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吉野ヶ里~日本の城のプロトタイプ
佐賀県にある吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の環濠集落跡として教科書でもおなじみです。
同時に、日本城郭協会が選定する「日本100名城」の一つでもあり、100名城スタンプラリーのため城ファンも訪れます。
「吉野ヶ里遺跡が城」というと怪訝な顔をする人が多いかもしれませんが、実際に訪問すると納得できるはずです。
「戦う城」吉野ヶ里
現在の吉野ヶ里公園では、今から約1800年前の姿が復元されています。
弥生時代になると、水場や収穫物をめぐる争いが起き始めます。外敵から集落を守るため、環状の堀で囲ったのが環濠集落です。
公園に足を踏み入れると、さっそく土塁と柵、空堀と逆茂木(さかもぎ)が目に入ります。
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城の基本パーツが揃う
吉野ヶ里は、ただ「環濠の中に村がある」だけではなく、想像よりも複雑な構造をしています。
村の中枢と考えられるのが、「北内郭」と「南内郭」です。前者は祭礼の場、後者は有力者たちの居住地と考えられています。
こうした重要な場所を守るため、二重・三重にも堀や土塁をめぐらせているのです。
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写真の右側が南内郭。城でいえば「本丸」にあたります。中枢が高所にくる発想は、後世の城と同じです。
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内郭のすぐ外側には細長い区画があり、倉が並んでいます。城でいう「帯曲輪」といえそうです。
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空堀と土塁の不思議な位置関係
後の時代もそうですが、基本的に「堀と土塁はセット」です。堀を掘ったときの土を盛って土塁にするからです。
空堀と土塁で固く守られているのは、北内郭も同様です。
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入口は、通路が曲がるように復元されています。敵の侵入を妨害するしくみも「城」の発想です。
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興味深いのは、「郭の外側が土塁、内側が空堀」である点です。多くの土の城では逆になっているのですが。防御の発想に変化があったのでしょうか。
南内郭の南に、完全な円ではない弓なりの土塁と空堀が築かれているのも興味深いです。
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城郭ファンの視点から遺構を紹介しましたが、もちろん弥生時代らしい遺構も見学できます。
「北墳丘墓」や「甕棺墓列」などが興味深い遺構の一例です。
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城といえば、戦国時代や江戸時代のものを想像します。しかし、実際には古代の朝鮮式山城や城柵など、もっと古い時代から城はありました。
弥生時代、すでに城の基本的な構造が活用されていたことには驚きを禁じ得ません。吉野ヶ里公園は広大で、見切れなった場所もあります。いずれ再訪したいものです。