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「野火」 大岡昇平 感想文

「偶然」

先日、「ずっと探し続けて〜混血孤児と呼ばれた子どもたち〜」という番組を見た。

昭和20年の終戦後、アメリカの進駐軍が40万人も日本に上陸していたことを知り、改めて驚いた。21年には20万人、22年には12万人と減少して行ったのだが、兵士と日本人女性との間に産まれた孤児は、何と3500人にも昇った。


現在、70歳を越えられたその方々の、苦しい人生の記録だった。自分はどこから来たのか」「自分は誰なのか」、自らの出自を探されていた。

どれほど苦しい子供時代だったのか。それは想像を絶していた。
「人間扱いをされない」、「畜生」と呼ばれる、その幼く小さい身体の子供たちが耐え忍んで生きて来た長い道のりを思った。
決して自分では選べなかった理不尽な人生。決して彼らは望まなかった。
その方々の過去を感じさせない現在の穏やかさに胸打たれた。

「野火」を再び読んで、人としては到底いられない残酷な世界が細かい描写で幾度となく映像となって迫って来るのは前回と同じであった。

自分の血を吸った蛭を食べたり、死に際に声を上げて、自分の股間の汚物の匂いのする土を食べる兵士のを見つめる田村のいくつもの悲惨な精神状態が、きつく我が身に乗り移るような緊迫感を何度も感じたのだ。

歩哨である田村がその観察眼の鋭さで、自然の美しさを見つけられる姿はせめてもの救いに感じられた。

なぜ、今ここに自分がいるのだろうという思いは連続して現れるのであろう。
自分がいるはずのない辛い有様(ありよう)、受け止められない苦しさ残酷さは、孤児の方々にも田村にも共通する感覚であったであろうと、とても重なった。

逃れられない戦争の悲惨な状況下に、ついぞおかれてしまった田村と、全く望まない出生に、自らの生涯を、苦しみと悲しみに費やしてしまった孤児の方々の共通の深い煩悶が伝わって来るのだ。
これが戦争の残骸であり、今も続いている。

引用はじめ

「戦争に行くまで、私の生活は個人的必要によって、少なくとも私にとっては必然であった。それが一度戦場で権力の恣意に曝(さら)されて以来、全てが偶然となった。生還も偶然であった。その結果たる現在の私の生活もみな偶然である」新潮文庫 p.196

引用おわり

「権力の恣意に曝されて」、その後の残虐な状況は、「偶然」の産物である。偶然以外何を追求しても、理由や答えなどないということだ。

パスカルの言葉を新聞でみつけた。
「パンセ」の本は、持っているのだが難しくて読んでいない。

引用はじめ

「私があそこでなくてここにいることに恐れと驚きとを感じる。なぜなら、あそこでなくてここ、この時でなくて現在の時に、なぜいなくてはならないのかという理由は全くないからである。だれが私をこの点に置いたのだろう。だれの命令とだれの処置とによって、この所とこの場所とが私にあてがわれたのだろう」(パスカル パンセ 205)

引用おわり

 「そもそも偶然なのだが、以後このことはその人にとって運命となる」と新聞にあった。

「偶然」、その言葉で救われる気持ちも湧いてくる。またそう思う人も多くいるかもしれない。
しかし戦争の重大さやその辛い体験を考えると複雑な思いは消えない。やはり「なぜ自分なのか」という思いはずっと続くであろう。

世界の現況に、時を得たパスカルの言葉だと思われた。意思の転換に役立つか。
心が軽くなれば好い。

人が人として生きて行けない世界など絶対にあってはならない。

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