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愚か者の祈り
『大草原の小さな家で』〜ローラ・インガルス・ワイルダーの生涯と信仰〜を読んでいます。生活の中のちょっとしたことをローラは鋭い目線で見ながら、ユーモアと優しさがあるので、ぱらっと開けては読んでいます。
朝、読んでいたこの箇所を紹介します。
1919年1月、ローラ52才の時に書いたコラムです。
記事の中で、自分の不器用な態度によって、
ある女性が気分を害してしまったのではないかと反省しています。
コラムを引用します。
「G夫人と私は、ある親睦会で同じグループにいたのだが、あまり共通した話題がないまま一緒に他の部屋へと移動している途中、別の知り合いが急いで近づいてきた。
私はその人と挨拶を交わし会話を始め、G夫人は蚊帳の外に追いやられてしまった。
私はついG夫人のことを忘れておしゃべりを続けてしまい、しばらくしてふと彼女のほうへ視線を向けると、なんとその人は知らぬ間に立ち去っていたのである。私たちは彼女に不親切な態度をとってしまったのだ。さらに悪いことに、彼女はその親睦会に来た人たちの中にあまり知り合いがいなかったのある。
それから数分後に皆が帰り始め、私は自分の失敗を償うチャンスを失ってしまった。失礼なことをしてしまったことを、その人に詫びることができなかった。
……G夫人にふたたび会えるのは数ヶ月先である。彼女はとても気持ちのデリケートな人であることを知っていたので、おそらく私のせいで傷ついてしまっただろうと思った。私は心を込めて、『愚か者の祈り』を祈った。
私の不器用でぎこちない両足はぬかるみにはまったまま、
たくさんの花々を踏みつぶしています。
善意とは言え、私はこの手を強く突き出し
友人の心の琴線をかき乱します。
主よ、この愚か者の私を哀れんでください。
私たちは齢を重ね正しく物事を見極めることができるようになれば、先ほどのようなことが起きたとしてもなんとか解決されるものだと知るようになる。
…私たちの失敗のほとんどは、悪意を持ってわざとなされるものではない。私たちは大抵の場合正しい心で物事を行うのだが、いかんせん頭が弱いために間違いを犯してしまうのだ」
このコラムを読んで、
つい先日も同じようなことが起きたと思いました。
知らず知らずに他人を傷つけてしまったり、
悲しませてしまうことがあります。
あああ。と思っても後の祭り。
謝る機会があればよれど、
そんな機会は訪れない時もあります。
齢を重ね、
正しく物事を見極める年も過ぎ去り
齢を重ね、
物事を正しく見極めることができない年になってしまいました。
「愚か者の祈り」を覚えておいておこうと思いました。
写真は「大きな森の小さな家」のレプリカ