【コラム】「ユダヤの陰謀」などないという話
イスラエルとパレスチナが揉めている。ミサイルを撃ち合う交戦状態が何とか終わり、いちおう停戦合意とのことだが、いつまた再発するのか誰も分からない。そもそもなぜイスラエルとパレスチナはこうも仲が悪いのか? 我々日本人からみれば遠い世界の話でもあり、解っているようでまったく解らない。
私がはじめてパレスチナ問題に触れたのは手塚治虫の後期の代表作『アドルフに告ぐ』だったかもしれない。第二次大戦前後のナチスドイツと、ヒットラーにまつわる機密文書の行方を巡る歴史サスペンスとも言うべき大作漫画である。漫画の終盤で舞台はそれまでの日本とドイツから一転、中東に移る。第二次大戦が終結したのち、イスラエルが建国されてユダヤ人たちが入植してくる。しかしそこには何百年も前からパレスチナ人が住んでいた。「ここは俺たちイスラエルのものだからお前たちは出ていけ」とユダヤ人に言われても「はい、そうですか」とむざむざ明け渡すわけはない。一つの土地を二つの民族が「俺たちの土地」というのだから揉めるのは当たり前だ。揉めるだけでは済まない、実際に内戦になり、殺し合いになっている。『アドルフに告ぐ』ではその様子をこう表現していた。「それぞれの正義を振りかざしたのである」と。そしてその揉め事は現在までずっと続いている。
問題はイスラエルとパレスチナの間だけではなく、もう一人、重要な登場人物がいてそれがアメリカだ。アメリカはイスラエルを支持している。それはもう、常軌を逸しているくらいに熱烈に支援をしている。一説にはイスラエルの軍事費の何分の一かはアメリカからの援助であるという。確かにイスラエルのユダヤ人は優秀な民族なのだろうが、周囲をすべて敵に囲まれた彼の地でやっていくには誰かの強力なサポートがなければ難しいだろう。なぜアメリカがそこまでイスラエルを助けるのか、その理由がよく解らないので、日本では「ユダヤの陰謀」が囁かれている。ユダヤ人はアメリカにも多く暮らしている。彼らは銀行家やビジネスなどで成功している富豪が多い。そんなユダヤ人がアメリカの政治を影で操り、資金や軍事援助を引き出し、イスラエル支援に回しているのでは、という話だ。たとえばこんなブログなどにもある。
『アメリカ国内でイスラエル・ロビーの活動を批判すれば、政治家たちは社会的地位を脅かされたり、選挙での当選が難しくなったりする』
『アメリカの「ニューヨーク・タイムズ」「ワシントン・ポスト」など主要なメディアにもユダヤ系の人々が多く、またワーナーブラザーズなどハリウッドの映画産業もユダヤ人が興したため、アメリカの世論形成に大きな影響力を持つ』
(上記のブログより)
このようなブログの内容はもはや定説と化していて、ネットの掲示板などでも盛んに論じられている。たしかにユダヤ人のロビー活動は活発なのだろう。またユダヤ人からの資金がアメリカの政治家を動かしている、というのも事実だろう。しかしそれでもなぜアメリカがそれほどまでイスラエルを支持するのか納得出来なかった私は、自分なりにかなり調べ、本を読み漁ってみた。するとだんだんと見えてきたことがあった。問題のキーワードはユダヤやパレスチナというよりも「キリスト教」であったのだ。
アメリカがイスラエルを支援するのは二つの理由からである。
1、アメリカが民主主義国家だから
2、アメリカがキリスト教国家だから
この二つの理由により、アメリカはイスラエルを支援している。いや、もうせざるを得なくなっている、といった方がいいかもしれない。1の民主主義については説明するまでもないだろう。現在の日本も民主主義国家であり、その仕組みについて理解していない人は少ないだろう。しかし2のキリスト教については、多くの日本人は解っているようで解っていない。もちろん私自身も一から十まですべて理解したわけでもないが、パレスチナ問題の根本がキリスト教だと気づいたときには自分でも呆れてしまった。こんなことが原因だったのかと、バカバカしくさえ思った。それでもアメリカをはじめ世界の大国はこのバカバカしい問題を解決するどころか、抜き差しならない状況にまで育ててしまったのだ。私はもうパレスチナ問題は永遠に解決することはないだろう、と思っている。それもキリスト教が絡んでいるからなのだが・・・・
まずキリスト教とはなんだろうか? イエス・キリストが教祖となって、二千年ぐらい前に作られた宗教だ、と思うかもしれないが、それは正しくない。イエス・キリストはユダヤ教徒であり、彼がしようとしたのは「ユダヤ教を改革しよう」ということだった。また彼は十字架に磔にされているが、その理由も複雑でよく解らない。当時、二千年前の彼が活動していたのは、現在のイスラエルの地だが、現代とは様相がまったく違う。ユダヤ人のもともとあった国はローマ帝国に占領されていた。そして軍事的にはローマ軍に抑えられていたが、国を運営するのは地元のユダヤ人に委ねられていた。ローマは軍事権と警察権を握り、行政権はユダヤ教の指導者たちが持っていた。そこに現れたのがイエス・キリストなのだが、ユダヤ教指導者たちに嫌われて迫害され、その挙句に十字架に磔になる。このあたりも理解し辛いが、イエス・キリストをカリスマ政治家、ユダヤ教指導者たちを官僚機構と置き換えれば分かり易くなる。曲がりなりにも国を運営してきた官僚たちにすれば、自分たちのことを批判し、人気取りの演説で大衆にウケのいいカリスマのことが許せなかったのだろう。こうしてキリストは磔になるが、一時的に復活し、その後、昇天する。
これだけで終わっていれば、キリスト教が広まることはなかった。しかし彼の弟子達がキリストの教えを世界に向けて広めていく。もともとのユダヤ教は「神に選ばれたユダヤ人」だけのものであったが、キリスト教は人を選ばない。救いを求める人には門戸を開いていくスタンスである。なのでキリスト教はどんどん広まる。ローマ帝国内でも当初は弾圧されていたが、あまりにも広まったので公認せざるを得なくなる。ローマのバチカンにキリスト教の総本山が築かれ、ローマ帝国崩壊後もさらに世界に向けて発展していく。
とはいえ、紆余曲折はある。一番の対抗となったのはプロテスタント勢力の分派である。つまりもともとのローマカトリックから分かれた人々がいたのだ。というのも当時、バチカンの総本部は相当に腐敗していたようである。ヨーロッパのほとんどに勢力を広げ、軍事力は持たないが勢力下の国の王様を認定する立場まで上り詰めた。ブイブイ言わせるようになったのも当然だろう。金持ちに免罪符を売りつけて私腹を肥やしたりしていたこともあり内部に「ふざけるな」という勢力が出てくるのも当然だ。ちなみにプロテスタントとは「抗議する人」という意味があるという。
現在のヨーロッパでも国によってカトリックとプロテスタントに分かれている。昔は殺し合いをするほどだったが、今はさすがにそこまではしない。分かれた当初、プロテスタントの人々は困ったそうだ。バチカンに不満を言って飛び出したのだから、もうバチカンにいるローマ教皇の権威に縋るわけにはいかない。なにを拠り所にすればいいのか、と悩んだ結果「俺たちには聖書があるじゃないか」ということになった。ローマ教皇なんてただの爺いだ、キリストの教えは聖書に書いてあるのだから、これを拠り所にして自分たちの生活を導いていこう、となったようである。
しかしここまでまだアメリカは出てこない。というか、まだアメリカはない。プロテスタントが広まったのは主にドイツとイギリスだが、イギリスの中に徹底したキリスト教改革を求める人たちが出てきて、主流派から迫害される。プロテスタントの中のプロテスタント、といった所だろうか、一部の尖った人たちがカルト化して手に負えなくなるという、宗教に限らずどんな集団にもよくある流れである。清教徒と呼ばれた彼らは迫害を逃れて仕方なしにアメリカに渡ることになる。ちょうどイギリスがアメリカ大陸の植民地化を進めていたので新天地に希望を見出したのだ。『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』という本にあった一節が印象的である。
『こうして、新たな世界に新たなエルサレムを築こうと、メイフラワー号で大西洋を渡ってプリマスに上陸したのが、ピリグリム・ファーザーズである。つまりアメリカは、常軌を逸したカルト教団により建設されたのである。』
つまりアメリカという国はそのルーツにカルト化したキリスト教という怪しげなものがある。カルト宗教と聞いて私がまず思い出すのはオウム真理教だ。私の年齢だとあの教団がおもしろおかしくメディアに取り上げられ、選挙に出て、さらにテロを巻き起こして日本中を騒がすあの一連の流れが、好むと好まざるに関わらず、視界の片隅にずっと見え隠れしていたのだ。しかし私は一方では「宗教なんてみなカルトだよね」という思いもある。発祥が数千年前だろうと、去年だろうと、不合理で非科学的なものただ信じ込み、人生の指針にして生きていくなんて、古かろうが新しかろうが何がどう違うというのか? 私自身はいまどんな宗教も信じていない。・・・とは言いつつ今日も私はたまたま立ち寄った神社に参拝して賽銭をいれ、二礼二拍手していた。宗教を信じてない、と言っておきながらこんなことをしている。つまり私自身が「宗教に疎い」という実例でもあるのだ。そして私に限らず、日本人のほとんどがこんなものだろう。
閑話休題。アメリカはこうしてキリスト教の新興国として発展してくる。最初こそカルト的な人々が開拓の中心だったが、のちのちヨーロッパの様々な階層や宗教の移民がなだれ込む。その中にはカトリックの人もいて、アメリカ国内に一定の層を形成する。しかしアメリカのキリスト教の多数派はプロテスタントだ。このプロテスタント勢力は一枚岩ではない。いくつもの宗派に分かれていて穏健なのから過激なものまで多種多彩である。このカトリックとプロテスタントの違いも教科書的には旧教、新教と書かれただけで分かり辛かったりもするが「バチカンを頂点に一元化された組織で、ローマ教皇の権威を認めているのがカトリック」であり「一元化されておらず、ローマ教皇の権威を認めていないのがプロテスタント」と区別すれば理解しやすい。プロテスタントが拠り所にしているのが前にも書いた聖書である。聖書に書かれている教えを許に彼らは信者を集めて集会をしたり、布教したりしている。つまりもしあなたが一冊のキリスト教の聖書を手にして布教活動を始めれば、れっきとしたプロテスタントの一派ということになる。ローマ教皇に断りを入れる必要などないのだから、誰でも自由に始めればいいのだ。人が集まるかどうかはまた別問題だ。
そして問題なのはその聖書である。そう、パレスチナ問題の根底にあるのがキリスト教の聖書の内容なのだ。詳しく解説すると、キリスト教の聖書は旧約聖書と新約聖書の二種類に分かれていて、合わせて一つである。旧約聖書とはユダヤ教の聖書その物であり、神が六日間で世界を作ったとされる創世記やノアの箱船、モーセの十戒など日本でもどちらかといえばよく知られている古代のお話が記されている。つまりイエス・キリストが現れる以前のユダヤ人の苦難の歴史が描かれているわけだ。新約聖書はキリストが現れて以後のこと、キリストがどんなことをしたか、なぜ十字架に磔になったのかという言行録としての福音書、書簡集、黙示録からなる。そして重要なのが、この新約聖書の最後に収録されている「ヨハネの黙示録」である。これがそもそもの問題の核心なのだ。
すこし話題を戻すと、プロテスタントの人々は聖書を信仰の拠り所にしている、と書いた。言ってしまえば聖書がすべて、なのである。プロテスタントから聖書を取り上げたら何も残らない、というのは言い過ぎかもしれないがそれに近いだろう。だから一部の過激なプロテスタントの人々はこう考えるようになった。「聖書に書かれてある内容に偽りはない。すべて真実である」と。われわれ現代の日本人が読んでこれは本当のことではないな、と思うような内容も一切合切が真実である、と頑なに信じているのだ。これを聖書の無謬性(むびゅうせい)という。ネットの辞書で無謬性を引いたらこうあった。「誤りが含まれていないということ。誤りのなさ。誤りようがない、すなわち、絶対に正しいという意味でも用いられる」。なるほど、聖書に書いてある内容に絶対に間違いはない、そう固く信じることが大切である。だから神が六日間で世界を作ったということも、アダムとイブが楽園を追放されたことも、モーゼの前で海が割けて追手から逃れたこともすべて真実だと信じるしかない。宗教なんてそんなものだろうとはいえ、現代の科学からは矛盾する内容ばかりだ。だから過激なプロテスタントは地球が45億年前にできたことも、生物が進化して徐々に変化してきたことも否定する。宗教なんてみんなカルトである、私がそう考えるのも理解してもらえるだろう。
さて問題の「ヨハネの黙示録」である。黙示録とは簡単に言えば「予言の書」である。ヨハネさんが書いたものなのだが、彼は紀元100年ころの今のギリシャあたりにいたらしい。当時はキリストが生きていた時代よりもさらに悪い状況だった。エルサレムのユダヤ人たちが占領軍であるローマ帝国に反乱を企てたため、逆に打ち負かされて追放され、ユダヤ人たちは祖国を失ってちりじりとなった。またローマ帝国はキリスト教への弾圧も強めていたため、こっそりと信仰を続けるしかなかった。ヨハネはそんなローマ帝国への怒りを込めて黙示録を書いたのだが、ローマ側にバレないようにかなりぼやかして書かざるを得なかった。そんなわけで「ヨハネの黙示録」は分かり辛い。いわば「ノストラダムスの大予言」と同じようにどうとでも受け取れる曖昧な書き方で、ローマ帝国はいつか必ず滅びる、そしてキリストが復活してキリスト教の国が作られるんだ、というようなことが書かれている。あまりにもおどろおどろしい書き方なので、終末論が大好きな現代のオカルト論者からも好まれるようにもなった。そしてもちろん、聖書の無謬性を信じて疑わないカルト的なプロテスタントからも人気がある。「キリストが復活する」と書かれているからだ。
カルト的なプロテスタントの人々はこのヨハネの黙示録や、福音書のあちこちから自分たちに都合のいい文言をかき集めて一つのイメージを作り出した。それはこんなものである。「世界にちりじりになっているユダヤ人たちがやがてエルサレムに舞い戻ってくる。すると偽キリストが現れて人々を大いに惑わす。悪魔の勢力とキリスト教徒の間で世界終末戦争が起きる。戦争はキリスト教徒の勝利に終わる。するとキリストが天界から再臨してくる。地上にキリストが治める千年王国が築かれ、人々は平和に暮らす」。聖書のどこかに直接はっきりと書いてあるわけではないが、あちこちから寄せ集めた内容を継ぎ接ぎするとこうなるのだそうだ。図にしてみるとこの様になる。
そうなのだ。イマココ、なのである。約2000年もの間、世界にちりじりになっていたユダヤ人たちが現在、実際に世界中からエルサレムに戻って来て、イスラエルという自分たちの国を作っている。これは聖書に書かれていた予言の内容が、現実に起きているのではないか。このまま事態が進めば、やがてキリストの再臨が起こるのではないか。おお、そうだ、予言を後戻りさせるわけにはいかない。イスラエルがイスラム教徒に攻撃されているだって? それはまずい、なんとしてもイスラエルを守るのだ!
嘘だろ、と思うでしょ? ところがどっこい、これが真実なのである。アメリカがイスラエルを絶対的に支持する理由は「キリストの再臨を見たいから」なのだ。そしてこの様に考えるカルト的なプロテスタントはアメリカの全人口の三割から四割くらいとされている。アメリカの総人口はだいたい三億人だから、一億人のカルト教徒がいると考えていい。彼らは「福音派」や「キリスト教保守派」や「キリスト教原理主義者」などとも呼ばれている。そんな彼らの大部分はバイブルベルトと呼ばれるアメリカの南部に暮らしている。
どうしても日本人がイメージするアメリカとはニューヨークの高層ビル群であったり、ブロードウェイであったり、また西海岸のハリウッドだったりする。しかしそれはアメリカの一部だ。日本人にあまり馴染みのない南部に問題の源泉があるのである。とはいえ、バイブルベルトの人々がイスラエル支持になったのは最近のことで、戦後の1960年代以降であるという。その頃からテレビを使った伝道師などが現れ、マスメディアを通じての大々的な布教活動が盛んになった。彼らがそんな折に起こったイスラエルとパレスチナ間の中東戦争を引き合いに出し「聖書に書かれている予言が現実になっている」とテレビを通して演説したものだから、保守的なプロテスタントに受け入れられるようになった。戦前はアメリカでもユダヤ人差別がまかり通り、ナチスドイツに共感を抱く人も少なくなかった。そんなアメリカが今ではイスラエルを熱烈支持しているから陰謀論が囁かれるわけだが、戦前はまだイスラエルがなかったから、と考えれば納得もいく。ユダヤ人の大富豪がアメリカを影で操る必要などまったくないのである。
当のイスラエルはそれをどう思っているのか? 当たり前だが彼らはユダヤ教である。キリスト教なんてまったく信じていない。(少しはキリスト教のイスラエル人もいる)。だからキリストの再臨なんて起こるわけがないと思っている。ただ世界一の軍事力のアメリカが援助してくれるというので、ありがたく受け取っているだけだ。そしてアメリカの福音派もキリストの再臨が目的なので、キリストが現れたらその後のイスラエルはどうでもいいと思っている。ユダヤ人を全員キリスト教に改宗させようという意見から、皆殺しでいいよね、までいろいろと分かれている。つまりイスラエルとアメリカは同床異夢、現在こそ手を携えているが、別々の未来を夢見ているのである。
予言に書かれていたことが実際に起きる、日本人もそんなお話が大好きだ。『風の谷のナウシカ』のラストシーンを思い出して欲しい。その者、青き衣を纏い、黄金の野に降り立つ、という古代の予言がナウシカによって成就したのだというあのラストシーンは皆さん覚えているだろう。そして『新世紀エヴァンゲリオン』。死海文書に書かれていた人類補完計画という謎めいた予言をネルフと言う主人公たちの組織が成し遂げようと奮闘する。彼らが戦うのは使徒サキエルや使徒ラミエルといったキリスト教の天使の名前がつけられた敵たちなど、キリスト教を連想させる設定が多い。そもそもエヴァンゲリオンという名前が「福音派 Evangelical エヴァンジェリカル」から採用されていることも明白だ。キリスト教の成り立ち自体にもはっきりしない謎めいた部分が多い。イエス・キリストその人も本当にいたのか、架空の存在なのではないか、という議論さえある。今から2000年前のことなのだから当たり前だ、当時は新聞もテレビのニュースもウィキペディアなどもなかったのだ。つまり『新世紀エヴァンゲリオン』とは実際のキリスト教のよく分からない複雑な成り立ちや経歴を継ぎ接ぎして、謎めいたSF作品に仕立て直すという、キリスト教に疎い日本人だから作れた作品であり、キリスト教に疎い日本人向けだからウケたのだ、ともいえる。アメリカの福音派の人々は、日本人がSF仕立てのアニメ作品というフィクションで楽しんでいることを、現実の世界の出来事として真剣に取り組んでいる。とにかく彼らはイエス・キリストのことが大好きだ。何としてもイエス・キリストの再臨に立ち会いたいのだ。
イエス・キリストを英語で発音すれば、ジーザス・クライストになる。福音派の人たちはとにかくジーザスを愛している。ジーザスなしの人生など考えられない、というくらいに熱烈に支持して愛している。『ジーザス・キャンプ』というドキュメンタリー作品を見ればその異常なくらいの熱愛ぶりは伝わるだろう。下はその予告編だ。
再臨とは英語ではSecond Comingと言うが、グーグルの画像検索で「Jesus Christ Second Coming」をググってみると、下のような画像が現れる。
彼らが望んでいるのがこんな光景だ。低く垂れ込めた雲が開き、神々しい光が差し込んでくる。それと同時に白い服を着たジーザスが両手を開いて空から降りてくる。「ら~~」という効果音とともに、キリスト教徒の勝利を知らせるために、地上に楽園を築いて人々を幸福に導くために天から降りてくる・・・・。バカバカしいが、これが中東でいつまでも混乱が続いているもともとの原因なのだ。アメリカはイスラエルと敵対するイランが核兵器を持つことを絶対に許そうとしない。それもそのはず、もしイランがイスラエルに核兵器を打ち込んでエルサレムが跡形もなくなってしまったら、ジーザスの再臨という予言が成就しなくなる。だからなんとしてもイランの核武装を阻止しようとするだろう。どんなことをしても・・・
アメリカの有力な政治家、大統領であったり、副大統領であったり、あるいは議会の大物議員がユダヤ系の人々の集会に招かれてこんなことを言う。「われわれの心はイスラエルとともにあります」と。そんな映像を見た我々は「なぜそこまで熱烈にイスラエルを支持するのだろう?」と疑問を抱くが、なぜだかよく解らないからユダヤの陰謀を疑う。しかし彼の地元、選挙区をよくよく調べれば、ジョージア州だったりミシシッピ州だったりテキサス州だったりする。そう、バイブルベルトだ。彼は自分の選挙区の大衆向けに発言しているにすぎない。地元の有権者のほとんどが福音派だから、キリストの再臨を実現させます、という態度を見せなければならないのだ。つまりアメリカが民主主義であるため、イスラエルを支持せざるを得ないのである。
しかしまだ疑問は残る。なぜアメリカはそこまでカルト的なのだろう? プロテスタントの国はアメリカだけでなくヨーロッパにもある。なぜアメリカだけが国を挙げてカルト化しているのだろうか? おそらくその回答は「アメリカが戦争で勝ち続けているから」だろう。第二次大戦の勝利で世界の覇権国となったアメリカは自分たちが神に祝福されていると思うようになった。ベトナム戦争の敗退で少し揺らいだが、アメリカの本土はまったく無傷で済んだ。そしてソビエトの崩壊により神に祝福されている、という思いはますます強まった。逆に言えば日本に無神論者が多いのは戦争に負けたからだろう。日本は神の国だ、というスローガンの許に戦争を始めたが、その結果はご存知のとおりひどい敗北だった。日本人のほとんどが「宗教に熱心な人って心が弱い人だよね」と思っているのも無理がない。神などいなかったからである。
アメリカ国内のユダヤ系の人口は総人口のわずか二パーセントだ。彼らに富豪が多かったり、熱心なロビー活動で政治家に資金をばら撒いているのは事実だろう。マスコミなどのメディアに影響力があるのも確かだろう。しかし、だからと言って残りの98パーセントのアメリカ国民が簡単に騙されるなどあるのだろうか? ユダヤ人の企みで踊らされているほど、バカなのだろうか? そんな単純な疑問に端を発した私の探検はとんでもないところに辿り着いた。ユダヤの陰謀などはない、だからこそ中東の悲劇は終わらない。それは間違いない。神などいないのだ。
もし神がいるのなら、こんな悲劇を放置するはずないではないか?