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日活映画の素晴らしき世界

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日活映画の魅力をまとめました!
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#娯楽映画

『紅の拳銃』(1961年・牛原陽一)

 昭和36(1961)年は、日活映画にとって重要な年となった。前年2月、赤木圭一郎の参加によって…

『黒い賭博師 悪魔の左手』(1965年・中平康)

 『黒い賭博師』(65年8月4日)で中平康のリニューアルが成功し「賭博師」は「黒い賭博師」シ…

『黒い賭博師』(1965年・中平康)

 昭和39(1964)年。小林旭に大きな転機が訪れた。美空ひばりとの理解離婚、永年在籍していたコ…

『でかんしょ風来坊』(1960年・斎藤武市)

 1961(昭和36)年春、裕次郎の骨折による降板、赤木圭一郎の急死と、日活ダイヤモンドライン…

『東京の暴れん坊』(1960年・齋藤武市)

 花の巴里でコック修業をした清水次郎は、銀座の次郎長と呼ばれる粋で鯔背な若旦那。頼まれた…

『渡り鳥故郷へ帰る』(1962年・牛原陽一)

 小林旭の代名詞ともなった「渡り鳥」は、作品の世界観からすると『ギターを持った渡り鳥』(1…

『渡り鳥北へ帰る』(1962年・斎藤武市)

   小林旭の歌の世界には、「ダンチョネ節」「ズンドコ節」などいわゆる「アキラ節」と呼ばれるリズム民謡、そして「さすらい」「北帰行」「惜別の唄」路線の叙情ソングがある。いずれも、名アレンジャーで作曲家の狛林正一によるものが多い。狛林といえば「ギターを持った渡り鳥」「口笛が流れる港町」などの遥かなる郷愁を駆り立てる叙情ソングを手掛け、大戦中の南方戦線の兵士たちの愛唱歌を放浪者の孤独の歌に再生させた「さすらい」をものした才人。  「北帰行」は、昭和30年代中盤、歌声喫茶で歌われ

『大海原を行く渡り鳥』(1961年・齋藤武市)

 昭和35(1960)年12月に、宍戸錠のダイヤモンドライン参加が決定され、「渡り鳥」の好敵手役は…

『波涛を越える渡り鳥』(1961年・齋藤武市)

 1960年、日活はアクション映画の好調を受けて、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治の…

『赤い夕陽の渡り鳥』(1960年・齋藤武市)

 1960(昭和35)年のマイトガイ=小林旭の活躍ぶりには凄いものがある。1月3日封切の『口笛が…

『渡り鳥いつまた帰る』(1960年・齋藤武市)

 1960(昭和35)年4月。小林旭は、「渡り鳥」「銀座旋風児」「流れ者」と三つのシリーズを抱…

『口笛が流れる港町』(1960年・齋藤武市)

 昭和35(1960)年。小林旭は十三本もの映画に主演している。前年秋に封切られた『ギターを持…

『ギターを持った渡り鳥』(1959年・齋藤武市)

「渡り鳥シリーズ」第1作!  昭和34(1959)年、舛田利雄監督の『女を忘れろ』で、純情可憐な…

マイトガイ・小林旭の軌跡 PART3 MIGTY GUY ON MOVIES 1964〜1971

      昭和39(1964)年、マスコミを賑わした美空ひばりとの理解離婚。日本クラウンへの移籍と、小林旭をめぐる状況が大きく変化していた。『生きている狼』(5月23日)公開後、コロムビアのラストシングルとなった「知らん顔/君」がリリースされたのが7月20日。この時点でクラウンへの移籍は表明されており、『さすらいの賭博師』(8月5日)から、このマイトガイトラックスのクラウンイヤーズがスタートすることになる。  「ギャンブラー」シリーズは、空前のマイトガイブームを巻き起こし