原書感想文④『Porto どうせ働くのなら』(Porto 어차피 일할 거라면)
”海外に暮らす”までは行かなくても、生活するように滞在してみる。
ということを2度経験したことがある。そして今もしたくてうずうずしている。
海外に暮らすように旅行すると、自分が日本にいる時に、意識もしなかったことに影響を受けていることを知ることが出来る。
ひとつ例を挙げると、「人の視線を気にしない行動を学べる」だ。
生きてくために、人の視線を気にしてられない時がある。また、異邦人という身分は時に行動を大胆にさせる。その時「人の視線を気にしない姿勢」を知らず知らず習得出来たりする。
またその経験を通して慣れ親しんだ土地を第三者目線で再度解釈することもできる。
旅行の時にカメラを必ず携帯し、写真を撮りながら街を歩く。そうするとマンホールだったり、交通標識、アパート等普通のもの、何気ないものに目が行くことが多い。帰国した後に、その余韻が残っており普段目にしていたもの、写真に撮るものでもないと思っていたものもまた違った目線で見える。観光しに来た人はこういう風景も新鮮に感じるのだろうかと思う。
だから、他の土地に滞在するように生活するということが好きだ。
この本はデジタルノマドの実践例の一つとして3人の女性がポルトガル・ポルトで1ヶ月間事務所を移し、生活をしてみるというプロジェクトを一冊の本にまとめたものだ。
ポルトの都市に関する生活風俗や、風景。近くの店の店主とのストーリー。そしてかなりの呑んべえなイ・ヘミンエディターの酒の情熱溢れるポルトワインについてほぼ全てのことを記述した(と言っても過言ではない)詳細なレポまで。美しい写真と共にポルートでの生活について想像することができる。
しかしこの本で強く印象に残った部分は、ポルトのことではなくポルトという都市を通して自分達の生活を省みる文章だった。いくつかの要素が挙げられるが、今回は「老人」に対しての文章を取り上げたいと思う。
ハ・ギョンハエディターはポルトで多くの老人を見たという。そのポルトで見た風景の中でいくつか興味深かったことを以下のように伝えてくれた。
ある日、おしゃれなバーに偶然足を踏み入れることになる。
そして、こんな風景も目にしたという。リベイラ広場ではレストランの前やドウロ川の川辺の随所に、歌を歌ったり楽器を演奏するアーティストがいるという。そこである可愛らしいおばあさんがダンスを踊り始めたという。周りがどう反応するだろうと思ったらある人が来てダンスを一緒に始めたという。この光景について彼女はこう振り返っている。
海外に暮らすことは、今住んでいる場所と絡みついている人生の問題に一時的に解放された気分になる。見える風景は全て新鮮で、自分の生活している全ての時間に特別感がある。その特別感に酔ってしまいそうな時もあるが、その都市にはその都市なりに問題があり、しがらみがある。ただ、異邦人という立場はその都市に自分の人生に絡みついている問題がないというだけかもしれない。
そういう浮つきやすい状態の滞在だが、本の中の3人は観察眼を失わずに感じたことを素直に文章に起こして、私たちの前に差し出してくれた。
いつか私もどこかこんな風に期待を膨らませて新しい刺激を受けながらも、きちんと自分というフィルターに通して思考できる、そんな時間を過ごしたい。行ったこともない、見たこともないポルトの美しい風景の写真を見ながら、そんな想像をする時間を与えてくれた一冊だった。
※文中の写真は全てhttps://brunch.co.kr/brunchbook/portoからの写真です。(バーナーの写真以外)