♫ソナタの魅力♫ 久元祐子レクチャーコンサート
雲一つない快晴の土曜日、
浅草から東武日光鬼怒川行きの電車に乗り、
栃木西方にある
西方音楽館 木洩れ陽ホールに
お友達と連れ立って行ってきました。
西方音楽館 木洩れ陽ホール
オーナーの中新井紀子さんが
自宅を改造したこのホールは
サントリーホール、紀尾井ホールなどの
音響設計を手掛けた永田穂氏の協力のもとに造られた
小さいながらも本格的な空間で、
ニューヨークスタインウェイB、チェンバロ、
フォルテピアノが常設してあります。
中新井さんは西方音楽館について
こう書かれています。
20歳の時からピアノを教え始めて約30年。ピアノを弾くのが好きな子、ひいては音楽が好きな子を育てようと、あれこれ試行錯誤を続けた結果たどり着いたのが、西方音楽館の構想です。
西方音楽館の名前は西方町からとりましたが、この西方(せいほう、元々は宇都宮から見て西方)の田舎から世界に向けて音楽を発信したいという思いが込められています。
2000年に西方音楽館を立ち上げ、
ピアノ教室、わらべうた教室を始められ、
2001年より企画コンサートを開始。
2012年から「木洩れ陽ホール」「馬酔木の蔵」をオープンして
積極的な音楽啓蒙活動を始めらました。
紀子さんはとっても魅力的な方で
ゆっくりお話を伺いたいと思っています。
昨日はあまりのお天気が良いので
男体山の勇姿を見ながら
桜の名所で知られる思川の土手を散策したり
道の駅まで歩き、名物のにらそばをいただきました。
栃木といえばイチゴ!
美味しいとちおとめのスムージーも味わいました。
久元祐子さん ピアノ
1994年に遡ります。
毎日新聞社主催 第13回毎日21世紀賞を受賞をした時に
如水会館で行われた授賞式で初めてお目にかかりました。
清楚な佇まいの祐子さんは
緊張しきった私に優しく微笑んでくれました。
小学生時代に祐子さんも私も
毎日小学生新聞の読者であったことを知って、
即座に担当記者が取材に来て
翌日は二人の写真が新聞の一面に出たことは
私の一生の思い出になりました。
こんなに文才のある方の
ピアノ演奏を聴いてみたい・・
とずっと思っていましたが、
その機会は横浜YAMAHAの
ホールで実現しました。
繊細で柔らかな指使いのピアノ演奏にうっとり。
以来、ずっと私は祐子さんの追っかけをしています。
東京藝術大学音楽学部(ピアノ専攻)を経て同大学大学院修士課程を修了。
ウィーン放送交響楽団、ラトビア国立交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、ウィーン・サロン・オーケストラ、ベルリン弦楽四重奏団など、内外のオーケストラや合奏団と多数共演。
知性と感性、繊細さとダイナミズムを兼ね備えたピアニストとして高い評価を受けている。音楽を多面的に捉えることを目指したレクチャー・リサイタルは朝日新聞・天声人語にも紹介される。
ブロードウッド(1820年製)ベーゼンドルファー(1829年製)、プレイエル(1843年製)、エラール(1868年製)などのオリジナル楽器を所蔵。歴史的楽器を用いての演奏会や録音にも数多く取り組み、それぞれの時代の中で作曲家が求めた響きと美学を追及する。
2010年、ショパン生誕200年記念年には、全国各地でプレイエルを使っての演奏会に出演。軽井沢・大賀ホールにおいて天皇皇后両陛下ご臨席のもと御前演奏を行う。2011年ウィーンでのリサイタルは、オーストリアのピアノ専門誌の表紙を飾り、日本人で唯一ベーゼンドルファー・アーティストの称号を受ける。
毎日21世紀賞を2度にわたり受賞。その特選の副賞として1997年JAIMS(日本・アメリカ・インスティテュート・マネージメント・サイエンス)に留学し、経営学を学ぶ。その間、ホノルル・シンフォニーにおいて音楽プロデュース論などを学び、成績優秀賞を得て修了。
国立音楽大学・大学院教授、ベーゼンドルファー・アーティスト、日本ラトビア音楽協会理事、PTNA(全日本ピアノ指導者協会)評議員。
永峰高志さん ヴァイオリン
1980年東京藝術大学卒業。同年NHK交響楽団入団。第1ヴァイオリン次席奏者(フォアシュピーラー)として活躍。現在はソリストまた新日本フィルなどのオーケストラにゲストコンサートマスターとして招かれ、高い評価と信頼を得ている。国立音楽大学教授、
東京藝術大学非常勤講師。使用楽器は国立音楽大学から賃与されているストラディヴァリウス1723年製ヨアヒム。
まずはこの名器についてこう語っています。
「国立音大が所有する楽器で、貸与されて4年ほど経ちます。普通の楽器よりサイズが大きく、もともと硬めの音ですが、音のスピードが速くてレスポンスがよく、音に力強さや主張があります」
どんな音色なのでしょう!
期待の胸が躍ります。
ストラディバリウス(英:Stradivarius)
ストラディバリウス(英:Stradivarius)は、イタリアのストラディバリ父子3人(父アントニオ、子フランチェスコ、オモボノ)が製作した弦楽器のこと。特にアントニオ・ストラディバリが17世紀~18世紀にかけて製作した弦楽器が有名である。なお、通常「ストラディバリウス」といった場合は楽器を、「ストラディバリ」といった場合は楽器製作者を指す。 ストラディバリの製作した弦楽器には、18世紀の法令に基づきラテン語にてAntonius Stradivarius Cremonenſis(アントニウス・ストラディヴァリウス・クレモネンシス)というラベル(クレモナのアントニオ・ストラディバリ作、の意)が貼られている。ここから、彼(ら)の手による弦楽器は「ストラディバリウス」あるいは省略して「ストラド」と呼ばれる。
19世紀後半最高峰のヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムが愛奏した
1723年製のストラディヴァリウスは「ヨアヒム」と特別に名前がつきました。
このヴァイオリンはブラームス、そしてブラームスが想いを寄せていた
14歳年上のクララ・シューマンも愛した銘器です。
そしていよいよコンサートが始まりました。
ピアノ・ソナタ ハ長調 KV545 第1楽章
モーツアルト
このピアノソナタは、モーツァルトが自作の作品目録に
1788年6月26日の日付とともに
「初心者のための小さなソナタ」と記しており、
ソナタアルバムやソナチネアルバムにも収められていることから
ピアノ学習者にはおなじみの曲となっています。
私も弾けるモーツアルトソナタです。
でも、でも、なんでこんなに素敵なのでしょう。
この曲はシンプルなだけに、
一音違っても目立つそうで、
ピアノコンクールで弾く人は皆無だそうです。
「すっぴんで美人コンテストに出場するようなもの」
という祐子先生のお話に納得です。
この時代のピアノフォルテは鍵盤数も少なく、
音も大きくなかったので、
モダンピアノで弾くと強くなりすぎるそうです。
もっと練習して、軽やかに弾けるようになりたいなあと
思いました。
ヴァイオリン・ソナタ 第4番 ホ短調 KV304
モーツアルト
イ短調のピアノソナタ(第8番)と同じ1778年頃の作品であり、
母アンナがパリで客死した時期のもので、
明るい曲想の多い作曲者の作品の中では、
数少ない短調の劇的なものです。
モーツアルトの曲は、テーマ、いわゆる登場人物がいて、
例えば、「水戸黄門」のように毎度お馴染みの流れがあります。
将来を誓い合った若い恋人同士の娘に悪代官が目をつけ、
二人の仲は裂かれそうになるすったもんだが起き、
ここぞとばかりに印籠が見せられ、
悪者は裁かれ、一件落着。
よかったね。
という展開があるという祐子先生のお話。
まさかの水戸黄門の登場に、
うんうん、よくわかると思います。
歯医者さんで治療をする際に
モーツアルトの曲が流れるのも納得です。
ヴァイオリン・ソナタ 第4番 二長調
ヘンデル
ヘンデルHändelドイツ→イギリス(1685-1759)はドイツのハレで1685年2月23日に生れ、バッハはアイゼナハで3月21日に生れた。1702年にヘンデルは法学を学ぶためにハレ大学に入り、この年にカルヴァン派のハレの大聖堂のオルガニストになる。両者ともドイツ福音主義ルター派の教会信徒として生れている。この教派はルターLutherドイツ(1483-1546)の宗教改革(1517年)によって生れたプロテスタント教派で、本格的なプロテスタント教会の始まりであった。その後より過激なプロテスタントとして生まれた新派であるカルヴァン派の教会が、他の教派の信徒の働き手を受入れることは考えられないことであった。若きヘンデルにとってハレの大聖堂オルガニストは光栄に充ちた仕事であり、このためにルター派からカルヴァン派信徒に改宗したと考えても不思議なことではない。
ヘンデルといえば オラトリオ「メサイア」です。
バロック音楽の最高峰と思うのは、
学生時代クリスマス礼拝でいつも聞いていた旋律が
血となり肉となっているからだと思います。
特に「ハレルヤコーラス」!
合唱しないとクリスマスは来ないと思うほどです。
全知全能の神を讃えるという主題が
底辺に流れるヘンデルの曲は、
このヴァイオリン・ソナタにも見られ、
私は安定感を得ました。
すっと意識が遠のきそうになる時に
聞こえるヴヴァイオリンの音色は天上の音でした。
こんなヴァイオリンの音は聞いたことがありません。
天使の贈り物だと思いました。
ヴァイオリン・ソナタ 第5番 へ長調「スプリング」
ベートーベン
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタの中でも非常に有名な曲であり、その、幸福感に満ちた明るい曲想から『春』や『スプリングソナタ』という愛称で親しまれている。元々、ベートーヴェンは前作の第4番 イ短調とセットで「作品23」として出版するつもりであったが、製本上の理由により、別々に出版された。
ベートーヴェン自身のヴァイオリン演奏は技術的に稚拙で自作のヴァイオリン部を公開で弾く機会はほとんどなかった。ヴァイオリンのイディオムにもピアノのそれに対するほど通じてはいなかったので、ソナタの旋律リズムはピアノのものが中心になっている。
1770年生まれのベートーベンが30歳、1800年に作曲しました。
モーツアルトは宮廷音楽家、
バッハやヘンデルは教会オルガニストでもありましたが、
ベートーベンはフリーのピアニストでした。
即興が得意で、ファンにはたまらない演奏会だったと思います。
この曲を永峰先生は10歳で弾かれました。
厳しい先生の指導で、
レの音を出すのに1時間も練習したそうです。
当時は理解できなかったことも今はよくわかるとおっしゃる永峰先生、
私と1メートルほどで弾かれている指先を見ていて、
感動しました。
この写真は私の席からのものです。
どれほど近いかお分かりいただけるでしょうか。
「スプリング」は幸福感に満ちた明るさは若さの輝きでもあります。
とても素敵な演奏でした。
ヴァイオリン・ソナタ 第一番ト長調 「雨の歌」
ブラームス
第1番を作曲する以前にブラームスは、1853年秋頃(それ以前とする説もある)にイ短調のヴァイオリンソナタを作曲した。シューマンはソナタの出版を提案したが、ブラームスの判断(自己批判)で破棄されたという。
本作は1878年と1879年の夏に、オーストリア南部のヴェルター湖畔の避暑地ペルチャハで作曲・完成された。1877年から1879年までの3年間はこの地で過ごしていたが、この3年間のあいだにブラームスは、交響曲第2番(1877年)やヴァイオリン協奏曲(1878年)なども作曲している。
「雨の歌」の通称は、第3楽章冒頭の主題が、ブラームス自身による歌曲「雨の歌 Regenlied」作品59-3の主題を用いているためである。(ただし、ブラームス自身はそう呼んでいない)。
これ以外にもヴァイオリンソナタ第2番作品100なども、自作の歌曲と主題の関連性が指摘されている。ブラームスは1879年2月16日にクララ・シューマンに送った手紙の中で病床にあったフェリックス・シューマンを見舞うとともにこの曲の第2楽章の主題を送っている。クララはその後このソナタについて「あの世に持っていきたい曲です」と述べるほどの愛着を見せている。
今夜のメインメニューは「雨の音」でした。
ブラームスは1833年生まれで20歳の頃、
尊敬するシューマンの元へ出向き書き溜めていた曲を披露しました。
シューマンはこの若き作曲家の才能を高く評価して、
ブラームスを世に出そうと売り込みました。
才能ある作曲家はブロンドでブルーの瞳のイケメン。
モテモテでしたが、なかなか結婚には至りませんでした。
ブラームスの才能に惚れ込んだのはシューマンだけでなく、
実力派ピアニストであった妻のクララもそうでした。
1854年シューマンは自殺未遂で精神病院に行きますが、
その知らせを聞いたブラームスはすぐに駆けつけ、
クララと子供たちを支えました。
14歳の歳の差がある二人でしたが、
その親密さは周囲にもわかるようになっていました。
シューマンは治癒することなくなくなてしまい、
ブラームスとクララはどうなるかと思いきや、
結局二人は別れます。
真面目なブラームスは、
クララに愛を告白したのか、できなかったのか。
ナイーブな性格故に、
彼の作品は人の心のひだに入り、
揺れ動く想いを表現できたようです。
この「雨の歌」の3楽章、ピアノは95%が「雨音」を奏でいています。
永峰先生曰く「いじいじ降り続く雨」
確かにしとしと雨ではありません。
いつまで降るの?と憂鬱になるような雨。
でも、
雲が切れて、光が差しこむ予感をもてる最後でした。
「ブラームスはお好き」という
フランスの女流作家フランソワーズ・サガンの小説を読み耽っていたのに、
このヴァイオリン・ソナタ「雨の音」を
意識して聞いたことはありませんでした。
CDを手元に置いてききたいと思いました。
♪アンコール
愛のあいさつ
エルガー
破局に終わったブラームスとクララ・シューマンでしたが、
こちらは無名の作曲家と陸軍少将の娘という身分格差から、
親の反対を受けながら、
愛を貫いたエルガーの愛の挨拶。
1888年にアリスとの婚約記念にエルガーが贈った曲です。
一気に空気が明るくなった気がしたのは私だけかしら。
名物アップルパイ
伝子組み換えの作物が混ざったり、体に良くない農薬が多用されるようになった日本の現状を懸念し、遺伝子組み換え作物を排除し、農薬を最低限に抑えた原材料を使用することにいたしました(主に「生活クラブ」の材料を使用)
紀子さんお手製のアップルパイを
お土産にして帰路につきました。
駅まで歩く道すがら
夜空の星を眺めてました。
素敵な余韻に包まれて。。。
#西方音楽館
#木洩れ陽ホール
#馬酔木の蔵
#久元祐子
#永峰高志
#ストラディヴァリウスヨアヒム
#モーツアルト
#ヘンデル
#ベートーベン
#ブラームス
#シューマン
#クララシューマン