『風ふたゝび』(1952年2月14日・東宝・豊田四郎)
原節子と池部良、山村聰のメロドラマ『風ふたゝび』(1952年2月14日・東宝・豊田四郎)。永井龍男が「朝日新聞」に連載した新聞小説を植草圭之助が脚色。戦前、東京發声で『若い人』(1937年)を手掛け、『冬の宿』(1938年)や『わが愛の記』(1941年)などで、東宝文芸映画のカラーを作ってきた豊田四郎が演出。
昭和27(1952)年、原節子は31歳。前年に黒澤明『白痴』(1951年・松竹)、小津安二郎『麦秋』(1951年・松竹)、成瀬巳喜男『めし』(1951年・東宝)と、名匠の代表作にして、この時代を象徴する名作に立て続けに主演。女優として、その美貌、演技、存在感そのものが最も輝いていた時期。とはいえ、清純なメロドラマのヒロインの年齢ではなく、青春時代を、長く辛い戦争で奪われてしまった世代を象徴する女性役が多い。
本作でも「戦争によって青春が奪われた」というようなセリフがある。それに対して池部良が「いつでもやり直せるのが青春」と優しく応える。原節子が演じる久松香菜江は、一度結婚に失敗して渋谷の叔父(龍岡晋)と叔母(南美江)夫婦の家に寄寓している。小さな映画館の売店に勤めている。朗らかでお茶目だが、どこか気後れしている。消極的な女性として登場する。
トップシーン、当時の映画館のロビーの雰囲気を、楽しむことができる。冬の夜、売店を片付けて、急足で叔父の家まで帰る香菜江。前作『めし』で演じた、生活に疲れた主婦から一転、まだ娘時代の朗らかさを残しているヒロインの表情がいい。香菜江の父・精二郎(三津田健)は仙台の大学の教授。やはり戦争で研究が途絶してしまい、経済的にも困窮している。その精二郎が、論文の資料調べのために上京。その夜行列車に乗っていた壮年実業家・道原敬良(山村聰)と、友人の画家(十朱久雄)、通人・菅原(菅原通済)、安岡(御橋公)が乗り合わせていた。道原が洗面所に財布を忘れて、取りに行くと、トイレから精二郎が出てくる。その後、洗面台に残されていた財布から十万円が抜き取られていた。
道原は、精二郎が抜き取ったのかもしれないと思い、大学教授の名誉のために、そのことは不問にしようとする。列車が上野に着いて程なく、精二郎は過労から駅の階段で倒れてしまう。病院に運ばれた精二郎の身元が分からず、たまたまポケットに入っていた名刺から、かつての大学での弟子で、今は大田区の青果市場で働いている宮下孝(池部良)に連絡があり、精二郎は宮下の下宿へ。そこで宮下は、香菜江の叔父の家で、映画館を聞いて訪ねてくる。ここで、原節子と池部良の出会いとなる。
父の看病のため、香菜江は宮下の下宿に泊まり込むことに。その布団を世話してくれたのが、宮下のガールフレンドで、京橋で書店を営む川並陽子(浜田百合子)。バリバリのキャリアウーマンである。なんと陽子は香菜江の女学校時代の同級生で、二人は再会を喜ぶ。
この陽子と親しくしているのが、財布から現金を抜き取られた道原で、陽子も同じ列車に乗り合わせていたことから、宮下の耳に、香菜江の父が犯人かもしれないという噂が聞こえてくる。それを聞いてショックの香菜江は、自ら父の嫌疑は言いがかりだと抗議をするべく、道原のオフィスを訪ねる。ところが、道原は香菜江が、亡妻と瓜二つだったことから一目惚れ、なんとか香菜江を後添えにしたいとロックオン。
ここで、まだ何ほどでもない青年・池部良と、金も名誉も手にしている壮年・山村聰がそれぞれ、原節子に好意を寄せていく。しかも浜田百合子は戦争で亡くなった兄の親友・池部良と結婚したいと考えている。まさにメロドラマ的な状況となる。
宮下もまた戦争で、研究者としての大切な時間を棒に振って、ようやく復員してきてからは、果物や野菜を相手にした「やっちゃ場」商売をしているが、懐が寂しく、恩師の治療代のために外套を質入れしてしまったり。それに気づいて、請け出してくる香菜江。二人は次第に心を通わしていく。
そこへ道原の登場である。いつまでも映画館の売店勤めでは、という香菜江に、陽子が仕事を紹介してくれる。しかも道原の紹介だと聞いて、一度は断ろうとする香菜江だったが、その勤め先が、開局したばかりの「ラジオ東京(TBSの前身)」で、アシスタントとはいえやりがいのある仕事だったので、勤めることに。
ここからの原節子の変貌ぶりがいい。ラジオ東京で、タイムキーパーや出演者のアテンドなど、忙しければ忙しいほどイキイキしてくるのだ。宮下が訪ねて行っても「5分だけ」とその多忙ぶりに、宮下が驚くほど。
この映画、とにかく原節子の美しさが際立っている。沈んだ表情、明るい笑い顔、悲しみの表情。ロングとアップを巧みに使って、原節子の美しさをフィルムに収めたのは、原節子の実兄・会田吉男。なので、キャメラの視点が暖かい。兄が妹を見つめているような、それが映画のルックとなっている。
クライマックスは、年の瀬、北海道の試験場で研究をしている友人を訪ねるため、宮下は東京を不在にする。年末には戻り、香菜江とスキーに行く約束をしていたのだが、友人の仕事に共感した宮下は北海道に留まる決意をして、なかなか帰ってこない。そこへ、道原が年末、年始に家の手伝いを頼んでくる。もちろん、香菜江に結婚を申し込むためである。若い恋人たちのすれ違い、お金のあるおじさまの求婚・・・さぁどうなる?
で、ラストに向けてのサスペンスも、メロドラマの常道で、池部良の本心を知った浜田百合子が大活躍、山村聰も恋の敗北を認め、原節子は池部良の乗った夜行「北斗」の発車時間が迫る上野駅へ。果たして間に合うのか・・・
物語は他愛のないメロドラマだが、豊田四郎の目の行き届いた演出で、ディティールが楽しい。特に山村聰の友人たち、御橋公や菅原通済たちのブルジョア親父たちが好き勝手なことを言うシーンは、昭和30年代の小津映画の中村伸郎や北龍二、やはり菅原通済たちに通じる。昭和27年の渋谷、世田谷、太田市場などのロケーションは時層探検者にとって何よりの眼福である。