理解しなくても良い。受け入れることが大事。
社会人4年目くらいの時、会社の人と入った定食屋で頼んだカレーが予想外に超大盛りで、それを見た瞬間、急に残せないプレッシャーが押し寄せてきてひと口しか食べれなくなったことがある。
こんなの理解してもらえないだろうなと思って人にもちゃんと話さなかったし、そもそもいろんなストレスがあって、話すにしても生活のすべてを話すことになるから現実的でないと判断していたんだと思う。
それ以来、人との外食が怖くなって悪循環に落ちいった。人との外食や飲み会も億劫になり、理解してくれそうな人にだけ話したり、量が少なめの飲食店を選ぶなどして、ごまかしごまかその後数年を過ごした。
そんな中で今の妻と出会い、タイミングを見てすべてを話し、妻とならそこまで緊張せずに行けるようになった。
妻(当時は彼女)がどれほど理解していたかはわからないけど、理解できなくても受け入れてくれる人がいたおかげで徐々に克服できていったし、あれからさらに5年以上も経っているのに今だに状況によっては焦燥感が襲ってくることもある。
でもこんな経験があるから、他人のことを理解しようとするスタンスが染み付いてるし、克服には時間がかかることも知っている。強烈な嫌な思い出や恐怖体験は、同じ状況下での楽しい思い出を何度も何度も繰り返して、嫌な思い出が埋もれて見えなくなるまで塗り替えていくことが必要。
外食恐怖になんかなる必要がなければなりたくなかったけど、そのおかげ(?)で他人にはより優しくなれたと思えば、大事な経験値として受け入れることもできるのかもしれない。