石さまざま

暇人はイマジンする 六畳一間のホモ・ルーデンス

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  • 掌編小説 ショートショート

    スケッチのような朴訥さとスローモーショニズムによる幻想体験の文学群

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Experiment Into the ball 【掌編小説】

 もしも球体を裏返したならば ひっくり返された球体も又 吾々は「球」だと云い張るだろうが もしも もしもあえて穿ってみて 球体の裏側を表面だと信じることにする と たったいま球体の表面以外が 裏側に属して球体の中に取り込まれてしまったのだ と云うことを 無邪気に云い出す人が現れたとする さて球体の内奥中心部分には本質があると これは秘密と云っても差し支えないが であれば そういう直観は一体全体 何某かを教示してくれただろうか? ぼくらは根本的な間違いを冒している 而るにこれら

    • 八千年紀の怪物 【掌編小説】

       怪物はなぜ生まれたのか 怪物が怪物になる以前 お騒がせな台風があったと云う ふつう台風と云えば夏の暮れから立秋ほどの間にかけて来て 大雨と暴風で洪水を起したり 稲穂を先に刈って行ったりしてしまう しかし 此度の野分というのは 特段に力を持っていた訳ではなかったと云う タイフーンは結局 災いを齎さなかった ひとり自転車に乗った少年が 田圃に落ちると云うこと以外は 少年は予想外だった なぜならば 田圃に落ちると云うのは 田舎の小学生が 立夏の陽気にうっかりして落ちるものだと 泥

      • START COUNT UP 【掌編小説】

        S:「いち、にぃ、さん、しぃ」 M:「よん、さん、にぃ、いち」 S:「ごぉ、ろく、しち、はち」 M:「いち、さん、よん、にぃ」 S:「からかってもムダだよ ボクあ全神経集中してるんダカラネ 数え間違えたら うんぬんかんぬん」 M:「それや随分なこったな じゅうろく、にじゅう、じゅうく、さんじゅう」 M:「そういや さっき数飛んでたな うん 飛んでた飛んでた」 S:「冗談いうナ ボクあずっと真剣に数えてたンだから オマエ邪魔するナ」 S:「オマエもソッチから数えてろ」 M:「い

        • Midnight Accidentally 【掌編小説】

          星座も描けぬ深更にがっかりしたという人があった  田舎都会うんぬんでもなく また雲が星を蔽してしまったとかそういうのではなく ぬばたまの夜がすっかりとという風にして 一箇見えるのもあったが かすかに輝いているだけのことであって しばらくして飛行機が旋ってく界に見比べてみれば 本統にかすかであった 臍のように深くなっていた 飛行機のライトは四つ五つあって 兎に角それでも墜落してしまいそうに たったひとつだけの星に接近して追い抜いていった 「おまえちゃんと輝け!」 と高らかに そ

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          鳶は旋りて 【掌編小説】

          しかしながら、戦場を走り抜ける兵士たちを横切る弾幕の嵐は土くれにあたり、塹壕の手前で堰き止められ鈍い音をさせながら、あるいは金属の甲高い音の所為で負傷者の疵口に障る。血が垂れると自分の肌から滴っていく感覚が分かる。やがてぽたぽたと地面に落ちてったとき、すでに溜まりができていて水面にふれると正確無比な王冠状を模型して、幾らか王冠の先が自分に還りたがっている。疵口は熱をもち、まるで炎が燃えているみたいだ。次第と今度は耳が遠くなり、自分が幽体離脱したような感覚になる。輪郭は纏わりを

          鳶は旋りて 【掌編小説】

          可能性の哲学 《metaverse試論》 〈前半〉

          はじめに本稿『可能性の哲学』は、ある意味で言えば織田作之助『可能性の文学』と相通じている。それは題目を似せてつけたわたしにその原因の一端があるだろうが、ひとつ内面から沸々と湧き出てくる素直な言葉であったと思うのだ。日本における近代エゴの問題はあるときから非常にデカダンの雰囲気を醸し、われわれはその空気に収まるうちにユーモアや冷笑、はたまたそれら全てによる諦観をみずからの拠り所に据えたのである。畢竟、今の政治行動に表れるノンポリティクスはその象徴である。われわれは人々の自己喪

          可能性の哲学 《metaverse試論》 〈前半〉

          金星の位置 自由歌集

          宵の明星も桔槹のやうオレンジモノレール ゆくみちはハタハタと蜻蛉のゆくみち夏未明 夏曉の勇魚のごとく遅くして潺湲たるこの大栗川 水鞠落ちる音いのち跳ぶ音 あらぬものはあらぬ幽けきものはこの心像に 曩の嬰児して母殺むるこころ翠雨のまにまに九月来る 首しなう雑魚を食みたる水鳥も岸辺一面打ち靡く艸 この羽根は毎秒何回転涼しさよ然らば金星木星みな回るもの 雨乞いや龍をいずこと知らざりといみじ飛湍の腹のぼるみゆ 終着駅降りたれば過去の町真夏の田園の異邦のひと 継糸の

          金星の位置 自由歌集

          書き損じのエッセー 

          人間という存在の不安定さのために苦難したことがある者ならば、絶望という感覚を知っているだろう。登山者でもゆらゆら散歩する者でもいいが、たとえばもしもあるとき、わたしは目を覚まして、もしくは夢の中で、視界が暗いことに気づき、しかしながらわたしは歩いているのではないかということを朧げにそう思ったとする。また全身の感覚が徐々に快復しているように思えてきたとしたら。わたしは地面が土であると思った。耳鼻はおのおのに風を感じ、一方に木々枝葉の音を聴き、一方に夜の露の湿った、ハーブと土の匂

          書き損じのエッセー 

          はじまりの詩 自由歌集

          みろよ撓むる蝶々の寂滅のひかり 擦硝子にはて嘴うつる響きかな けふもまた春うらら鳥たちよ 思へば思ふほど時過ぐるは空の青きかな 敗北の銀が泣いてる詰将棋 間合いの大山将棋金固める たんぽぽしか分からぬ野草午前に金銀揺れぬ 立春の頃をば寒くし東風や大栗川の夏留鴨いかなりけむ 流るるみゆ大栗川の白銀鳥の脚おくれて模様をつけき 梅雨は訪れたのではないか春驟雨 子等は行き子等よ憎きと思へども黴生す床でわれ臥してゐる 黴は色々あれど泡のやうに起ちて七日で一面染める

          はじまりの詩 自由歌集

          理想

          理想をひとつ書きたい。私はこれから色々なことを書くだろうが思っていることはひとつだ。もしもそういう理想の土地へ踏み入れたならば、よく反省しようと思う。数えるようにするのではなく、よく顧みられるように。私はこの逃れたい嫌悪のためにわずかばかりの作家性を帯びて作文してきた。時たまにこういう想像をする。もし人間が不平不満から解き放たれたならば、物書きはなにを書くのだろうか。書くことはあるのだろうか。もし不幸にも私の予感が的中したならば、作家が生産しているものとは一体如何なるものであ

          リヴァイアサンと私秘性 【人文学論考】

          われわれは知の形式を分類することができる。いかようにも分類することができる。哲学の系譜や潮流から言っても、様々な学派が存在するというのは、もはや自明であるかのように思われてくる。科学や宗教、文学、日常のあらゆる生活の中でも、まとまったカテゴリーを形成してきた。それらカテゴリーが人間の思考にとって役に立ち、反対に役立たなくなったものは、時代の選別を経て、時に廃止されやがて衰退の一途を辿るのだということを見てきた。錬金術師は化学者に代わり、小作農民は機械労働者へと変貌した。革命に

          リヴァイアサンと私秘性 【人文学論考】

          鉄だという思想

          まえがき 本筋に入る前に、なぜ題目に思考ではなく、思想と表記しなければならなかったか。思考と思想という言葉には如何なる違いがあるのか。何れだけの射程の違いがあると云うのだろうか。一般に思想と云う時、我々はあの悍ましかったヒトラー政権を思い起すのか?それともスターリンを思い起すのか?将又、それに追従してしまった国民の失敗を呼び起こすのだろうか?尤も俗的にも、この言葉の意味を捉えるならば、思想とは危険な物であるという感覚すらある。当然、そう云う危険な思想とは離れる運びであった。

          鉄だという思想

          亞聾啞者

          「咽が痛え」 それは恐らく、この冬の寒さの所為だろう。御負けにエアコンをだらしなく稼働させ続けていると、室内が段々と乾燥してくる。砂漠の様に水の足りない処で、しばらく身を動かさずに居れば、躰中のあっちこっちが痛むのは仕様がない。多分、就寝中に大鼾を掻いているのかもしれない。下手すれば、息の根が絶えているやも知れぬ。寝覚が最悪だった。胃が靠れるは、鼻は詰まるは、耳が鳴る。胡蝶の夢も、若しも蝶々が、瞼の掠れる視界に入り込んだならば、復た私は目を擦ってみるだろう。そういう風にして、

          文体論 造形思考 ② (上昇、下降、感動形式)

          吾々は、交叉点を通り過ぎてからは、狭い路地に当たって、そのまま歩き出した。石垣の段々高くなるや、少し下る坂道を、尚も分からず、突き進んだ。車の往来につけては、隊列を乱し、整えて、それから一寸談笑して、落ち着いて、ということを繰り返した。それは少し気恥ずかしかった。目の先にある麓が、富士山のものかも判らないで行くのも、決まりが悪いし、径が曲がりくねっているのも、気まずかった。昨日、山中湖の近くの民宿に泊まって、吾々の他にも、大学時代の仲間が兎に角、集まったから、全て一緒に行動し

          文体論 造形思考 ② (上昇、下降、感動形式)

          文体論 造形思考 ① (概説、反復、反対)

          <はじめに> 兼ねてから、文学における表現の理論を確立してみたいという一心であったが、同じくして、文章というものに決定的な意味を持たせるということの危うさとの間で、私は非常に悶々としていた。というのも、こうやって物を書いてみれば、私はあくまで物を書いているのであって、心なるものを書いているのではないという気がして堪らなかった。元々、表現に際しては、ただ一枚の紙の上で、事物が兎に角、静止していて、私はと云えば今も常に外の影響に曝されているというのに、それはしっかりと座している

          文体論 造形思考 ① (概説、反復、反対)

          ヴィトゲンシュタイン、レヴィナスに向けて

          私の読書傾向からしても、まず主要な文献を読了しないで、こうやって書き始めるということがある。このことがいかに致命的に、権威的なアカデミズムを軽視しているかということを知らせるだろう。つまるところ、私はもう既に誰かによって考えられたことを再び考えることになるかもしれないからだ。このことは、建築の様式からすれば、それまでの系譜が作り上げてきた土台に対して、自らの形式に従って、新たに建築物を隣接させようとする小賢しいものなのだから。時代の奔流の中で、かつて、このような様式を否定する

          ヴィトゲンシュタイン、レヴィナスに向けて