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『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』(1981年11月7日・俳優座映画放送)

今宵の娯楽映画研究所シアターは、熊井啓監督『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』(1981年11月7日・俳優座映画放送)。知人の好意で見せていただいた。

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公開時、僕は高校生。熊井啓監督の『天平の甍』を気に入って、三越劇場で2回観ていた。それに続いて、今度は戦後史の闇を描く社会派ミステリーということで楽しみに、初日に銀座文化(現在のシネスイッチ銀座)に駆けつけた。また二回観るかもと、プレイガイドで特別鑑賞券を二枚買ってしまっていた。

昭和24(1949)年7月5日、国鉄下山総裁が、常磐線の綾瀬近くの五反野で轢死体として発見。捜査一課は「自殺」と断定。当時、GHQと日本政府主導によるドッジ・ライン(経済合理化)政策が推し進められ、企業は労働者を大量解雇、それに反対する組合運動が激化していた。国鉄の下山総裁は、国から指示と労働者家族の板挟みによる心労で自殺したとされた。

しかし轢死体を検死した東大法医学部は、下山総裁が何者かに殺害され、遺体を線路に置かれ列車に轢かれた可能性があると「他殺説」を主張。捜査二課と検察も「他殺」の線で捜査を続けた。

ほどなく「三鷹事件」「松川事件」が発生。国鉄をめぐる事件が連鎖した。その背景には労組の過激な連中の犯行によるものと、新聞や世評がその方向へ。また、その世論を作ることにより、ドッジ・ラインを推し進めるGHQの策謀であるという説も根強かった。

当時、事件を取材、核心にせまった朝日新聞の矢田喜美雄記者の「謀殺・下山事件」(1973年)を原作に、ベテランの菊島隆三さんが脚色。社会派・熊井啓監督が渾身の演出で映画化。モノクロ・スタンダードに拘ったのは、当時のニュースフィルムとドラマが違和感なく融合するように、との狙いだった。

映画は、事件発生当時、必死の取材を続けた矢代記者(仲代達矢)と、捜査二課の刑事・大島(山本圭)が昭和24(1949)年から、十五年間に渡って、事件の真相に迫る、戦後史のスタイル。

サンフランシスコ講和条約、血のメーデー事件、60年安保闘争、東京五輪と、戦後史のエポックのなかで「下山事件の闇」が、浮き彫りとなっていく。

俳優座映画放送の製作なので「新劇の巨人たち」が惜しげもなく次々と登場する。

仲代達矢
山本圭
浅茅陽子
中谷一郎
橋本功
役所広司
岩崎加根子
江幡高志
平幹二朗
稲葉義男
新田昌玄
神山繁
滝田裕介
梅野泰靖
松本克平
近藤洋介
仲谷昇
菅井きん
浜田寅彦
小沢栄太郎
井川比佐志
大滝秀治
伊藤孝雄
隆大介
草薙幸二郎
岩下浩
信欣三
織本順吉

もう、画面を眺めているだけで、楽しくてしょうがない。みんなギラギラして、みんな知的で、みんなさりげなくて、みんな熱演!

特に大滝秀治さんの怪演! まさに戦後史に暗躍したワルの風格。また、隆大介さんが文句なく素晴らしい。実行犯だったために、巨大な影に怯えながら暮らしてきた男の苦しみと、やっと手にしたささやかな幸せ。しかし…

依頼原稿のための細見なので、これぐらいにしておくが、戦後史秘話として、その真偽はともかく、圧倒的に楽しめた。熊井啓監督としては『帝銀事件死刑囚』『日本列島』とともに、社会派エンタテイメント映画(多分に生真面目だけど)として、これからも何年かに一回は観たくなるだろう。

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