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恋と学問 第1夜、本居宣長のこと。

恋を学問する。

もっと正確に言えば、恋の経験は学問の対象に値する。

そう確信した時に、江戸時代の日本の学問は世界史に類を見ないユニークで面白いものになった、という話をこれからします。

源氏物語を論じた本居宣長の作品「紫文要領」(1763年)を主な題材としますが、江戸時代に猛烈な勢いで次々と現れた学問と学者たちについても、触れる機会が多いかもしれません。すべて関わり合っているからです。

さて、今夜は初回ですから、まずは本編の主人公・本居宣長の紹介から始めたいと思います。

本居宣長(1730-1801)は江戸時代の中頃を生きた医者であり国学者です。「国学とは何か」という話を厳密にやり出すと長くなりますので、とりあえず「日本の古典文学作品を研究する学問のジャンル」としておきます。

宣長は現在の三重県松阪市の生まれで、今もなお特産品として名高い松阪木綿を売る商家の家系に連なりますが、幼い時に父に死なれ、青年期に義理のお兄さんにも死なれることで、比較的早い段階で一家を支える必要が生じました。

宣長の母は、宣長本人の口から言わせると大変聡明な女性だったそうです。息子が地道に木綿を作ったり売ったりするのに向かない気質であると見抜いた母は、木綿商を廃業し医者になるよう勧めました。22才の宣長はこのアドバイスに従って京都に留学します。

京都で宣長が眼にしたものは、医学だけではなく、儒学・歌学・暦学など、当時の最先端の学問でした。若い宣長は大いに刺激を受けたことでしょう。メインとなる医学は堀景山という当代きっての大家のもとに弟子入りしましたが、これがまた幸運でした。堀景山は「儒医」、すなわち儒者と医者を兼ねていましたので、宣長に医学と儒学の両方を教えることができたのです。

堀景山は学者というよりも学問全般の支援者、少しネガティブな言い方をすれば「学問オタク」でした。本当なら思想的に相容れないはずの荻生徂徠と親しく交わったり、儒学とは全くジャンルの異なる国学に興味を示し、契沖の本が世に忘れ去られたのを惜しんで再刊したりしています。宣長はこの先生のもとで貪るように知識を吸収してゆきました。

宣長が最初に深く打ち込んだのは歌学です。よって、京都留学中に書いた「あしわけをぶね」という和歌の研究が処女作となりました。むろん医学の勉強もおろそかにはしていません。しっかり免許皆伝して27才になる年に松坂へ帰り、現在で言うところの小児科医院を開業しました。

松坂では、ある種の二重生活が始まります。宣長は几帳面な人でした。亡くなる直前までの生活ぶりを克明に記した日記を残していますが、それを見ると「昼は診療・夜は講義と著述」が宣長の生活スタイルであったことが分かります。講義の内容は時期によって多少は変化したものの、いずれにせよ古典文学についてのものです。

私たちがこれから見てゆこうとする紫文要領は、宣長33才の時、松坂に帰って開業した6年目の夏に完成しました。終生の師・賀茂真淵との運命的な出会いから2週間後のことでした。

真淵との出会いによって宣長は「古事記」の神話世界を読み解く挑戦を始めます。この挑戦は死ぬまで続けられました。誇張ではありません。宣長は71才で亡くなりますが、その2年前まで飽きることなく学び続け、書き続け、35年間もの年月を費やして、ようやっとのことで「古事記伝」は完成したのでした。

現代の学者は、この紫文要領の書かれた33才の年に「断絶」を見ます。「もののあはれ」が「神々の戯れ」に素直につながるとは思えないからです。しかし私たちは、そんな意見など無視してよいのです。こうした科学的態度は、モノ同士の関係にこだわるあまりに、モノ自体が見えなくなる危険を孕んでいます。紫文要領それ自体を味わうことを主眼とする、私たちの目論見からすれば不要な論点です。

紫文要領。

源氏物語の主題は「もののあはれ」にある、と打ち出した本。

「紫文要領」の名前は知らなくても「もののあはれ」の言葉はあまりにも有名です。ただし言うまでもなく、有名であることと、広く理解されていることは別のことです。

ここで正直に告白しますと、私がこの文章を書こうと思いついたきっかけが、おのれ自身の無知に基づくのです。源氏物語のあらすじは知っていましたし、宣長の「もののあはれ」も何となく理解している気がしていましたが、今回こうして読むまでは、その深い味わいを分かっていませんでした。つい先だって源氏を少々詳しく読んで、続いて紫文要領も読んだ時に、思いもよらない発見が多くてただただ驚いたのです。

その発見の第一が、冒頭の「恋愛経験は学問の対象となり得る」という宣長の隠された主張でした。それがどんな意味を秘めているかは、次回以降に話すことにします。

それではまた。おやすみなさい。



【以下、蛇足】



初回は主人公・本居宣長の紹介という、地味な話になってしまいました。話の導入はどうしても説明が多くなってしまうのです。次回以降にご期待ください。

筆者は常々、江戸時代の学問が現代に広く読まれていないことを「もったいない」と感じています。江戸時代の学問には現代の問題に真剣に答えてくれる力が眠っていると思っているからです。だからこそ、このエッセイは広く読まれ得ることを最優先して、なるべくやさしく書かれています。

(そもそも筆者の頭では大して複雑なことを考えられない、という事情もあるにはありますが)

そういうわけなので、宣長や国文学に精通している人からすると、物足りないし、間違いを多々指摘したくなる内容かも知れませんが、宣長に関する詳しくて立派な研究はすでにたくさんあることですし、何卒ご容赦ください。

筆者はむしろ、予備知識を持たない人がこのエッセイを読んでみて、「宣長とか源氏とか、今までよく知らなかったけど面白そうだな。いつか機会があったら読んでみようかな」と思って頂けるよう、頑張って書いていこうと思っています。

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