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日活映画の素晴らしき世界

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日活映画の魅力をまとめました!
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#日活無国籍アクション

『男の怒りをぶちまけろ』(1960年・松尾昭典)

 トニーこと、赤木圭一郎がスクリーンで演じたキャラクターは「拳銃無頼帖シリーズ」(60年)…

『俺の血が騒ぐ』(1961年・山崎徳次郎)

 トニーこと赤木圭一郎の代表作『霧笛が俺を呼んでいる』を演出した山崎徳次郎監督は、トニー…

『黒い賭博師 悪魔の左手』(1965年・中平康)

 『黒い賭博師』(65年8月4日)で中平康のリニューアルが成功し「賭博師」は「黒い賭博師」シ…

『黒い賭博師』(1965年・中平康)

 昭和39(1964)年。小林旭に大きな転機が訪れた。美空ひばりとの理解離婚、永年在籍していたコ…

『でかんしょ風来坊』(1960年・斎藤武市)

 1961(昭和36)年春、裕次郎の骨折による降板、赤木圭一郎の急死と、日活ダイヤモンドライン…

『波涛を越える渡り鳥』(1961年・齋藤武市)

 1960年、日活はアクション映画の好調を受けて、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治の…

『赤い夕陽の渡り鳥』(1960年・齋藤武市)

 1960(昭和35)年のマイトガイ=小林旭の活躍ぶりには凄いものがある。1月3日封切の『口笛が流れる港町』から12月7日封切の『都会の空の用心棒』まで実に12本。この『赤い夕陽の渡り鳥』は、「渡り鳥」第四作として7月2日に公開されている。  今回の舞台は会津磐梯山。風光明媚なロケーションを日活スコープの大画面に切り取ったのは名キャメラマン高村倉太郎。『ギターを持った渡り鳥』(59年)で水島道太郎がジョージ役を断った際に、宍戸錠を強く推したのが高村キャメラマンだったという。

『渡り鳥いつまた帰る』(1960年・齋藤武市)

 1960(昭和35)年4月。小林旭は、「渡り鳥」「銀座旋風児」「流れ者」と三つのシリーズを抱…

『口笛が流れる港町』(1960年・齋藤武市)

 昭和35(1960)年。小林旭は十三本もの映画に主演している。前年秋に封切られた『ギターを持…

マイトガイ・小林旭の軌跡 PART3 MIGTY GUY ON MOVIES 1964〜1971

      昭和39(1964)年、マスコミを賑わした美空ひばりとの理解離婚。日本クラウンへの移…

『風に逆らう流れ者』(1961年・山崎徳次郎)

 「流れ者シリーズ」第五作!  1961(昭和36)年4月は、なんと「流れ者」「渡り鳥」両シリ…

『危いことなら銭になる』(1962年・中平康)

 エースの錠こと宍戸錠は、小林旭の「渡り鳥」「流れ者」、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖」シリー…

長谷部安春の日活ニューアクション時代

 長谷部安春監督のデビュー作は、小林旭のスパイ活劇『俺にさわると危ないぜ』(1966年2月12…

『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』(1960年・野口博志)

 原作は、都会的な活劇やユーモア小説を得意としたモダン感覚あふれる城戸禮。なかでも竜崎三四郎を主人公にした「三四郎」シリーズは代表作となり、1955年の「地下鉄三四郎」から1995年の「勇猛ダイナミック刑事」まで40年、書き続けた。1956(昭和31)年には、東映で堀雄二主演の『竜巻三四郎』『地下鉄三四郎』『浅草三四郎』と立て続けに映画化された。この「三四郎」シリーズを、日活アクションとして映画化したのが『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』だった。ちなみに『大学の暴れん坊』(1959