平松誠治
自作小説の短編をまとめています。400字詰原稿用紙で30枚から50枚くらいです。
小説以外のエッセイ、コラム、雑文などはこちらです。
半年ぶりに再開した 新谷が岡駅の階段を登りながら、ぼくはあの事件のことを思い出していた。ここに来る前までは気が重く、とても登れない気がしていたけど、実際に来てみたらそうでもなかった。あの事件のことは過去のことだ。発生した直後は確かに衝撃を受けたし、言葉も出なかった。しかしぼくはもう克服した、ああ、そう断言したい。 その事件とは日本中を震撼させたテロ事件、一人の人間が引き起こしたものでは世界最大の犠牲者を出した最悪の悲劇だ。事件の首謀者はぼくの友達だった井澤兼好で、彼は小
戦争が終わらない。どことどこが闘っているのかなど、言わずもがなだろう。2024年八月現在、ロシアとウクライナの戦争は継続中だし、イスラエルとパレスチナの闘いも同じく続いている。いや、これだけではない。戦争と言えるほど大きなものでなくても、内戦、内紛、軍事侵攻、軍事紛争、そんなものは世界中どこにでもあるのが現状だ。第三次世界大戦はすでに始まっている、という人もいるし、第二次世界大戦は終結などしていなくて、ずっと続いているのではないか、なんて言説もあるくらいだ。それだけ人類の歴
世界的ベストセラーとなった歴史書を何冊も上著しているエルサレム大学の歴史学教授のハラル・ユブリ教授の新刊は、これまでの全人類を俯瞰する本とはガラリと傾向を変え、とある一点に絞った著書になっている。タイトルは『メディアの中のナチスドイツ』。戦後の西欧諸国の映画や小説といったエンタメ作品で取り上げられたナチスドイツ像が、どのように変化、変容していったかを検証し、21世紀に広まりつつある歴史修正主義の潮流も紐解くものになっている。そして第7章は「プロレスの中のナチスドイツ」であり
ビッグフットは実在するのだろうか? それとも想像上の動物、インチキ、まやかしに過ぎなないのだろうか? 今回、私がこのエッセイを書こうと思ったきっかけはX(旧ツイッター)で見かけたとあるツイートであった。それはビッグフットが映画のフィルムに撮られたとして有名なパターソンフィルムを加工した動画を取り上げたものだった。二足歩行をする毛むくじゃらの怪物が振り返りつつ歩き去る、あの有名な数十秒の動画だ。オリジナルの動画は手ブレが激しくてとても見づらいものであるのだが、CG処理をし
脳がチップ化されて以来、鳥が増えた。 死にかけた年寄りたちがこぞって自分の脳をチップに移し、肉体が滅びた死後には、そのチップを鳥の脳に埋め込むようになったからだ。今やほとんどの年寄りが死ぬ前にそうしている。急な事故で死んだりする以外、それで不死を掴んだようなものだ。おかげで僕の仕事も増えた。 チップを埋め込む動物も何だっていいのだが、人気なのは圧倒的に鳥だ。それもオウムやヨウムなどの長生きする大型の鳥だ。その二つにコンゴウインコを含めた三種は、普通に飼育すれば五十年は
今現在、スウェーデンにスキージャンプ選手は存在しない。それがこの十年来私が抱いている謎なのである。なぜだろう? 一体どうしてスウェーデンからスキージャンプ選手がいなくなってしまったのだろうか? とはいうものの、この言い方は厳密に言えば間違っている。私はスウェーデンに行ったことなどないし、スウェーデン国内のスキー場の施設をくまなくチェックしたわけでもないからだ。正しく言うなら「スウェーデンのスキー連盟は、オリンピックやスキー世界選手権やスキージャンプ・ワールドカップなどの
買い被られてきた人生だった。 丹下賢太郎は夕暮れが近づく高速道路を一路埼玉に向かって車を走らせながら、一息をつく。なぜ自分はこうもツキがないのか、もう何度自問したことだろう。なぜ周囲の人は自分のことを「優秀なんでしょ」とか「出来る人では」と思うのか、まったく分からない。しかし賢太郎は子供の頃から、なぜかそのように見えていたし、思われていたようなのだ。その後、周囲は彼がそれほどの人間でなかったことに気づき、離れていく。「メッキが剥がれたな」と言われたこともある。いや、あなた
人間は死んだらどうなるのだろう? そんなこと、考えても無駄だと分かっていつつも考えてしまう。自分もそのうち死ぬことが分かっているからだろう。 若いうちは自分が死ぬことなど考えもしない、とはよく言うが、私の場合はそれは正しくもあり、違ってもいる。若いうちから死はすぐそばにあった。これは私だけの問題ではなく、誰でも体験しているだろう。例えば祖父や祖母など、高齢の家族は自分がまだ若かったり子供の頃に死んでいるはずだ。また学校の同級生などが病気や交通事故で死んでしまったという体
学園都市の内務政府が統制を強めてデュエルを禁止し、我々は少し暇になった。しかし 四季母里教授によれば「私が若い頃も同じことがあった。官僚たちの派閥争いのとばっちりみたいなものだった。今回もそうだろう。ほとぼりが過ぎればまた復活する」とのことだった。なので鍛錬を怠るわけにはいかない。私は学問に集中するのと同じくらいに道場でのトレーニングにも力を入れた。 「 風雅武賀、君はよくモチベーションが続くな」と 武貴屋楠助教授は半ば呆れて言った。彼は道場に来てから五十分、ただ身体
最近、ドライバーのマナーが少し良くなったような気がする。ほんの少しだが、そう思うのである。 例えば、信号のない横断歩道だ。歩行者の私が横断しようとすると、やって来た車が停止して譲ってもらうことが増えた。以前はこんなことはなかった。まったく誰も停まってくれず、車の列が途切れた瞬間に慌てて渡らなければならなかったのだ。ちなみに私が車を運転している逆の立場では、必ず停止して譲っている。か、な、ら、ず、である。 つまり今回のエッセイのテーマは「信号のない横断歩道に渡ろうとし
局長のブリーフィングを嗅ぎながら俺は眠気を催していた。つまり退屈していた。俺のキャリアでは三年ぶり五回目の異文明との交渉だが、面白そうな、心躍るときめきなど感じようもない。今度の異文明人、アース星人は我々人類と限りなく似ていて、個体のサイズや雌雄両性なども我々とそっくりだが、とてつもなくかけ離れた面があるという。個体同士の意思疎通に空気を震わせる音を使ってコミュニケーションを取っているらしいのだ。 「まったく奇妙な奴らだが」と局長は匂わせた。「最近、銀河連盟にやっと加盟した
2021年4月4日、とある女性アスリートがインタビューで語ったある言葉に世間はちょっとした騒ぎになった。いや、この書き方は適切ではない。そのアスリートが語った内容は競技直後のインタビューとしてはいたって普通だった。常識外れの問題発言など一切なかったのだ。彼女の名前は池江璃花子。彼女はただ「努力は必ず報われるんだなんていうふうに思いました」と語っただけなのだ。 ではなぜ彼女の言葉が騒動を巻き起こしたのだろう? まず彼女、池江璃花子は2000年生まれの、若くて有能な水泳選手
野球やサッカーを楽しいと思ったことは一度もない。 いや、私はむしろ子供の頃からこのように思っていた。「どうして皆はこんな簡単なことができないのだろう?」と。サッカーならば、シュートを蹴ったらゴールが決まるのが私にとっては普通だった。まわりのディフェンダーをどう躱し、キーパーの動きを読み、足許のボールのどの部分をどのくらいの力で蹴れば思い通りのコースにボールが飛び、ネットに突き刺さるのか、そんなことは常日頃から百パーセントの確率でこなす事が出来た。しかしまわりの同年代の子供
今から十数年前、私はインターネットサーバーの故障受付、という仕事についていた。24時間受付の交代制、昼間の日勤と夜勤を交互に就かなければならないシフト制だった。最初から夜勤有りとは聞いていたが、私は勘違いをしていた。夜勤だけを一ヶ月ずっとやって交代し、日勤を一ヶ月ずっとやる、そんな勤務を想像していたが違ったのである。日勤に入った翌日の夕方から翌朝まで夜勤、そして休みを挟んでまたそれを繰り返す、という生活リズムをぶち壊すことを目的としているかのようなシフトで私はすっかり不眠症
レズビアンの両親に育てられた僕は——当たり前と言ったら当たり前なんだけど——父親の存在を一切意識することなく成長した。僕の家はよそとは少し違うようだぞ、ということは早いうちに、それこそ幼稚園の頃から気づいてはいたけど、子供である僕に出来たことなど何もない。お父さんはいないのにお母さんが二人いる、というまわりの家とは違った変な状況を、何の抵抗もなく受け入れた、と言ったら嘘になるけど、泣いて喚こうが何をしようが変わることはない。長い時間をかけて自然に慣らされていった、と言
昔からオカルトは嫌いだったが、なぜかUFOは好きだった。UFO、そう未確認飛行物体のことである。 このエッセイを書き始めたきっかけは先日、テレビでやっていたUFO番組が期待していたほど面白くなかったからだ。なので「そういえば、昔のUFO特番て面白かったよなあ」としみじみ思えたのである。しかしUFOもオカルトも同じじゃないか、という意見が聞こえてきそうである。まあ、そうかもしれない。どちらも同じく、いるかもしれないが、いないかもしれないあやふやなものであり、少し頭のネジが