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日活映画の素晴らしき世界

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日活映画の魅力をまとめました!
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#日本映画

『紅の拳銃』(1961年・牛原陽一)

 昭和36(1961)年は、日活映画にとって重要な年となった。前年2月、赤木圭一郎の参加によって…

『黒い賭博師 悪魔の左手』(1965年・中平康)

 『黒い賭博師』(65年8月4日)で中平康のリニューアルが成功し「賭博師」は「黒い賭博師」シ…

『黒い賭博師』(1965年・中平康)

 昭和39(1964)年。小林旭に大きな転機が訪れた。美空ひばりとの理解離婚、永年在籍していたコ…

『でかんしょ風来坊』(1960年・斎藤武市)

 1961(昭和36)年春、裕次郎の骨折による降板、赤木圭一郎の急死と、日活ダイヤモンドライン…

『東京の暴れん坊』(1960年・齋藤武市)

 花の巴里でコック修業をした清水次郎は、銀座の次郎長と呼ばれる粋で鯔背な若旦那。頼まれた…

『波涛を越える渡り鳥』(1961年・齋藤武市)

 1960年、日活はアクション映画の好調を受けて、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治の…

『渡り鳥いつまた帰る』(1960年・齋藤武市)

 1960(昭和35)年4月。小林旭は、「渡り鳥」「銀座旋風児」「流れ者」と三つのシリーズを抱え、まさに超人的なスケジュールをこなしていた。日活のドル箱スターとして、小学生から若者、全国のファンの熱い支持を受けていた。この『渡り鳥いつまた帰る』が公開されたのは4月23日。2月に公開された『海から来た流れ者』の主題歌として「ダンチョネ節」が起用され、活劇、地方ロケ、そして民謡をフィーチャーしたアキラ節が重要な要素となった。本作でも「ダンチョネ節」のB面だったこまどり姉妹との「お

『口笛が流れる港町』(1960年・齋藤武市)

 昭和35(1960)年。小林旭は十三本もの映画に主演している。前年秋に封切られた『ギターを持…

『ギターを持った渡り鳥』(1959年・齋藤武市)

「渡り鳥シリーズ」第1作!  昭和34(1959)年、舛田利雄監督の『女を忘れろ』で、純情可憐な…

マイトガイ・小林旭の軌跡 PART3 MIGTY GUY ON MOVIES 1964〜1971

      昭和39(1964)年、マスコミを賑わした美空ひばりとの理解離婚。日本クラウンへの移…

マイトガイ・小林旭の軌跡 PART2 MIGHTY GUY ON MOVIES 1961〜1964

 昭和36(1961)年。アクション帝国日活を支えていたダイヤモンドラインに大きな変化が訪れる。…

マイトガイ・小林旭の軌跡 PART1 MIGHTY GUY ON MOVIES 1958〜1961

 マイトガイ=小林旭。映画デビューにまつわる様々な逸話はその著書「熱き心に」(双葉社)な…

『危いことなら銭になる』(1962年・中平康)

 エースの錠こと宍戸錠は、小林旭の「渡り鳥」「流れ者」、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖」シリー…