)、当山・神木山等覚院にて「法華八講」の第2講がつつがなく円成しました。
「法華八講」は『法華経(妙法蓮華経)』8巻を8座に分けて行う法会のことで、平安時代から行われる古儀です。
講師をおつとめ下さった曹洞宗の藤田一照(ふじた いっしょう)様、ご参加の皆様、後援は仏教伝道協会様、有難うございました!
・13:00開講~法要
当日は21度という過ごしやすい陽気。この前日も翌日も天気が崩れ、この日だけがお天気に恵まれるという、仏天にも加護された1日でした。12:30開場、13:00開講。
まずは私(当山副住職)から、この「法華八講」開催の経緯や趣旨などを説明。そこから寺の本堂に移動し、開講の法要を行いました。お唱えした経文は『般若心経』。
そこから講師の藤田一照師へとバトンタッチをし、ここからは師の懐に身を任せました。
・13:30~ニューロメルト・ワーク~坐禅実修
まず本堂で、「開かれた柔軟な身心であってこそスポンジに水が吸収されるように手穴から仏法が染み込む」という見地のもと、参加者同士でペアを組み、ストレッチ・ワークを実施。
身体も心もほぐれたのち、そこから調身(姿勢)・調息(呼吸)・調心(心の状態)のガイダンスのもと、しばし坐禅の実修を行いました。
そこから会場を講堂(客殿)に移し、以降は坐学の時間となりました。
・15:00~昨年の復習「序品第一」「方便品第二」
『法華経』は、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の『妙法蓮華経』で8巻28章立て。今回の講義は『法華経 巻二』に収録の「譬喩品第三」と「信解品第四」ですが、その前に昨年(前回)の復習として、『法華経 巻一』の「序品(じょほん)第一」「方便品(ほうべんぼん)第二」をおさらい。
「坐禅を通して『法華経』を読んできた」という講師は、「法華経には、凡夫も菩薩として生きられる、という奮い立たせるメッセージがある」と語り、このパートがいかに重要であるか、じっくりと解説して下さいました。
道元禅師の主著『正法眼蔵』の「法華転法華」の巻を引用し、「あらゆるものは真実の現われであるという法華経の立場からすれば、凡夫はなくて全ては仏ばかり」と説き、「法華経の本来成仏を、実際に修行し証明するのが我々の修行である、というのが道元禅師の理解だった」との見方を示されました。
そしていよいよ、本題へ。
・16:00~「譬喩品第三(ひゆほん だいさん)」
「譬喩品第三」のあらまし…
・16:30~「信解品第四(しんげほん だいよん)」
「信解品第四」のあらまし…
講師は「釈尊が樹の下で悟り、これを伝えようと菩薩として立ち上がった。人生の目標が変わった。ここが凄い大事なところ」と強調。道元禅師『普勧坐禅儀』の「宝蔵自ら開けて、受用如意ならん」を引用し、「自分が持っている宝を受け止めそれを自由に使えるように生きること。宝蔵の鍵は道元禅師ならば坐禅であり、法華経ならば信じること」と力説。
講義は小休憩もそこそこに、白熱して進みました。
「法華経は声聞・緑覚だけでなく一切衆生の成仏を説き、私と衆生と共に、という大きなストーリーへと生きる方向性の転換を説いている」と指摘。『譬喩品第三』の「火宅三車」、『信解品第四』の「長者窮子」 の譬えから、「真の自己に目覚める」教えを読み解いて下さいました。
・17:00過ぎ、閉講
4時間という長丁場も、始まってみるとアッという間。講師の熱意に受講者が感応し、法味に浴した受講者の興奮が、また講師を駆動させていく。まるでコンサートの演者と観客が一体となってその場限りの素晴らしいグルーヴを生み出していくかのような、ダイナミックな場が生じていました。
「皆さんはすでに菩薩。今の職業や役割を大きなストーリーの中に位置づけ、記別(未来世における成仏の予言)を受けた菩薩と思ってやってほしい」
と檄を飛ばしていただき、講義はおひらきとなりました。
・次回<第3講>へ向けて
講師をおつとめ下さった藤田一照様、ご参加の皆様、有難うございました!
「法華八講」<第3講>は、令和7年(2025年)内に開催の予定です。
all photo by 戸高元太郎
<副住職 記>