
詩と蜂の子 自由歌集 〈散文詩稿〉
Kill the poet with humour.
あなたたちからすれば、詩作をつうじて詩人の心になっていくということが、精神の自由となり、清らかな肉体となるのかもしれませんが、そういったことはないのです。
端的に申して、言葉足らずです。主観に依存しています。
囚人の言葉を信用しないでください。
囚人は犯罪を自己都合に解釈しますから、かならず論理の跳躍を咎めてください。
蜂の巣に住まう者はみな囚人でありますから。
都市の勾配は、人間を鉄鎖にからめとるのです。
まるで荊棘に縛られたインディビジュアルというのは、大抵、インディビジュアルではありません。自己を律することは、相当に難しく、大いなる責任能力を必要とします。
蜂のように飛行するのです。もう間もなく成虫になる存在のための栄養を運ぶのです。いつまでも成熟しない人は、蜂の子でも食べていてください。
わたくしのスノッビズムを論駁して、
あなたたちの清貧さのほうから自立的な人間を殺してください。
もし可能なら、囚人の発狂を綺麗なソプラノトーンに変えてはくれませんか。
突拍子もない囚人の囈語を、それは妄想であると鮮やかに一蹴してくれませんか。
鉄窓、奥手の潤いなき一隅に、わたくし以外の体温を添えてくれるならば、速やかにそうしてください。
それができないのならば、蜂の子でも食っていてください。
経済人が作りあげた都市建築は、上京と今生の諍論の数だけ背丈を伸ばして、波の合成や力学の力がトーナメントツリーのように作用しますから、あるいは合理的という語のそもそもが論戦を期待しているゆえですから、経済になれ親しんだ人というのは、割合に合理的で闘争的です。喧嘩にならないに越したことはないでしょうが、もしもそうなったならば、負かして蜂の子を食らわせてやりましょう。
経済的実体とはそもそもありませんで、あるのは事物と人の気持ちだけです。それらを一緒くたに商品と呼ぶので、消耗品と奢侈品の違いが生じるに過ぎません。
奢侈品の要素は原価、人件費諸々を除くとマージンは空っぽですから、購入者からすれば一見して損な取引のように思えますが、また実際にも法人に吸収されますが、大きな買い物をしたあとに訪れる達成感や、後日そのエピソードを吹聴することで率に適っているのです。
人は現勢力を支持するか、投資、投機するインディビジュアルとして戯画化することに務めますが、かならず臨戦態勢を維持しながら周囲に触れこみます。
金銭を通じた表現は、お金を財布や口座に忍ばせたままではあまり効果がありません。羽振りが良いところを示してみたり、ポルシェなどを保持している必要があります。
対して貧乏人は反論するでしょう。俺は見定めの時期であり、たったいま金を使う必要はない、あるいは金を無駄遣いするのは馬鹿だ、清貧が一番だと。
挙げ句の果て、わたくしは金銭を用いない表現群には、醵金するのでなし、あまつさえ禍根を残さんとするこのキセル人間に、蜂の子を食らわせなければなりません。
それよりもお金や生活や健康や犯罪が抽象的であることの問題です。多数者の圧制によって犯罪が捏造された場合に有効な対抗手段が存在しません。仮にも人がたったひとつの信念となって存するとき、アリバイも証拠品も検察の恣にされてしまったならば、孤独な人間は判決を前にむせび泣くしかありません。暴れるほかはありません。裁判長は男の本体から輻射されている真実に気づき、疑いの目を向けないでくれるでしょうか。無辜の身でありながら罪人になることは可能です。国民が無辜の民であるときには、その逆に位置するからです。
または発言の真実相当性があらゆる深化をしなければ、わたくしから遊離してしまった言葉が、わたくし自身と一致するでしょうか。詩作とはつねに危険性を孕んでいるわけですが、こうした言葉の質量を人は感じ取れるのでしょうか。わたくしの最終的な言葉は最終的な境遇に一致するはずであるのに、みんなして蜂の子でも食ってればいいわけです。
生活の殉死です。
客観的に死ぬんです。
虚栄心、傲慢という感情は人に徒党を組ませるためのからくりです。革新派も反動も同じ勢力です。抽象的な死を望まないでください。むざむざと犬討ちされないでください。然るべき討伐確率を待たないでください。歩兵のように刻一刻と、ファーストペンギンならアザラシにでも食われてください。自分が可哀想だと思うとき、じつはそうではなく、赤の他人が因果応報のごとく感ぜられ、赤の他人は無関心に贄を差し出しますが、たとえなんらの不義理に遭遇しても憤慨しないでください。かならず売られてください。できるだけ生産的に死んでください。
あなたを売った人間にはあとで蜂の子を食べさせますから。
有言実行が一番大事です。
ですから、宣言と実行と詩と蜂の子の真偽も分からぬ蜂の子は、
わたくしが死ぬまで、永遠に蜂の子でも食べていてください。
蜂の子でも、我が子でも、餓鬼でも、修羅でも殺伐として、
蜂の子でも、芋虫でも、蛆虫でも、嘘八百でも愛していてください。