見出し画像

〜まとめ編〜 都市計画やまちづくりでよく使われるアノ言葉は危険かも?

 建築での計画(都市計画、建築計画)という分野は、人々の暮らしのクォリティーを上げることにとって重要な分野である。その中で、都市計画、まちづくりの分野の話をしていく。
 現在、人口減少、少子高齢化などの話題が日々飛び交う。建築や都市の中でもその話題性は顕著であり、どのようにすれば人が集まるのか。楽しい街になるのか。様々な議論が飛び交う。そんな中で、よく使われているアノ言葉についてお話ししようと思う。

1−1   アノ言葉とは、、

あの言葉とは、賑わいや活性化です。私自身も使っていましたし、おそらく多くのコミュニティで使われていると思います。
そして、最初に述べた人口減少や、少子高齢化の影響で地域が衰退し賑わいが必要とされているなどと言った声や意見等よく耳にします。
郊外の大型ショッピングセンターが建設され、郊外に人が集中し、中心でやっている商店街が衰退し賑わいが求められているなんてことも聞きます。
一体これがなぜ危険なのか様々な本を元に話していきます。

1−2   なぜ危険なのか

誤解のないように説明すると、この賑わいや活性化という言葉は、絶対に使うななどといったことではなく、目的や具体性を必要としているときに安易に活用するべき言葉ではないということだと思う。このことを踏まえ、お話ししていきます。

上に示す本には、このような記述がある。
一般的な公共事業のデザインでは、整備の目的が活性化や賑わいといった言葉が好んで使われる。そのイメージ図によくあるのは、下に示す図である。

https://www.khb-tv.co.jp/news/15577525

このような絵である。(仙台市というのはあくまで例。)そういう風景が賑わいであることを一概に否定するつもりはないが、どうも素直に同調できない。そもそも、この賑わいという言葉が薄っぺらい。
経済力だけが活力ではないし、賑わいの全てではない。都市の活力とはというところから始めないければならない。
という文から、(一部変更有り)それぞれの地域で何が求められ、どんな活力が求められているのか異なる。だから全国各地域で、同じようなイメージパース図があるのは、それぞれの都市や地域でよく考えられていないと感じる。そして、人が集まって賑わっているのが本当に良いのだろうか。ということを他の本で述べられていたので1−3で示す。

1−3   人で賑わうでいいの?

続いて、本当に人がくればいいのだろうか。という点について下に示す本に記載されていや内容から述べてみる。

このOVERLAPという本には、次のようなことが述べられている。
国内の人口の総数は決まっているわけで、賑わいを無限に増やすことはできない。つまり、どこかで、賑わえば、どこかのエリアの賑わいが失われていく。どこかに新しい施設ができれば、そちらに人が流れ、終わりなき賑わいの奪い合いが行われる。(一部変更有り)

この記述の通り街と人口の構造を理解できれば、いかに賑わい活性化など行っていることが都市全体を捉えたときに危ないかがわかる。

次に筆者は、私たちは考え方を根本的に変える必要があると記述し、1つ1つの空間を丁寧に作っていけば、豊かな空間の総量は作り続けれる。賑わいを目指すのではなく豊かな空間を増やすことを目標にすれば、人口に増減があっても左右されない都市になる。

このことから、この豊かな空間にも、地域によって様々な豊かを作り続けなければならないと感じる。例えば、地方の農村地域の豊かな空間と東京都心部で作ることはできない。一方で、東京都心部の人口密度が高く、人々のコミュニティが取れやすい豊かな空間は、地方の農村地域で作ることはできない。というかそれぞれに需要はない。極端な例だが、このように地域ごと、都市ごとに豊かな空間や計画をしなければ同じ街並みが形成されることに加え、地域独自の良さや豊かさが失われていくのでは無いのでしょうか。

1-4   まとめ

今回はまちづくりや都市計画においての危険な言葉について述べた。抽象的な言葉で都市の目標を決めるのは楽である。しかし、楽して都市をよりよくできるはずがない。
もっと目標は明確に。そして、都市へのハード面、ソフト面での行動が目的化ならないようにすべきである。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集